一先ずの決着

 元より人とのコミュニケーションを得意としないアルシェにとって、他人の…それも男性と肌で接するなどこれまでの人生経験で皆無だ。

 辛うじて幼少の頃に父との記憶があるだけで、それも心の成長が進みスキンシップに抵抗を覚えてきて以降は慎ましやかに振る舞ってきた。

 当然ながら大陸きっての王女であり聖女でもあるアルシェに不埒な真似を仕掛ける輩も居ない。そんな大それた行動を働こうものなら、不敬罪として厳重な処罰が待っている。況してやあの姉の事だ。喩え相手が他国の人間でも貴賤問わず打ち首に処するだろう。


(~~~~っ///)


 つまり心の中でも言葉が出ないのは仕方なくて、そうした初心な反応を楽しむ湊は本当に性格が悪いと思う。しかし無理に抵抗しないところを見るとアルシェも満更では無さそうだ。


 暫く身悶えるアルシェと、それを見て笑みを雫す湊の何とも言えない雰囲気が辺りを包み込む。が、鬼の形相で湊を睨むスヴェンの我慢の限界は近かった。


「ハァ、ハァ…クソがぁ…!」


 二人はそれを柳に風と受け流している。いや、湊の方はわざとだがアルシェに至っては本気で気付いていない。最早彼女の瞳には湊しか写していなかった。


「お、俺の…俺の――っ」

「もう一度だけ言う。アルシェは俺のモノだ。よって手出しはさせない」

「はい…、はいっ! わたくし…私はカナエ様のモノです。他の誰の女でもない、私の全てはカナエ様と共にあります!」


 腕に乗せたアルシェがその形のまま抱きついた。首に彼女の柔らかい感触が当たり、湊も応じて抱き締める。そうしてアルシェの至極幸せそうな顔を眼に焼き付けると、静かに悦に浸った。


「ぐうっ…! う、ぅぅ…うおおーーーうぐっ!!」

「さっきから五月蝿いぞ。少し黙れよ」


 怨嗟の籠った眼差しを向けてくるスヴェンを鬱陶しげに睨み、何かを為される前に空いた右手から水の初級魔法《水砲弾アクアバレット》を撃ち込んだ。その際うっかり〝霊力切れ〟になるのだけは避けておく。


「ま、魔法っ! 何でだ!?」

「喧しいさっさとくたばれ。 《水砲弾アクアバレット》」

「げぶうッ!」


 相手の体勢が整う前に次々と撃ち込んでいく。初級魔法とはいえ普通の木くらいなら陥没させられる程の威力がある。スキルで補っているとは言っても、これだけ撃ち込まれたら流石に痛いだろう。


 湊が躊躇いなく魔法を連射することに戸惑うスヴェン。それはアルシェも同じ気持ちで、魔法が撃ち出されるのを呆然と眺めていた。

 

〝召喚されたばかりの人間が魔法を使った〟


 これはまだ分かる。普通なら才能ある者でも簡単な魔法一つ習得するのに二日は用するが、来て早々【固有能力】と【特殊能力ユニークスキル】を発現した規格外カナエならそれくらい出来てもまぁ納得できる。


 しかし先程まで魔力枯渇に陥っていたのに、今は余裕綽々と撃ち続けていることがおかしいのだ。いくらレベルが低く魔力の絶対量が少ないとは言え限度がある。

 湊がダウンしてから今に至るまで僅か十分程度。これでは回復も間に合わず本来の量の二割にも満たないだろう。


 魔力の代わりになるモノが無ければ、だが。


 そう、この仮定こそが湊が自分の足で立ち魔法を撃てている理由でもある。

 そこに至るまでの経緯に湊の【天付七属性】が関係しているとは、彼以外知る由もない。


 話を聞く限り【固有能力】なるものは極小分の確率で発現するものだと推察できた。だから今回初心者の湊がそれを使うのは危険だと判断し自粛していた。

 しかしここにきて魔力切れを起こし、且つ【黎明の双刀】でも対処し切れない事態。この状況では他に言えず、仕方なしに【固有能力】の使用を決めた。


 魔力を切らした現状で魔法を使えるかは聞いてなかったが、湊はステータス欄の「魔力」の他に「霊力」なるものがあったのを覚えていた。それを使えないか試めしていたのがつい先程のこと。

 実を言うと、湊は先の戦闘でも「霊力」にずっと意識を向けていた。頭で計算を組みながら、同時に刀も振るっていたのだ。


 それは蓮と話したあの何気ない日常に光明を見たためである。



――ねぇ蓮


 ん~? 何だ?


 この魔力変換ってどういう事?


 おっ、何々!? お前とうとうライトノベルの面白さに気付いたのか!?


 手を止めないで。続きを解きながらな。


 へいへ~い。で、何? やっぱ魅了された? だろうな~。俺だってそうだったし。一目見て惚れたよ、アレは。


 いや、そういうことじゃない。ただこの魔力を変化させるっていうのが気になって。


 ?? またおかしな部分に目をつけたな。


 自分の魔力を変質させて残量切れから回復したり、仲間に与えたりするのって必要な事なのか?


 あぁ必要だよ必要。 もうダメだ……ってなった時に力が溢れてパワーアップするのは燃えるだろ最高に。


 …ご都合展開だ。


 い、良いんだよ! 小説は面白可笑しくしてナンボなんだから!


 この仲間が危機だから都合よく魔力を受け渡して最後を決めるっていうのも…


 おお、ありきたりだな。


 それも良いんだ。


 いいか湊。お前には圧倒的に遊び心が足りない。ユーモアとも云うな。


 まぁ…否定はしないけど。


 大事なのはイメージだ! 世界を広げろ!

最後は楽しんだもの勝ちだぞ!?


 分かったから顔を近付けないでよ。あとここの計算半分間違えてる。


 ふぎゃっ!――




(大事なのはイメージだ。身体の底から力が溢れている感じはある。この感覚を掴んで意図的に引き起こせるようになれば……)


 そうして何度も何度も繰り返し調整を行ってきた。幾ら才能があろうとも、未知の力を使いこなすのは容易ではない。実際湊だからここまで出来ているが、これが他の人だと無謀も良いところ。絶対に途中で匙を投げ出す。

 そうしていく内に徐々にだがコツを掴み始めていった。直感的に「霊力それ」が「魔力」よりも洗練されていると分かると、他に向けていた思考をそこに集め急ピッチで事を進める。

 だが「霊力」を「魔力」の代わりとして身体を動かそうとした時、つまり終わりの段階に差し掛かる最中になって、アルシェが襲われた。


 そしてその瞬間何かがキレた。


 それはもしかしたら・・・・・・怒りだったのかもしれない。幼気いたいけな少女が汚い男に乱暴されそうになるのを見たのだから、普通はその他の感情なんてあり得ない。

 だが少なくとも湊は違った。彼の心に蠢くモノ、それはとてつもない不快感だった。怒りと似たようなにも感じるが、その中身はまるで違う。普通ならスヴェンに向かうであろうその矛先も、どういうわけか危機に瀕しているアルシェにまで向けられていたのだ。


(ざっけんな。なに俺の女に手ェ出してんだ殺すぞ。アルシェも簡単に接近を許してんなよ。そんな時の【結界魔法】だろうが)


 等と、割りとどうしようもない思考に陥っていた。因みにアルシェがそれを使わなかったのは勿論湊のためである。


 キッカケはどうであれその瞬間、身体の内にある臓器の更に奥から止めどなく溢れてくるモノがあった。それは全身を巡り、酷い倦怠感を催すどころかむしろ枯渇前より万全な状態となって復活したのだ…!


 そう、髪を貶された事だけが復活の要因ではなかった。勿論それが発端にあるのだが、スヴェンがアルシェに向ける汚い視線と言葉による苛立ちが最後の後押しとなった。


 よくある善意でも、激しく打つような怒りでもない。ただ〝気に食わないから〟


 それが湊の持つ【傲慢の証】の影響なのかは不明だが、当の本人にしてみればどちらでもいいこと。先ずは目の前の愚か者を一秒でも早く視界から消さんと猛威を奮う。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 不意打ちには成功したが、それで安心するほど阿呆の湊ではない。先程の反省も踏まえ、レベル一桁の自分と相手の力量をしっかり理解した上でこの場に臨んでいる。

 魔法を発現するのは案外簡単だった。魔法は才能の有る無しで決まるのに加え、撃ち出す時のイメージも既に出来上がっている。ゼロの知識から水を掬って水素エネルギーに変えるようなあの途方もない作業よりは幾分もマシだった。


(恐らく俺一人で相手取るにはまだ実力不足。アルシェの《付与魔法》は……やっぱり止めておくか。扱いきれるイメージが沸かない。何より魔法にも効くのか分からないしな)


 心は熱く、頭は冷静に。髪の侮辱とアルシェへの暴行未遂の件があるが、怒りに身は任せられない。こんな小物に本気になったと思われるのは湊のプライドが赦さなかった。

 

 あーでもないこうでもないと案を出してはすぐに没し、最終的に一つの方法に辿り着く。ただこれも危ない可能性を孕んでいた。何より湊自身、この方法を選びたくないという気持ちもある。

 しかしその他のモノは非常にリスクが大きいゆえ、泣く泣くその案を採用することにした。


(非っ常に不本意だがこれしかないか)


 ジレンマを抱えながらも決定を下すと、思うが早いか湊はそれまで放っていた牽制用の魔法を撃ち止め、消費した分の魔力を回復し始める。


「なんだあ、もう終わりかよ!? チマチマ飛ばすだけで終わりにしてくれるなんて勇者様はお優しいなあ!」


 スヴェンが出来うる限りの挑発をするがそんな程度の低いものに湊は反応しない。男が喋って長引くほど成功の可能性は広がるのでむしろ歓迎すべきだろう。


「ちっ、つまんねえな。張り合いがねえ。……そうだよ、何であんな雑魚が勇者で俺が一般兵なんかやってたんだよ。おれには才能があったんだ。誰にも負けない才能が…」


 湊は力を溜めながら男の変化に目敏く反応した。奴の態度が明らかにおかしい。それは先程アルシェを襲った時に酷似していた。

 アルシェもその変化に気付き身を強ばらせるが、湊がより強く抱き締めてやるとアルシェも笑って応じる。


 理屈ではない。湊が「護る」と言ったのだ。ならばそれを信じて待つのが聖女たる自分の役目だ。それを思い出せただけで緊張に固まっていた肩の荷がほぐれる。


「『身体強化』 『闘圧』!」


 スヴェンが能力を発動すると、さっきみたくオーラだけで見えない鉛を背負ったような感覚になる。


「行くぜえ!」


 身体強化により強く踏み出された一歩はそれだけで地面に跡を残し、辛うじて目が追えるスピードまで達した。

 双刀がない状態でスヴェンと真っ向から交えるのは危険と判断し、湊は今までよりも大袈裟に躱す。そして透かさず《水砲弾アクアバレット》を発射すると、自分は距離を空けた。

 普通ならレベル差があり過ぎて戦いにすらなら無いのだが、ずば抜けた動体視力とそれに対応できるセンスが常識を阻んだ。スヴェンが自らの欲望を満たす為にアルシェを抱える左側を狙わないのも理由として上げられる。


 スヴェンは湊の動きに目を剥くが、すぐに切り替えると魔法を避けて二人に詰め寄ってきた。

 しかし逸れた魔法が着弾と同時に地面を抉り、土埃が舞うと視界不良を起こして行動を妨げる。


「ぐあっ! め、目が!」


(『気配察知』は持っていなかったか。それなら…)


「“風よ、我が矛となれ” 《風薙ぎエアドラ》」


 ある程度見越した湊が右手から鎌鼬を飛ばし、スヴェンへと襲い掛かる。


「聞こえてんだよ!」


 不可視の攻撃はたった一撃の元に叩き斬られた。真っ二つになった風の刃はコントロールを失い別々のタイミングで地面に当たるが、風の性質で先程よりも多くの埃を宙に浮かせた。


「ちぃっ! さっきからちょこまかと。おいっ! 大口叩いといて小細工頼みかよ!?」


 苛立ったスヴェンが罵声を浴びせるが返事はない。魔法や【特殊能力ユニークスキル】ほどではないにせよ『通常能力』にも使用制限(魔力切れ)があるので悠長にしてられない。

 もしこのまま仕留められなかったらその時殺られるのは自分だ。


「“その力を我に示せ” 《走る稲妻ライトニングサンダー》」

「があ…っ!」


 焦る気持ちを嘲笑うかのように、追い討ちをかけてきた《雷魔法》がスヴェンの肩に直撃する。初級魔法なので大した威力も無いが、こうも思い通りに行かないとイライラする。

 湊の『気配察知』に対し格上である筈のスヴェンは相手の居場所を特定するタイプの能力を持っていない。粗雑な性格がここで裏目に出た。


「あ”あ”ぁーーッめんどくせぇ! それがどうしたってんだ!? こんなもん吹き飛ばしてやる!」


 両手でロングソードを構え、それを力任せに振り回して周囲に突風を巻き起こす。

 ただの悪足掻きかと思いきやレベルにモノを言わせたその破壊力は凄まじく、剣圧が風となって今出来た煙を強制的に追い出した。


「きゃあっ!」


 暴風は距離を取っていた湊とアルシェにも届き、湊が壁になることでその場をやり過ごす。


「ったく、品が無い。脳みそ空っぽな原始人の考える事だぞ今のは」

「はっ、だからどうした。ようやく姿を表したな、テメェは今度こそ終わりだ!」


 怒り狂ったスヴェンが親の仇でも見る目ように湊を睨み、切っ先を突き立てた構えで突進してこようとする。

 しかし湊は動じない。おまけにその顔はとても満足げであった。


「悪いがもう終わりだ。お前が暴れたお陰で予定より早く仕掛け終わった」

「死ねえ”ぇ”ーーーッ!」


 湊の話を聞かず攻めの一手を繰り出してきた。男の行動を見て口許が綻ぶと、アルシェをそっと降ろし両手・・で魔法を唱えた。


「“汝、敵を退く風とならん” 《暴風圧》」


 前から大気を響かせる程の風が生まれ、一歩を踏み出したスヴェンの行く手を阻む。


「んが……ぐぎぎぎぎっ!」


 それは小さな台風となって男だけでなく近くにあった木々の葉、幹をグラグラと揺らし折れた枝が風の向きに従って崖に投げ出される。


(そうか! 奴の狙いは俺をここから落とすこと!)


 思い至った結論にハッと息を飲む。土煙による目眩ましは自分と崖を一直線に並べるための時間稼ぎ。

 まんまと策に嵌まったスヴェンは忸怩たる思いに駆られるが、スキルで底上げし全力で抵抗する。


(奴の魔力量に関しては分からねえが、威力自体は大したことねえ! このまま『身体強化』で押しきる!)


「霊力」を知らない・・・・スヴェンは何時切れるか分からない限界を待つよりも、自分で抜け出す方が良いと考えた。

 攻撃性も何もない、風力のみに特化した魔法だが、ここでもレベル差がモノを言う。下に投げ出される事なくその場に踏ん張るスヴェンに湊は眉を吊り下げた。


(終わらせてやるよ勇者ァ!!)


 今度は男がニヤリと笑みを浮かべて力強い一歩を踏み出す――


――ビシィッ!


(……あ?)


 踏み出す……と、下から・・・何か裂けるような音が聞こえた。かと思うと目の前の地面が円形に割れていく。つまりスヴェンが立っている場所を中心に亀裂が入っていく。


(な、な、なあっ!?)


 その光景にギョッとして目を見開くと、その視線の先に相変わらず此方を莫迦にした風な湊の顔が目に入った。


(あ、あの野郎……まさか、!?)


「最後まで気付かないとか、やっぱり猿だな」


 その端正な顔を嘲笑に歪め、冷たい眼差しを向けてくる。そしてアルシェの《付与魔法》を乗せた身体で目一杯脚を伸ばし――


「落ちろ、奈落にな」

「わ、やめっ…!」


ドン! …ビシイィ……ッ!


「あっ…ぐぐ、クソお”ぉ”ーーーーッ!!」


 地表ごと崖下に落とした。

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