難はみかげ
サンダルウッド
第1話「水滴」
水滴を見て、
冷蔵庫から取り出して間もないビール缶は、ふれるとすぐさま、指が砕けそうなほどの凄絶な刺激をもたらす。
水滴は涙みたいだと、直之は思う。
成分を同じくしても、しかし同じものはひとつとして存在せず、それぞれに悲しみとか憎しみとか諦念とか、幾多の感情が投影されているように見えた。拭えば形は崩れても、それが生じたという事実までもは払拭できない。
そうして水滴を視界に入れると、直之はいつも取り返しのつかないことをしたような自責感と、同時にそれ以上の現実感を覚えた。開け放したままの冷蔵庫が、冷気とともに耳ざわりな警告音を振りまいている。
あの夜の
赤坂見附の中華料理屋――
慰めとも謝罪ともつかない心持ちで、直之はそっと右手を出して頬にふれる。美咲の頬は、紅涙を振りしぼって熱気を帯びているはずなのに、しかしひんやりとしていた。
夜風や水滴による
冷蔵庫を閉め、ビール缶をあける。人差し指の水滴が、プルタブの先端をわずかに濡らす。ぷしゅっ、という間の抜けた音が、自分のほかにだれもいない室内に大げさに響く。口をつけると確かに喉は冷やされるが、スーパードライの爽やかな苦みは、どれだけ飲んでも過去の遺物のように感じられた。
土曜日の朝は、直之を憂鬱にする。
多くの人々がもっとも活気づくであろうその時間帯は、でも直之を
ベッドサイドワゴンに置かれた
目覚ましの音を聞いて、不快に感じなかったことがなかった。無機質でかん高く、
手をのばすもわずかに届かず、結局むくりと体を起こす。上部のボタンを押したあと、裏側のスイッチを切り替えてオフにする。
文字盤を見ると、六時五一分と表示されていた。今日は休みだというのに、昨夜間違えて普段と同じ時間に目覚ましをセットしたらしい。直之はひとつ軽いため息をはいてから、目覚まし時計を所定の場所に戻した。
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