2,世界が幕を閉じるとき

「あれ、なんだか視界がぼんやりしてきた……?」


 笑が言った。突然のことだった。急に視界が霞みがかり、みるみるぼやけてゆく。


「私も。どうしたんだろう、もしかして、新たな脅威の仕業しわざ?」


「そうなの? じゃあ変身しなきゃ。今でも変身できるかな」


「わからない。でも、なんていうか、心地は悪くないような」


「うん、心がぽかぽかしてきて、すごく心地いい」


 優しく吹き上げる、暖かい風。足下のアスファルトも、電柱も塀も住宅も、見渡す限りのすべてがきらきら粒子になって、空へと舞い上がってゆく。青空は光に満たされて、白んでゆく。


 世界が、終わりを告げている。


 笑も幸来も、この世界の誰もが、それを察している。先ほど会ったばかりの精肉店のおばちゃんも鮮魚店のオヤジも、もうすぐそばの家にいる家族も。


 会いたい、みんなに会いたい。最期に、みんなに会いたい。


 なのにどうしてか、身体は一歩も動かない。手は動かせるのに、まばたきもできるのに、足はびくとも動かない。


 世界はただただ白くまばゆい光に満たされて、やがて自分の身体までもが光りはじめた。


 崩れゆく世界は音もなく、ふわりふわりと天へ吸い上げられてゆく。


「ねぇ幸来ちゃん、これ、私たちのせいなのかな?」


 喜びに満ちた世界に、世界を救った本人によって負の感情が生み出された。


 やすらぎに満ちた笑顔に入り混じる、一点の大きな切なさ。


「そうだね。でもね、あのままブラックサイダーが世界を支配したら、こんなにも光に満ちた終わりにはならなかったと思う」


「そっか」


 普段あまり笑わない幸来が慈愛に満ちた笑顔で言うならきっと、それは真実だ。


 人間の奥深いところで幸来に絶対的な信頼を寄せる笑は、内心でそう思った。


 刹那の会話の間にも、世界は更に白んでいった。もう数軒先の家は見えなくなっている。


 自身のものは、靴はもう見えず、くるぶし、スカート、ブレザーの袖が散りほどけている。


 二人が言葉を交わせなくなるまで、もう2分とないだろう。


「ありがとう」


 いちばん伝えたかった言葉が、笑の口からこぼれた。


「ありがとう、私のほうこそ」


 幸来の口からも、伝えたかった言葉が先に出た。


「天国に行っても、仲良くしようね」


「うん、ずっといっしょにいようね」


 これまであまり感情を表にしなかった分の涙が、幸来から溢れ出す。


「泣かなくていいんだよ、これからもいっしょなんだから。私も、家族も、街の人も、ぬいぐるみのうさちゃんも、ほかの大切な物も、みんないっしょ」


「そうだといいな」


 身が果てた後にゆく世界、いわゆる‘あの世の’存在について半信半疑な幸来。


 こんなことになるならもっと素直な自分であるべきだった、数分後には消えている自分は、今からではとても気持ちを伝えられない。


 もしあの世がなかったら、笑や大切なみんなに『ありがとう、大好き』を伝えられずに終わってしまう。


 そんな激しい後悔に見舞われていた。


「そうだよ。だから、これからもよろしくね」


 幸来の不安を察した笑は、彼女を優しく抱き寄せた。


「うん、大好き。笑のこと、ずっと大好きだから、ずっとそばにいて……!」


 後悔してもしきれない。ならばせめて、いま共に消えゆく笑に、気持ちを伝えられたら。幸来はそう思った。


「もちろんだよ。ずーっとずっと、生まれ変わっても、ずっといっしょだよ」


 優しさに満ち溢れた二人と世界はほどなくして、無へと帰した。

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