striped gown
まぶしいほどの日の光が差しこむ庭園の、バラのアーチの下を歩いている。
幾重にも続くアーチのその先は見えない。
ずっと続く鮮やかなマゼンダピンクのバラと、くすんだ緑の葉と茎の重なり。
いつもの光景
あまい香り
この庭は懐かしい気持ちになる。
しかしながら、なにが懐かしいのかわからない。
首から下げた懐中時計の時を示す針は方位磁石のように、ぐるぐると回っている。
ここがどこなのか、理解できている。
まもなくか、と思うと、アーチ向こうの光の中から、青いワンピース姿の少女がふわりふわりと走り寄ってくる。
ぎゅっと、胸がくるしくなる。
私は、声がでない。
少女の口元がにこりとほほ笑んだ。
「一緒に行きましょう」
小鳥のように高く、澄んだ声。
その小さなやわらかい手に牽かれて、庭の中を足取り軽く歩き出す。
少女の黄金の長い髪の毛が光に乱反射し、顔の細部、表情を捉えようとしても、光に遮られて叶わない。時折見える、宝石のように輝く青い瞳や薄く紅をさしている唇に、どきりとする。
「アリス」
心の中で呼びかける。
私は、どうしても声がでない。
ここは、夢のなか。
いつも、この時を見計らうように、目が覚める。
どうやら、私は昼寝をしていたようだ。
立襟シャツと肌の合間に汗が伝っていた。
深く息をはき、呼吸を整えた。
自身の手を見た。やわらかなあの手に、たしかに触れた感触があるというのに、この身で一度として触れたことはない。
今は、午後三時半。
定例の巡回が終わり、洋装から着替えたばかりなのに、服が湿っぽくなってしまった。不快だ。
また着替えるのも時間の無駄だから、茶の準備をしようと、椅子から立ち上がった。
すると森の入り口から、にゅっと嗤う猫が出てきた。
「白兎くん、帽子屋から伝言だ。客人を迎える準備を、と」
嗤う猫は大きな口を広げてにたにたと、うれしそうにわらっていた。
客人。心臓が強く鼓動する。
「どのような客か」
「若い男だ。浜に落ちていたんだ」
「そうですか……して、今はどちらに」
「そいつ、途中で倒れたから、薬屋で治療してもらっていたんだ。そろそろ帽子屋が連れてくるはずさ」
「状況は把握した。ありがとう。では、すぐに準備しましょう」
息を大きく吸った。
アリスではない。
少しでも期待してしまうのは、好くない癖だ。正しく状況を理解しなければ。
古い茶箪笥から一等良いカップとポットを出し、別の開き扉からは平時から使っている私たちのボロボロのカップを、順番に長宴卓に並べた。
予感があったのか、昨晩のうちに月の涙は集めてあった。これで上等の茶を淹れよう。
道具などを並べていると、森の入り口に、ふたつの影が見えた。
帽子を被っている影。右側にいるのは帽子屋のブランだ。その隣が必然的に客人。帽子屋より頭一つ分背は低く、瘦せぎすな影。
宴の広間の提灯の灯りをつけた。周囲はぼんやりと明るくなった。
広間に近づくにつれて、客人の姿がはっきりと見えた。衣服は薬屋の患者用寝間着に羽織。
小さな顔の、青い目の少年。そして黒髪の頭上には、私と似ているようで、違う種類の人ならざる耳が生えている!
上座より卓上に飛び乗り、テーブルクロスの上を滑り、客人のいる下座の端まで勢いをつけて、目前に躍り出た。
「お初に御目に掛かります。
私はアルフォデル・コキノ。
我々の茶会へようこそ!
待ち人来たらず、午後三時すぎ。
平時の平々凡々な茶会ではない、
貴方の来訪を祝って、祝月見茶会をしよう」
足元にある、カップのソーサーの端を強く踏んだ。その反動でカップが宙に浮いたのを右手に取った。
客人の瞳の青に、一瞬で我に返る。森の緑が映り込むほど、澄んだ瞳をしている。
「貴方の名は」
「僕はノアール」
「して、ノアール君。用意したこちらの上等のカップを受け取って」
左手に抱えていた、欠けもない一等きれいなそれを恭しく渡した。彼の手は私と同様に小さく、肉薄だった。
彼はまだ緊張した面持ちだったので、ふっとほほ笑んで見せた。
帽子屋も定席に座し、カップを持った。
ポットに淹れたての茶を、客人から順にカップに注いでゆく。
「では、みなで乾杯の祝言を。 好日、来来と! 」
「 好日、来来と! 」
くいと、茶を一口含んだ。蕩けるような舌触りで、蜜のような香り。ふうと鼻から息を深くはきだして、ようやく自身が落ち着いたことを確認する。
客人がいまだに立っていることに気が付く。
「失敬。では客座へご案内しましょう」
食卓から飛び降りて、上座の上等な革の椅子へ誘導した。客人は周囲を見渡している。
私は、客人と向かい合う位置の食卓の上に腰かけた。
「我々は、この奇異國に住まう者で、御覧の通り、毎日、夜の森で茶会をしている。空をご覧よ。どうだい、月が泣いているのが見えるかい?
あの雫とそこに混ざる月の欠片を集めて、茶を煎れるのさ 」
また一口茶を飲んだ。
「茶は口に合いますか」
「はい。初めて飲んだ味ですが、温かくておいしいですね」
客人はようやく笑顔を見せた。
「我々はこの國から出ることは叶わない身なのだが、時折こうして旅人が迷いこんでくる。彼らの冒険譚に耳を傾けることが、我々の唯一の娯楽だ。その者たちは、突然どこからか現れ、いつの間にか居なくなる。久しく留まる例がない、而して、君の話も聴かせてくれないか」
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