戦場に灯る二火の罪

――今、コイツは何と言った?


 紛い者……紛いモノ。つまりは偽物と言ったのか?


 何を?


 なんて聞かなくても分かる。盗賊こいつ等の口ぶりから推察するにこの銀髪の事だろう。

 つまりはアレか? アイツは俺が顔も知らない誰かに似せたいが為に態々この髪色にしていると?

 その為にあの塵屑クズはこの髪を否定していると、そういう事だろうか。


 湊の持つ白銀の髪は他人がそうであるように――いやそれ以上に並々ならぬ思い入れがある。これは彼の誇りであると同時に証でもあるのだ。自分と母とを結ぶ何にも代えられない深い絆の証。

 それを奴は否定した。偽物だと言った。



 人には言われて怒ること、されて嫌な事が必ずある。大抵はその後仲直りして、また何時もの日常へと戻るのだ。

 だが隅に修復できないところまで行き着いてしまう事がある。ならばどうしてそれは起こるのか。なに簡単なことだ。初めからその二人は良好な関係など築いていなかったのだ。表面上そう振る舞っていただけで、二人の間にお互いを思いやる気持ちはない。


 湊が蓮以外で友達を作らなかったのもそれが理由だ。抑々人に興味がないから友好的に接したところで無碍に扱われるだけ。尤も彼の場合、幼い頃から周囲との違いを理解していたので一概に当て嵌まるとも言い難い。

 湊の認識で物を例えるなら、「人間と猿の間に線を引く」が感覚的に近いと思う。猿に食べ物を盗られて本気で怒る人間が、果たして幾らいるだろう。苛立ちは有るだろうし、怒鳴る人も珍しくない。人によって反応は様々だが、結果的に話が通じないからと諦める者が殆どだ。怒りというのは対等の相手にしか成り立たない。湊が周囲に抱くのもそれと同じだ。


 だが稀にそういった天則から外れる事例がある。その場合待っているのは和睦ではなく自然の摂理に則った理不尽な死だけ。

 龍の逆鱗に最初に触れた者は、何故龍がいかったのか知らぬまま死んだ。生存競争で劣る弱者が虎の尾を踏めば、食われる運命を於いて他に辿る道は無い。

 今スヴェンが起こしたのはそれに近かった。湊の胸中にあるのは現在、先程までの生温い怒りでも苛立ちでもない。ただ純然とした殺意だけを募らせた。

 この際何でもいい。奴を殺せるならどんな方法や手段だって使ってやる。


「は、はは……」


 思わず笑みが零れる。しかし俯いたままの瞳からは光を一切感じず、その嗤いは相手を貶める時の嘲謔を思わせた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 あれからずっと黙っているが、スヴェンにはそれが何処と無く嗤っているように見えた。その様子にどこか薄気味の悪さを感じるが、湊が諦めたのだと思い納得した。

 そしてこうも思った。勇者と言えど所詮は青二才、自分の敵ではなかったと。


 確かに最弱とは思えぬ程の立ち回りを演じてたし、途中ヒヤっとした場面もあった。実際脇腹に決して浅くない傷を付けられたくらいだし、速さだけなら自分をも上回っていた。

 だが逆に言えばそれだけ。立ち回りが見事だろうと最初から本気でやれば容易く捩じ伏せられたし、傷を付けられようと致命傷には至らなかった。

 そもそも最初の時点で馬鹿正直に戦力を小出しにさせたのが間違いだったのだ。初めの超スピードもアルシェが魔力を切らしてから使っていなかった訳だし、要は全員で畳み掛ければそれで終わっていたではないか。


 そう思い皆に命令を発したリドルを見るもいつもの高飛車もどこへやら。呆然と此方を見ているだけで自慢の頭を働かせている様子もない。


 そうだ、コイツはこんな奴だった。常に自分のやり方を押し付け、力がない癖して尊大に振る舞っていやがった。かしらのお気に入りだからっていつも此方を見下して――


 高速に移ろうスヴェンの激情はその後も続く。

 満足感から始まった感情は嘲笑、侮蔑、怒り、〝嫉妬〟へと昇華していき、その対象も湊、リドル、そして“元”頭だった男にも及んでいった。果てには自分を才能無しと嘲笑ったかつての仲間も浮かんでは消える。


 まるで決壊したダムのように溜め込んでいた鬱憤が吐き出され、その後も止まることを知らない。

 固く握った手からは血が垂れ血管は浮かび、意味もなく歯をガチガチと鳴らした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 俯いたままの姿勢で先程から動かない湊。それと醜悪な笑みを浮かべたと思ったら今度は近付くのも危ない感じになっている男を交互に見やると、アルシェは不安を感じ湊の耳元に声を掛けた。


「カナエ様」

「……」


 それでも反応を示さないと、少しの逡巡を挟んでからすぐにここを離れると決めた。

 本来なら魔力切れを起こしている時はあまり動かさない方が良いのだが、この状況に危機感を覚え判断を下す。脇から頭を入れそのまま肩を貸そうとした。がしかし…


「痛っ、」


 慣れない山道とそれにそぐわない上質な靴で駆けてきたものだったから、白魚の如き繊細な脚が二人分の重さに耐えきれなかった。


「こんな……ものっ!」


 それでも彼女は諦めない。逃走に邪魔だと判断するや躊躇いなく脱ぐと、今度は素足で大地を踏み締めた。


「うっ、あ”あ”ぁぁーーっ!」


 何とか立つことには成功したが、その際足の裏に尖った木片が刺さり激しい痛みに襲われる。そのままよろよろと歩き出すが大したスピードも出ない。

 それでも何とかこのままやり過ごせるのではと儚い希望をみるが……現実はそう甘くなかった。


「――くすくす」

「ぇ…――っ!?」


 それまで沈黙を通していた湊が笑いだしたかに見え、視線をそちらに向ける。

 しかしその瞬間、湊に意識が集中したその時に後ろから凄い力で着ていたドレスを掴まれると、そのまま乱雑に投げ出された。


「きゃあっ!」


 幸いなことに土が盛り上がっている場所へ落とされたため怪我はない。しかし顔を上げた先で見た光景にか細い悲鳴を漏らした。


「ひっ、嫌…」

「がはははは!」


 見れば黒人の大男、スヴェンが醜悪な顔を更に凄惨に歪めアルシェを見下ろしていた。

 その醜さと言ったら。女性の不倶戴天の敵である“豚人族オーク”と間違われても何ら不思議でなかった。もしかしたらそれより悍ましいかもしれない。


「あっ、あァ……!」


 声は震え頭も真っ白になる。お城の中で蝶よ花よと育てられたアルシェにとって、その男は最早恐怖でしかなかった。一瞬で背中が粟立ち、足の痛みも忘れてその場を後退る。

 しかし後ろを向いたところでまたもドレスを掴まれ、嫌がるアルシェを無視し思いきり背中の生地を引き裂く。


「ああぁッ、嫌ァーーーっ!!」

「はははははッ! たまんねぇなッ!」


 スヴェンの手はそこで終わらない。アルシェに背を向けられたまま今できた破れ傷にも手を掛け、それが前にも及ぶくらい徹底的に壊し尽くす。

 お陰で何十万という額のドレスがもう二度と着れなくなり、露になった豊満な胸を両腕で必死に隠した。


「ぐすっ……やっ、もうやめて…」

「うおおぉっー、でけェー!」


 アルシェが泣いてお願いするも聞かず、その肉付きの良い身体を舐め回すように視姦した。これほど大きく形の良いものは娼婦であってもそうは居ない。おまけに娼婦と違い儚く純情で、高貴な雰囲気を醸し出している。

 世界に称賛されるこの端正な顔立ちが屈辱で歪むと思うと、それだけで昇天しそうだった。


「こ、来ないで! 舌を噛みま――んむぐぅ!?」

「うるせえ黙ってろ」


 アルシェの警告よりも速く口に何かを詰められる。これで自死するという脅しも封じられた事になった。


「んんぅっ! んんーーっ!!」

「…ははっ、はははははッ!! 見ろッ、王族にも俺は勝った! 世界一だ!」


 意味不明な事を叫ぶ男の下でアルシェも必死に抵抗するが抜け出せない。そのうち体力が尽きると、余りの恐怖に身体が金縛りに遭ったかの如く動かない。

 

「がはははは! 俺は強え、強いんだ! 誰も俺に逆らえやしねえ!!」


 そんな言葉と共に体重を掛けられたからには、もうアルシェに逆らう手立てなど無い。反射的に身体を隠したばかりでそれ以上の抵抗は望めなかった。


「はぁ、はあっ、お、俺の…、俺のもんだぁーーー!!」


 薄っすら涙を浮かべているアルシェに我慢の限界が来たのか、大声で捲し立てると剣胼胝でゴツゴツの手をアルシェの双丘へと伸ばしてきた。


(――カナエ様っ!)


 純潔を奪われる刹那の前、アルシェは湊を想い叫んだ。

 まだ出会って間もないどころか性格さえ掴めない彼だが、自分を優しく気にかけてくれたあの人にこそ此の身を捧げたかった。あの天を突く銀柱の下で見た時から鳴る心の音を、どうか彼にも聞いてほしい。


(助けて、カナエ様ッ)




ゴオ”オ”ヴ---ッ!


「ごがあッ!」

「ふぇ…?」


 アルシェに伸ばされた手が身体に触れる瞬間、横から桁ましいぐらいの轟音を引き連れて風が襲い掛かってきた。

 それに弾かれたように――というか実際に弾かれて、手を弾いた勢いそのままにアルシェの上で跨がっていたスヴェンを吹き飛ばす。不意を食らったスヴェンは一度も地面を転がることなく近くの木に叩きつけられた。

 結果として着ていたドレスが無惨に引き裂かれたものの、アルシェの身の潔白は守られた。


(い、一体何が…?)


 起こったのか。突然の出来事に喜びよりも困惑が勝り呆然と男が飛んでいった方を見つめた。


「大丈夫か?」

「っ!――あ…」

「怖かっただろう。悪い、俺のせいだ」

「あ…あぁ……、」


 上から声を掛けられた時、また胸の音が聴こえた。トクン、トクンと。全身に血を送る臓器が、主の感情と連動するみたいに早鐘を打つ。

 その人物はすっかり萎縮し切ったアルシェの身体を起こすと、口の中の異物を取って微笑んだ顔を見せてくれた。


「けど安心しろ。もう大丈夫だから。今度こそ全力で・・・お前を護る」

「カナエ様っ!」


 声を追いかけた先、上を見上げるとそこにはアルシェが願ってやまなかった銀髪の青年――天宮湊が彼女を護るように立っていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「紛い者」


 たった一言、その一言さえ無ければ湊も本気にはなれなかった。可笑しな話だが、湊はずっと制限を課したまま闘っていた。しかも手を抜くのは今に限った事ではない。


 天宮湊を一言で表すとしたら、「天才」もしくは「鬼才」

 天からの才能と書いて天才、人間の枠には収まり切らない者を鬼才と呼ぶ。これは余談だが、湊は自分の持つ力は全て自分で得た物とし、自らを言い表す時には天才ではなく鬼才を好んで使う。

 他にも奇才、英才、賢才等あるが、どれも彼を象徴する言葉として足りてしまう。ただし逆はどうかと聞かれると彼は否定するだろう。そんな言葉一つに自分が収まる筈ないと。

 

 彼は生まれつき何でも出来た。運動、勉学、趣味、芸術……etc. 全ての事で常人の限界を越え、僅かな努力で頂点へ上り詰めることもできる。

 だが湊はその道を選ばなかった。単純に興味が無いのと、それを為す意味もないから。自分が非凡であることなど、自分だけが知ってれば良い。周りに広めたところで自分に得など無いのだ。唯でさえ目立つのに、それを証明して周りが擦り寄って来ると考えただけで吐き気がする。


 一番になるのが嫌いな訳ではない。むしろ天宮湊という人間ならば当然であり必然の事だと捉えている。

 厭なのはその他大勢に、その他大勢と比べられる事だ。

 何故自分より劣った存在に自分の価値を決められないといけない。それも比べる者同様、自分より遥かに劣る人間と。


 唯一褒めて欲しいと願った母も、もう居ない。


 だから周囲との関係を断ち今まで過ごしてきた。

 才能を使って評価されるのは彼のプライドを刺激し、こんな統制された世の中で真っ当に過ごすのも違うと感じた。お陰で上手い具合に手加減の術を磨くことになる。

 これまで生きてきて、全力で挑む覚悟よりも手を抜く技術の方が先に身に付いたのは彼にとっての不幸だろう。


 しかしここに来てその枷が緩み始めた。普段なら何を言われても適当に聞き流すか、抑々相手にしない。猿の言葉に人が耳を貸さないのと同じ理由だ。

 それをも覆したスヴェンのあの発言はある意味で彼を助ける要因にもなった。湊の前で彼の髪を貶めるような発言は禁句タブーである。


「ふっざけんな。俺が誰に似ようと知ったことじゃないが、この髪を悪く言うんじゃねえよ蜚蠊達磨」


 お陰で色々と吹っ切れて、目の前のブ男スヴェンを倒すこということで考えが単純化した。

 この世界に来てまだ一時間しか経ってないが、最早湊に「遠慮」の二文字は無い。相手が殺そうとするなら此方もそれに応じれば良い。そうでもしないと生きていけないのだから。



「アルシェ、立てるか?」

「はい、問題ありませ……っ、」


 立ち上がろうにも腰が抜けて上手く力が入らない。体勢を維持するのが精々で、腰から下は震えて動かなかった。

 しかし男の湊でもスヴェンの気持ち悪さには一歩踏み出すのを躊躇したぐらいなのだから、実際にその視線を受けたアルシェの気持ちはよく分かる。本当にアレは寒気どころの話ではなかった。


「おっと」


 倒れそうになった彼女を優しく抱き止めると、身体に心地よい重さが掛かる。それを今度は放さずついに抱き締める力を強めた。


「か、カナエ様…?」

「このままでいろ。心配するなって。全力でやると言っても刀を振る訳じゃないから…今は・・

「あっ……はい!」


 邪魔ではないか、という声は出さなかった。それが無粋であることに気付いたから。

 それに今は…彼の温もりが傷ついた自分の心を癒してくれるような気がした。


(あれ…? 魔力切れはどうして直ったんでしょう)


 その事に気が付きチラリと横顔を盗み見る。

 先程までと何か違うと感じるのは気のせいだろうか? 別に高慢な言動が変わったのではない。たださっきよりもずっと自分を見てくれているように思う。勿論それが勘違いかもしれないが、アルシェにはそう見えた。


「ぬおぉらあーッ!」

「っ!」

「ちっ、一々騒がしい奴だ」


 湊が鬱陶しそうにを見る。思いきり頭を打った筈なのにスヴェンは相も変わらず欲望に眼を爛々と輝かせていた。

 濁った瞳でアルシェから視線を湊に移し、それからもう一度アルシェに戻す。


「俺の…その女は俺の物だあぁーーーッ!」


 そんな感情を向けられた当の本人はビクリと身体を震わせた。その事に気付いた湊がアルシェを見据えると、何かを思い付いたようにニヤリと意地の悪い顔を浮かべる。

 そしてアルシェの背中に置いてあった左手をゆっくり彼女の顔に移してやると、それを自分の顔に引き寄せた。


「悪いな、アルシェは俺のモノだ。大体お前如き分不相応もいいところだろ?」

「「!?」」


 その時の反応は両者の心の内を如実に表していた。

 スヴェンは憤り、屈辱にまみれた醜面を晒している。対してアルシェは湊の言葉に信じられないといった表情を浮かべながらも、心の内では何か溢れてきそうなものがあった。

 それと今更ながら自分が男、それも湊と密着していたという事実に顔を紅潮した。

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