束の間の語らい

「ぇぐっ……ヒクッ………」


 あれからずっと泣き噦るアルシェを湊は慰めていた。心の奥に仕舞い込んだ感情を人に打ち明けるのは相当勇気がいるだろう。

 若干の後ろめたさを感じつつも、全てを話してくれたアルシェを感謝の念を込めて抱きしめる。


「お恥ずかしいところを、お見せしました…ヒクッ、幻滅…なさいましたよね」

「別に。幻想を抱くほど一緒にいる訳でもないしな。大して驚くこともない」

「ふふ、そうですよね…」


 キツい言い方になってしまったが今のはアルシェの聞き方も悪い。こいつめ、まだ自信を持てないか。


「ただ…」

「…?」


 目元が赤く腫れ顔色も悪い。だが抑え込んでいた激情を吐露したからか、表情は先程よりも柔らかくなった……と思う。

 アルシェの髪を優しく撫でながら湊は己の意見を告げる。


「これからを知る上ではさっきみたく当たってくれた方が良い。少なくとも上辺だけで語られるよりは信頼できるから」

「これから…ですか?」


 首を傾げるアルシェにわざとらしく驚いたフリをする。


「まさか今の話を聞いた上でさっきと同じ事を言うんじゃないだろうな。馬鹿なこと言うとお前の方こそ置いてくぞ」

「あっ……そ、それはその…」


 蠱惑的な笑みを浮かべるカナエ様を見て、先程までの流れがこの方の思惑通りに進められていたのだと気付きました。これでは私一人で遺品回収に行けそうにもありません。

 しかしながら勝手に話し通したのは私なので文句は言えないのです。


「でもま、何でもこなすように見えて実は結構悩んでたんだな。こんなに泣き虫だったとは思わなかったけど」

「はい…?」


 そんな事を思わせるような要素がどこにあったでしょうか?


「謙遜……ではないか。本当に分かってないらしいね」

「…? はい」

「ならいい。時間を掛けて自分で見つけてこうか」

「えっ、そんな、カナエ様ぁ…」


 縋るように説明を求めるがのらりくらりと躱されてしまう。


「自分を知る上では大事な事だ。俺に聞かず言う通りに従っておけ」

「…カナエ様がイジワルです」

「ははっ、なんだ今頃知ったのか」

「むぅ…」


 戦闘の余韻も抜け、互いに理解し合うようになると遠慮していた空気も薄まっていった。

 アルシェはそれまでの厳格な態度を改め――と言っても元々の性格が性格なので劇的な変化は見られない――、年相応の振舞いが感じられるようになる。雰囲気も張りつめていたのから随分柔らかくなった。


 そして湊も――


「そう言えばカナエ様」

「ん? なに?」

「その…口調が変わっていますよね」

「ん……あぁそう言えば」


 言われて今思い出したとばかりに口を作る。


「お気付きになっていらっしゃらなかったのですか?」

「えぇまあ、気付いたらコロコロ変わっているものですから。一々直すのも面倒で」


 最初に会った時のような慇懃なものではないし、況して【黎明の双刀】を発現させてからの傲慢な物言いでもない。

 実は反応を見てたなど変態っぽいので答えを濁し詭弁を奮った。


「そうですか…」

「落ち着かないですか?」

「はい、どちらかと言えば。勇者であるカナエ様に敬語を使われるなど畏れ多いと言いますか何というか…」


 仮にも勇者を支える立場のアルシェからすると、この程度の敬語でも違和感を覚える。王女であり聖女という複雑な立場に身を置く彼女は、そこら辺の問題にかなり敏感センシティブだ。

 おまけにあの上から命令される感じを何処と無く心地好いと感じ始めていたので、やはり上と下の関係が一番しっくりくる。


「とは言ってもアルシェはこの世界の王族なんですよね。それって不敬に当たるんじゃ」

「全く問題ありません。国によって対応は様々ですが、我が国フィリアムでは勇者たるカナエ様は父である国王陛下にも匹敵する地位を有す、と定めております。逆に私の方が不敬と取られやもしれません」

「……一人の学生相手に優遇し過ぎじゃないですか?」


 それだと蓮みたいな奴が調子に乗りそうだな。


「これも国が定めたことですから」


 憮然とした態度と少し含羞はにかんだその表情に湊が折れる事になった。


「分かった、なら今まで通りいこう」

「そうですね…、まだ少し違和感はありますがそれくらいでしたら私も。ただ…」


 まだ何か言いた気なアルシェの顔を覗き込む。すると途端に顔を染め声にも色を帯びた。


「何か可笑しな事でもある?」

「い、いえ! とても素敵だと思います」

「ありがとう。でも隠し事は無しだよ?」


 そこのところしっかりと釘を刺す。


「あうっ……で、では恐れながら一つ質問を宜しいでしょうか?」

「うん。何?」


 そこで手を胸に置いて空気を多く吸い込むと、いかにも覚悟を決めたという感じで声を発した。


「さっ、先程の私が“希望”とは一体どういう意味で仰られたのですか!?」

「…は?」


 思わず、といった感じで疑問符を返す。つまりはそういう事だろうか。


「それって、さっき俺がアルシェに言ったやつ?」

「は、はい! あの時私なんかが希望だと仰って下さいました。失礼ながらその真意をご聴文に預かりたく…」

「うん、良いよ」

「思いまして――って宜しいんですか!」

「別に隠す事でもないしね。知りたい?」

「ぜ、是非!」


 パアァっと花が咲く笑顔を作るアルシェに思わず頬が緩む。本当に彼女はどんな表情も抜群に可愛いのでついつい見入ってしまう。


(蓮のやつアルシェに会ったらリアルに気絶するんじゃないか。これは反則だわ)


「カナエ様…」


 上目遣いで控え目に袖を引っ張る様子にクリティカルなダメージが蓮(の脳内イメージ)を襲った。多分彼はもう起き上がれない。


「じゃあさ、言う代わりに俺のお願いも聞いてくれるか」

「はいっ! なんなりと!」


 湊から要求を貰うのが余程嬉しいのか、目をキラキラさせて言葉を待つ。その姿がまるで子犬のようだと密かに思った。


「なら、アルシェも言葉遣いを少し緩めてほしい」

「…え?」


 信じられない事を聞いた気がする、という感じでフリーズする彼女を楽しんでから如何にも忘れてたという風を装って補足を付け加えた。


「何も一からやり直せって訳じゃない。そっちにも立場ってものが有るだろうし。ただ、もう少し砕けた言い方にして欲しいだけだ」

「は、はぁ…」

「知りたくない?」

「ぜ、善処します!」

「なってない」

「頑張ります!」


 といった感じにお互いの口調も決まった所で、アルシェが待ちきれないとばかりにそっと詰め寄ってくる。

 それを見てやはり子犬だと笑みを溢した。


「それでアルシェが俺の希望ってのはだな…」

「(わくわく)」

「その……親友、ってことだ」

「……はい?」

「だから、アルシェは俺の親友っていう意味で」

「………」


 まさかの回答に笑顔のまま固まる。湊は湊で正直に打ち明けたのだが、その時になってあの時の自分がどれだけ恥ずかしい事を囁いたのかを思い出しアルシェの表情を見るどころではなかった。

 

「カナエ様。カナエ様は私を“自分のモノ”とも言ってくれました。あれは一体どういった意味なんでしょう」


 しかしその位置付けに納得いかないアルシェがここで追い討ちをかける。


「あれはだから俺の女イコール女友達って意味だ。少し誇張したが言葉の綾ってやつだな」

「言葉の…綾、ですかそうですか……」

「あれ? アルシェ?」


 目に見えて落ち込むアルシェに首を傾げる。それというのも両者における“友達”の認識の程度に差が出ており、それがアルシェに誤解を与えていた。


 湊が親友とするのは心の底から信頼する者だけである。故に数時間や其処らで友達になど普通はならない。唯一無二の親友だった蓮も、一年の観察期間を経て漸くといった感じだ。

 まして女性であるアルシェならばその意味合いもだいぶ違ってくる。湊の中では既にアルシェを“それ以上の相手”と位置付ける一歩手前まで行っているのだが、当のアルシェにそれが伝わっていない。

 そのため両者の考える親密度に差が生じてしまっている。


(うぅ…私なんかが期待して烏滸がましいにも程がありました)


「あ、ちなみにだけど俺の友達って元の世界で一人だけだったから。それも男の」

「カナエ様っ!」

「うわっ…っとと、アルシェ?」


 しかしその誤解は意外と早くに解消した。それを聞いた途端跳ねるように抱きついてきて、困惑しつつもアルシェが凄く嬉しそうなので黙って頭を撫でる。


「私、カナエ様の友の名に恥じぬよう精進しますね!」

「あ、あぁ」

「ですから、その…」

「ん?」


 頬を真っ赤に染め上げて恥ずかしそうにするアルシェに何だか嫌な予感がして背中が疼いた。そしてその予感は的中する。


「えっと……そ、その…最後にもう一度仰って戴けませんか? その……先程の言葉を」

「………」

「もっ、申し訳ありません、余計な事を申しました! どうかお許しをっ…」

「アルシェ、俺にはお前が必要だ。俺の希望になれ」

「はうぅっ///」


 湊の精神がゴリゴリと削られていく。どうやら聖女姫様はまだ勇者を逃す気は無いらしい。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「さて。これだけ言えば俺の同行は許可して貰えるんだよな」


 先の一件から立ち直った湊が凄く良い笑顔でそんな事を言ったからにはもう何も言えない。

 達観したような顔を浮かべるアルシェも首を横に振ることはしなかった。


「…致し方ありません。ですがこれだけは約束してください。何かあればすぐに逃げるように、と」

「了解。俺も死にたくはないからね」


 口では仕方ないと言いつつ瞳の奥からは喜びが滲み出ている。押し寄せる歓喜に平静を装うので精一杯だ。今では湊の一挙一動に目がいく始末。


「あぁそれと、不用意に近付くつもりもないから。ちゃんと案内も用意してあるし」

「案内、ですか?」

「ほら、あそこ」

「……あ」


 湊が指差した先。そこにいたのは自慢の古代級魔道具アーティファクトを見破られた上に、みっともなく失禁したリーダー格の男――リドルであった。湊とスヴェンの戦いに巻き込まれ今は完全に伸びている。

 その姿を視界に入れた途端アルシェが怯えた目で彼を見るが、湊が手を握って落ち着かせた。

 未遂で終わったとは言え身の潔白を脅かされたトラウマは簡単に落とせるものでもない。この時点で軽い男性恐怖症――勿論湊は除く――に陥っているアルシェに元凶の一人を頼ると言うのは少々酷だろう。


(まぁ用が終わったら殺すからそれまでの辛抱だな)


 (誠に遺憾ながら)何故そうまでして奴を頼るのか。簡単に言えば情報が欲しいからである。

 当然裏をかくための道も知っておきたいがそれだけではない。敵の人数と、その内生き残っていると思われる連中の顔、強さ、能力、使っている武器など様々ある。

 最初の連中とブ男スヴェンを比較すれば奴ほどの相手そうそういないと分かるが、油断に繋がる妥協は一切しない。

 微に入り細を穿つの心意気でなければ結果的にアルシェを苦しませる事に繋がるのだから。


「あの、カナエ様?」

「ん? あぁごめん、ちょっと考えに耽ってたみたいだ」

「あ、いえ…! 私の事を心配してくれたんでよね。でも大丈夫です、カナエ様が一緒なら」


 その言葉は嘘偽りない本心だった。喩え二人でも横にいてこれ程安心できる人はいない。その彼に頼りにされていると思うと、長年燻っていた負の感情が嘘のように軽く感じられた。


「行きましょう。どうしても避けたい相手が一人います。先ずはその方の情報を聞くべきです」

「あぁそうだな。…っとその前に」

「…?」


 湊が着ていたカーディガンを脱ぎそれをアルシェの肩に掛けてやる。一瞬たりともリドルの視界に入れないつもりは無いが、それを抜きにこの格好のままというのは気が引けた。

 スヴェンに千切られたせいで隠れるところが隠せておらず、見た目に反して大きく育った胸が惜しみもなく晒されている。

 因みに下着はレースを遇らった黒の1/2ハーフカップ。セクシーよりも可愛い系の方が似合うアルシェだが、見えないところで背伸びしていた。その作り込みは細部にまで及び、男の湊でもこれが既製品でないと分かる。


「それを着ておけ。サイズが合わないのは仕方無いとして下着姿は厭だろう」

「ッ~~~~///」


 己の現状を思い出したアルシェが声にならない悲鳴を上げた。湊にその事を指摘されると爆発する手前まで顔を赤くし、恐る恐るといった感じで手を伸ばす。


(良かった。お気に入りのやつだから使わないのも忍びなかったんだよな)


 わりと全ての事に無頓着な湊が大切にする数少ないモノの一つ。蓮が湊を気遣って購入したカーディガンは、成長と共に着るのが難しくなってきた。

 その点アルシェが使う分には丁度良い。身長は小さいが、胸回りでカバーするため大して気にならない。余った袖は捲れば良いし、アルシェにしても湊に包まれているようで至極ご満悦だった。


「問題無いみたいだな」

「は、はい。ですがその……下がスースーします」

「そこは我慢してくれ。流石にズボンは貸せないし」


 脚をモジモジと動かし羞恥に耐える。大事な所までは見えてないが、太ももはほぼ露出している状態だった。

 淑女の手本とも為るべき自分が勇者カナエの前で醜態を晒すなどあってはならぬのに。


「魔力はどうだ? もう戻ったか」

「それはまだ…ですがカナエ様のお陰で回復に専念できました。なので今は六割程かと」

「そうか。俺は元が余り無いからもうすぐで全快だ。使う事が無いよう祈るけどもしもの時は宜しくね。頼りにしてるから」

「っ――お任せください! ご期待に添えるよう尽力します!」


 湊の鼓舞する発言に胸を叩いて応えた。ぽよんっと音がつく勢いで跳ねたそれに目がいってしまい、気まずくなった湊は笑って誤魔化した。

 互いに頷き合って確認を終えた後、アルシェを目の届きにくい所へ移動させる。宣言通りリドルの目に触れさせないためだ。


 アルシェが履いていた靴は脱ぎ捨てた後に湊の《暴風圧》で一緒に崖下へ落ちてしまいここにない。流石に王女様を素足で移動させるのは忍びないので、やはり湊が抱き抱える感じで話が纏まった。

 尚、その事を伝えた時のアルシェの顔が喜びに満ちていたのは言わずとも知れよう。


「よっ、と…」

「カナエ様、その……重くない、ですか?」


 今更な質問に軽く苦笑を漏らすがやはりここは相手を立てるべきだろう。


「いや。アルシェは小柄だし大した苦労もかからないよ」


 強いて言えば胸に立つ双丘分が予想外だったが、それは言わないでおいた。


「そうですか……安心しました」

「何か言ったか」

「いえ。お手数をかけますがまた宜しくお願いします」

「了解です。お姫様」

「あうぅ…///」


 また顔を紅くする彼女を愛らしく眺めながら、近くの草むらに足を進めた――
















「成程、お前が今代の勇者か。中々に良い面構えをしている」

「「―――っ!?」」




 突然現れた男と、スヴェンとは比較にならない威圧感に足を縫い付けられるまでは。



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