嘘と使命と劣等感
(綺麗…)
戦闘中だというのを忘れてアルシェはそんなことを思った。
自然の持つ力を糧とする属性魔法は各属性ごと見られる色も違う。魔法を発動した際の術の難度にも依るが、洗練されると体から溢れる力を視認できる。《火属性》なら赤、《光属性》なら白といった感じに様々だ。
その中で青、黄、灰色と移り変わる光景に彼女は魅せられた。それはお伽噺で語られる“英雄”のようで――
(これが勇者様の…カナエ様のお力…)
――ズキンッ
(…?)
胸に違和感を感じたが特に異変があるわけでもなく、すぐに忘れてまたその光景に釘付になった。
そして湊の狙い通り崖下へと落ちていった男には目もくれず、すぐさま座り込む彼に駆け寄った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ…、疲れた」
スヴェンが投げ出されたのを確認する間もなかった。襲ってくる疲労感に抗えず倒れるようにして腰を下ろす。その際勢い余って尾てい骨を痛めたのはご愛嬌だ。
(くそ、あの野郎。どうせならこの手で直接殺したかった)
この銀髪を偽物呼ばわりした男に腹の内が煮え繰り返るが、それも崖下で死んだと思うと幾分か気も落ち着く。
(わりと古典的な手だったけど上手くいくんだな。アイツが莫迦で助かった)
本当は回避されるのも計算に入れて11手先まで考えていたのだが無駄になってしまった。
湊は武器もなく男と対峙した時点で正攻法では勝てないと、ある意味負けとも取れる結論に至った。地の力なら勝るが、スキルの恩恵を受けた状態では勝ちの目も薄い。
だからこそ真正面からの勝負を避けて相手の自滅を誘ったのだ。
《
《土属性》ならそんな手間も省けるのだが、あれは術を行使している最中動きが鈍るので速さ重視の自分には合わないと感じた。
「だけどやっぱり納得は出来ないな~。どうもスッキリしない」
そうは言うがスヴェンからすれば堪ったものではないだろう。今まで積み上げてきた自信が勇者とはいえ成人していない、それも召喚したての湊に互角に持ち込まれ
そこに気付きながらも納得しようとしない湊はやはり傲ってると言えた。
「ま、良いか。俺の目的はアルシェの護衛の手助けだ。少し休んだら戻って加勢してそれから――っ」
――それから……どうしたら良いんだ?
ここまで息継ぎ無しに戦ったため失念していたが此処は彼の知らない異世界。これから元いた世界に戻れるのだろうか。
その可能性を思い出した途端、横になった身体を勢いよく起こし上げた。戦闘で経験した以上の悪寒が背中を駆ける。
(戻れる…よな? 世界を渡る術が有るのは確かなんだ、地球に帰る手段もある筈だ)
無ければ困る。そうでなければ自分は――
「カナエ様!」
「っ、アル――!」
既に聞き慣れた声で現実に戻される。考えに耽っていた顔を反射的に上げると、間を置かずして湊の胸に影が飛び込んできた。
サラサラと流れる金糸と見た者を虜にする
「良かった、良かったです……カナエ様に何かあったら私は、私はっ…!」
その事に気が付き、躊躇いがちに頭を撫でた。
(蓮以外の誰かに心配をかけて後ろめたくなるなんて久し振りだな)
「悪かった。随分と心配かけたな」
「良いんです。カナエ様が…守ってくれると仰ってくれましたから」
照れたように上げた顔には泪の跡が道を作っていた。女性は喜怒哀楽がハッキリしている方が美しいと言うが成る程。彼女ほどになるとその意味にも頷ける。
今まで見たのは嘘泣きが殆どであった為さして興味も惹かれなかったが、女性の魅力と言うものは素晴らしいものだなと考えを改めた。
「私は…何も出来ませんでしたから」
「アルシェ?」
ぼそりと呟かれた言葉を拾う。見ればアルシェが影に差したような暗い表情を浮かべていた。それに不思議と湊の心が粟立つ。
「王女だというのに護られてばかりでっ、ただカナエ様の足を引っ張るだけで何もっ……ふぁあっ!?」
「あっ…ごめん、つい」
気付いたら彼女の両頬を引っ張っていた。無意識に出た手を引っ込めて己の手を不思議そうに見つめる。
今のは何だったのか。ただ、アルシェが俯きそうになったのを見て心が
――怖れないで。私はいつでも貴方様の味方ですから――
(――――っ!)
頭にノイズが走る。一瞬、ほんの一瞬だけ目の前の
「カナエ様? どうかなされましたか」
「……いや、何でもない」
(疲れているのか? まぁいきなりこんな事になったし無理もないけど)
アルシェが見て分かるくらい首を傾げると、その可愛らしさに胸がほっとする。
今起こったノイズはもう感じられない。ただの気のせいかと切り替えて心配そうに見つめるアルシェに笑顔を返した。
「さぁ、もう大丈夫だ。お前の仲間を助けに向かうぞ」
「あっ……」
その言葉にまたアルシェの顔が暗くなる。咄嗟に動く手を抑えて湊がどうしたのかと訝し気に声を掛けた。それに気付いたアルシェが表情を取り繕い驚きの事を口にする。
「……いえ、皆さんの所へは戻りません。カナエ様にはこれから
「は…?」
「私が最優先に守るべきはカナエ様の身の安全です。ここまで危険に晒してきた私が言えた事では無いと存じますが、先ずは御身を癒す事に努めてくださいませ」
そこで《
「俺はアルシェに『皆を助けて』と乞われた。あの願いは嘘だったと?」
そうでない事を湊は知っている。知っていて敢えて言わせようとする。単純にアルシェの真意が読めないからだ。
当のアルシェはその発言に一瞬動きを止めたが、その後も滞りなく傷を癒していく。
ただその瞬間に見せた表情だけは、今までで一番辛そうだった。
「いいえ。あの言葉自体に嘘はありませんでした。出来ることなら今後ともその御力を貸して戴きたく」
「だったら何で…っ、」
湊はその先を告げれなかった。哀しみと憂いと、そして諦めにも似た感情を一辺に貼り付けたような瞳が隠せず見えてしまったから。
「恐らく…手遅れです。“あの様子”では、もう誰も…」
「“あの様子”?」
まるでたった今見てきたかのような発言に首を傾げた。
実際はその通りで、アルシェは【聖者の瞳】――特性「千里眼」――を発動させてサーナ達王国兵の現状を見たばかりだ。
「千里眼」は「予知眼」と違いリアルタイムの映像しか映し出さない。つまりそこで視た光景は全て真実であり、未来のように覆ることはない。
アルシェが視た光景、それは例の街道で盗賊と混じり地に伏す王国兵の姿だった。その中には専属騎士であり一番の忠臣でもあるサーナの姿もあった。
(ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいっ……私にもっと力があれば…ッ)
それを見た時は膝から崩れるような感覚に陥ったが、何とか踏み止まった。
非情な話だが、アルシェはサーナ達があの謎の男に勝つのは難しいと考えていた。戦場の空気を知らないアルシェですら感じた、どうしようもない力の隔たり。
あのサーナが怖じ気づくような相手だ。特殊保持者である彼女が勝てないとなれば彼女の部下にも勝ち目はないだろう。
それが分かっていたから自分を逃がした。時間稼ぎとして、あくまでアルシェの為に。
何時もどんな時にも側にいて護ってくれたサーナが自分だけ逃がしてあの男と対峙した時には信じられないと思った。その意味が分かった時、アルシェは救うことを半ば諦めた。
だから現場を視た後は数秒の沈黙はあったものの、自分のやるべき事を優先し湊の元へと駆け込んだのだ。
そこまで詳細には語らず、しかし湊が納得する説明を言葉を絞り何とか口にする。
「私の護衛は誰一人立っておりませんでした。敵がわざわざ生かしたまま立ち去るとは思えません。ですから……そういう事です」
「アルシェ…何を言っているんだ」
だがアルシェの【固有能力】を知らない湊は当然の事ながら反応に苦しんだ。「千里眼」などというお伽噺的な能力を理解しろと言う方が無茶なのだ。
しかし今のアルシェの精神状態ではそこまで頭が回らない。心に余裕が無いため自分がやるべき事だけを淡々と言い綴る。
「カナエ様につける護衛がなくなってしまった以上、私達で身を守らなくてはいけません。ならば無理に動こうとせず、このまま隠れて回復に専念することが常套だと判断致します」
「…ちょっと待て」
「何ですか?」
湊に笑顔を送るアルシェは悲しい程に穏やかだった。しかしそれは無理に取り繕った“嘘の”表情だった。
(止めろっ……お前だけは俺にそれを見せないでくれ…っ)
当然ながらここでも湊の眼が反応する。盗賊相手に交渉してた時と同じく“嘘”で塗り固められた笑顔を張り付け、必死に感情を押し殺していた。しかし分かってしまうのだ、自分に“嘘”は。
皮肉なことに湊を諭すつもりで偽ったその行いは、逆に彼から冷静さを奪うことになる。
「じゃあ俺は守れなかったのか? お前との、約束を」
「ご自分を責めないで? 私共が襲われてからカナエ様が召喚されるまで時間がありました。元々可能性は低かったのです」
「けど…!」
ギリリと奥歯が鳴った。全てを許す聖母のような笑みを浮かべているが、それが逆に気持ちを落ち着かせてくれない。
――あぁ、まただ。また彼女はこの顔で誤魔化そうとしている。
そうだ分かっていた。そんな可能性があるぐらい。アルシェに「助ける」ではなく「助けに向かう」と言ったのもそれが理由だった。
ただ、危機を乗りきった事で知らず知らずの内に期待を持っていたのかもしれない。
――あかんえ湊。そない無責任な期待は誰も幸せにせんと知ってんはずよ?
そうだ、そんなの愚か者のすることだ。幾ら湊だって時間は戻せない。どうにもならない癖に幻想を抱くなんて、合理的じゃない。そのせいで余計に彼女を苦しめている。
それでも――
「戻ろう、臣下の元へ」
「カナエ様!?」
危ないのは百も承知だ。もしかしたら湊以外誰も望んでないのかもしれない。アルシェは湊の安全が第一だし、彼女の護衛も戻って欲しいとは思わないだろう。
斯く言う俺も、ここまで献身的にしてくれたアルシェを危険に晒したくはない。それにもしかしたら辛い現実を後押しするだけかもしれない。
それでも心の中で泣いているアルシェをそのままにしておけなかった。
「駄目ですそんなの! 今だって魔力が枯渇する寸前だったじゃないですか! 大人しく休んでいてください!」
だがアルシェも普段出さない大声まで出して反対の意を唱えた。湊が己の為に動くというなら、全力で引き止めなければならない。湊を支える事に全てを捧げたアルシェは常ならば絶対にしないであろう彼の拒絶までする。
「そんなこと望んでいないんです! カナエ様が無事なら私はそれで…!」
彼を称え天命を果たしてもらうのが「聖女」の称号を賜ったアルシェ自身の使命だ。
彼女の持つ二つの使命が、ここで湊を通すわけにいかないと警鐘を鳴らす。
「大丈夫だアルシェ。なにも正面から向かうわけじゃない。こんな森の中なんだ、少し遠回りすれば抜け道は幾らでもあるだろ」
「いけません! それにどれだけの危険が伴うかっ…、もし御身に何かあったら私はもう…!」
本音を言うなら今すぐにでもサーナ達の元へ向かいたい。たとえ一人だったとしてもだ。だがそれは許されない。己が役割を見誤ったと考える彼女は失うことを極度に怖がった。
「私はカナエ様が無事ならそれで良いんです。喩えこの身が尽きようと、私の信じた人が無事ならそれで…」
「それで俺が納得すると思うか? そんなの俺は望まない」
互いが互いを思いやり一歩も引かない状況が続いた。
正直な事を言えば、湊もどうしてここまで彼女に思いを強いるのか計り兼ねていた。
凄くできた子だとは思う。人より上の立場にいながら腐らず、誰かのために心を痛め自分の身さえ投げ出そうとしているのだから。愚直とも取れる誠実さが眩しくて、それと同時に危うくもあるからついつい庇護欲を掻き立てられてしまう。
だが所詮は他人。元の世界に戻れば会うことすら無くなるというのに、どうして自分は彼女の為にそこまでしてあげたいのか。
ただ彼女から出る“嘘”を見たくないというただそれだけの理由で。
「アルシェの言う事が仮に本当だとしたら、野晒しに曝したままというのは流石に可哀想だ。せめて彼らの遺品だけでも回収してあげないと」
「そ、それは…」
その一言で事態は思わぬ方向へと傾く。均衡を破るべく別の視点から切り込んだこの発言が、アルシェの心に予想外の反応を起こしたのだ。
湊の言葉に戸惑いを見せ、やがてそれは一筋の光となって暗澹とする心を刺激した。
(そう、か。無力な私でもまだ出来ることはある。それを遺族の方々にお返しすれば……、でもやっぱりダメです! あんな所に今のカナエ様を向かわせるなんてっ)
湊は自分の考えを
それはあの森での逃走から――いやもっと昔からあった羨望、憧憬、重圧など。総じて〝劣等感〟という負の感情だ。
(けど守られてばかりはもう嫌なのっ! カナエ様だけじゃない、国の皆の心を私は守るんです。その為にはせめて遺族の方に償いだけでも。親族を亡くした皆さんにせめて報いる努力をしなくては…!)
バッ、と音が鳴る勢いでアルシェが顔を上げた。それに目を瞬かせると…
「ならば私一人で行かせてください! カナエ様はここでお身体を休めて下さいませ!」
アルシェがとんでもない事を言い出した。
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