第4話

何故繁華街に居たのかは分からない。ただ何か忘れたかったことがあったのは覚えている。肌を刺すような冷気も相まって、この寂れたドアの前に立ち、朽ちかけの階段を下って行く自分がどうしようもなく惨めに感じる。それでも階段を降りるに連れて、重ね着の下の身体の冷たさがじんわりと和らいでいくのが分かる。暖かいというだけでこの胸騒ぎすら無視してしまいそうだ。それぐらい厳しい寒さだった。



キュウナデンワ。イツモトハチガウコワイロ。ブツダン。オイノリ。カミダノミ。イカナキャ。ビョウインイカナキャ。



毎回意図してここに来ている訳ではないが、私はこの日を待ち望んでいた。前回の異様な感覚。店主に何かを言われたような気がする。頭痛。朦朧とする意識。その先に答えはある。



クルマヲハシラセル。ミチバタ。サマザマナランドセルノイロ。カワゾイノサクラナミキ。アザヤカナセカイ。モノクロノシカイ。



相変わらず回廊には人が多い。暗い顔をしている人は誰もいない。笑顔と活気と暖かみに満ちた空間。何も知らない人に見せたら、ここを楽園だと思うかもしれない。でも私は知っている。いや、知っているはずだ。ここには何かがある。



ビョウシツ。アア。コンナニモヨワヨワシクナッテ。メヲソムケタクナルヨウナホネバッタテアシ。クルシソウナカオ。シズカナクウカン。



カレー屋は異様に遠く感じた。と言うより、明らかに遠くなった。こんなに階段を降りた覚えはない。毎回場所を覚えられないのもどうもおかしい。回廊をぐるっと回ってはまた下の階に降りて、を数回繰り返し、ようやくカレー屋を発見した。



ゴカゾクノミナサン。テヲニギッテイテクダサイ。

シンパクスウテイカ。コキュウモヨワイ。



カレー屋に客が居ないことは分かっているし、店主が変わらない笑顔でいらっしゃいということも分かっている。そんなことはもう気にならなかった。次に言う言葉は。そうだ。

「またまたまた、来てくれたね」

予想通りのことを言う店主。さあなんて言ってやろう。しかし店主はそのままこう続けた。

「しかし、今日はせめぎ合っているね」

せめぎ合っている。何がだ。やはりここには何かがある。思い出そうとする。頭が痛い。


マヨナカ。テヲニギル。ツメタクナッテイル。キットオワリガチカヅイテイル。ワカッテイル。テヲニギル。


私は席につくこともせず黙って店主の顔を見ていた。相変わらず店主は表情が変わらない。優しい微笑みの奥に吸い込まれるような黒い瞳。何かを言い出そうにも言葉が出ない。

店主はカレーを作り始めない。じっと私の顔を見ている。私の思考を読み取っているかのようだった。それぐらいは容易くやってのけそうな凄味があった。



ゴリンジュウデス。



今、何か聞こえたような気がする。

「どうやら、君は忘れられない」

店主が言う。



モウソコニハナイタマシイ。ヌケガラノヨウナヒトミ。アナタハモウココニハイナイ。



ワタシハココニイル。

ワスレナイデ。

ワスレナイデ。



「忘れないで」



その時、視界が歪んだ。

声も出せず床に倒れこんでしまった。今までとは違うフェードアウトで、私はゆっくりと気を失った。


気を失いながら、私は気付いた。

停電?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る