HaTTER BaTTER

  § 5


それから、毎日を同じスケジュールで行動している。

午前八時起床。午前十時に居候宅より出て、コキノは森の北にある丘に建つという宮殿で奥方仕えをしている。その間は夜の森の祝宴の庭に一人で待機する。正午に昼退出したコキノと食事し、彼は食事を済ませるとまた屋敷に戻る。午後三時前になるとシャツを着合わせたオリエントモダン装束で帯刀をしたブランが庭に顔を出し、ジャケットスーツ姿に着替えたコキノと合流し、午後三時に國の南東に位置する浜に向かって二人で「巡回」という名の散歩に出てしまう。僕は同行を許されていない。コキノ曰く、午後三時には来訪の者がくるはずだという。 

巡回が終わると、二人は元の衣装に着替えて戻ってくる。そして庭で「平々凡々な茶会」が毎日開かれる。茶会は決まって午後六時に終わる。ブランは夜の森の西側へ、僕とコキノは夜と昼の境の南東側へ、それぞれ居住地に別れる。午後七時半に夜の食事をし、その後は自由に過ごしているけれど、一階のリビングか、もしくは玄関の左手にある畳の間でコキノと一緒にいることが多い。パリは一人暮らしだったが、それまでずっと人と暮らしていたためか、人のそばにいると落ち着く。彼も僕もあまり多く話さないけれど、居心地がいい。


 この國に電気は通っているが、デジタル回線や電波放送機器がなく、かろうじて電話線が通っているだけで、普段は手紙や直接訪問でやり取りをしているようだ。他の住民がどうしているのか知る術は少ない。

 ブランが毎日違う古書を貸してくれるので、それで終日の暇を潰している。自分の携帯電子端末がないだけで、不安感が日々増してゆく。

 この國は太陽と月が両方とも空に上がっていて、不思議なことに一日中ほぼ角度が変わらない‐つまり周回していない‐移動しないのだ。よって視覚的に時間感覚を認知することができず、時計でしか一日を把握することはできない。コキノが定期的に時間を声に出しているのはそのためだろうか。

 日中という認識でいるのに、待機している夜の森のせいで気が付くと寝てしまっていることも度々起きていた。いわゆる時差ボケの感覚に近い。

 茶会が毎日あるという前提で、一日を茶会の回数でカウントすることにした。

 カウントが五回を過ぎた頃より、体が常にだるくなってきた。幾分かはこの独特な雰囲気に慣れるだろうと思っていたのに、どうも違うようだ。慣れたものといえば、衣装の着方と彼らのマナーくらいか。

 茶会は一番の娯楽であるが、二人は会話しているようで内容がまったく噛み合っていないどころか、話が平行していることが多い。この國のことについて詳細を聞き出そうにも、謎かけが始まってしまって話の腰が折れてしまう。

 僕がこの國と二人についてはこのぐらいしか情報がない。

 この國に住むという他の人々については、尚更知らない。

 やがて、カウント六回目の午後三時半頃。

 ブランから僕に声をかけてきた。

「預かっていた衣服の直しが終わった。実際に着て確認してもらいたい」

 煙管を銜えながら、伏し目がちに僕を見下ろしてほほ笑んでいた。

彼の場合はにっこりほほ笑むというよりは、いたずらにからかっているような表情で、口角を斜めに上げる癖がある。

「白兎。茶会の準備途中でわるいが、客人を連れて出ても良いか」

 コキノは引き出しから手を離して、胸の時計を見た。

「実は私も四時に宮へ戻らねばならなくなった。臨時招集だ。本日の茶会は無しにしてお開きにしましょう」

言い終わらないうちに、コキノは背を向けて北の方角に向かって歩きだした。

 ブランは去っていく小さな背中をチラと見てから、僕に目を向けた。彼は軽く手招きをして、西側へと先に歩き出した。くすんだ灰色のような緑色の無地の冬羽織越しに、しっかりした背中。

 道中はコキノ宅がある方角の道と違って整備が甘く、草が生い茂り、石もごつごつと表面に浮き出ている。彼の持つ小さなライトがわずかに夜闇を払う。木の葉の隙間から零れた、わずかなチラチラとした月明りを頼りに足元を注意深く観察して、後をついていく。幸い僕の目は闇夜でも景色がぼんやりと見える。

 彼の髪の毛にも月明かりが当たると、黄土色の毛がキラリと反射する。

 祝宴の庭から少し歩いたところで、開けた場所に出た。

一軒ぽつんと、二階建て洋風造りの家があった。家の外と建物にはあちらこちらに電灯が付いており、二階と玄関の扉の間の壁に大きな看板が掛けてあった。


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「名乗りの儘、如何にも帽子屋風情。さあ中へお上がりなさい」

ブランは表の大きな木の扉の鍵を開け、僕を店の中に案内した。

 店の入口は小上がりの作りで、店内をざっと見渡せば、右の壁から角まできっかり僕の背の高さほどの木製棚が並んでいる。店の中央には二台の腰の高さほどの細長い机が人が通れる幅で並んでいる。床も同じようなレトロな色合いの木材で室内に統一感がある。

棚の中や机には等間隔に帽子が並んでいて、まるでギャラリーの雰囲気で、帽子がとても美しく見える。どれもよく見るとちょっとずつ帽子の種類が違っていて、ひとつとして同じものはない。

 更に左側に視線を移していくと、小棚があり、当然そこにも帽子があるのだが奥の部屋との目隠しの代わりになっている。先には作業するであろう大きな机とミシンがチラリと見える。

 大きく広い窓が正面側と作業場に配置され、窓からは夜空がうっすら見える。厚ガラスのアンティークデザインの電球燈が、天井や窓、棚でぼんやりと室内を照らしている。必要な場所に灯りがあるので、暗いとは感じない。

 ブランは作業場側の一番奥の机のあたりにいた。煙管を置く金属音がかすかに鳴る。

 僕は店側の中央の机の周辺で待っていた。

「お待たせしました。これが直しの終わった洋服だ」

 それぞれ服を受け取った。シャツを見ると、破れの跡は肉眼でほぼ確認できないほど精密に直し縫製されている。

「すごい……ありがとうございます」

 彼はわずかにほほ笑んで、試着室に僕を誘導するなり、また作業場に戻っていった。

ブーツを脱いで試着室に入り、借りていた着物からいつものスーツ一式を体に通す。

あまりにも一日の経過が長かったせいか、懐かしい気持ちにもなる。

 この國にも仕立ての専門機関があり、施設や道具も揃い、技術の伝承がされているのだろうか。着替えつつ、僕が働いていた紳士服販売店のことや周囲の人のことを思い出していた。

 そうだ、帰らないと。

 しかし、どのように?

 この國に港はおろか空港もないようだ。他の旅人は既にいない。どのような手段で外に出られるのだろうか。ブランに、さりげなく聞いてみよう。

 スーツも違和感なく上下ともに着ることができた。支度が終わったので、試着室を開けた。カーテンの開く音を聞きつけて、ブランは帽子の並ぶ壁側の部屋に戻ってきた。

「如何か」

「はい。大丈夫そうです。違和感もなく丈も変わりないです」

「さうか」

 ブランが背丈に合わせて屈み、僕の目を見る。初めて会った時に見た、濃い紫が瞳の奥から滲み広がっている。出会った時と違って鮮明に。黄土色の睫毛がキラリと反射して光る。

 やがて視線をずらし、上体から下肢に向けて視線をおろす。僕の服を観察しているのだろうか。

僕は動かずに試着室の手前で立ち止まっていた。

 ふいにブランがシャツの両襟に両手で触れた。

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好日来来と夢路をたどる Arenn @jyuna01

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