ハートフル少女ラブリーピース! ~届け、私たちのミュージック!~

おじぃ

4月

プロローグ:世界を救ったラブリーピース!

「私は我欲のために、いつしか大切なことを忘れてしまっていたようだ。これからは原点に立ち返って、皆が幸せになれる世界を築いてゆきたい」


 改心したブラックサイダーに、ラブリーピンクとラブリーブルーは慈愛に満ちたまばゆい笑顔で手を差し伸べた。


「うん! 私たちといっしょにつくろう! みんなが幸せになれる世界を!」


 ラブリーピースの魔法やパンチ、キックを伴う極めて激しい暴行等により、世界を闇で支配しようと企んでいた悪の帝王、ブラックサイダーの心はきれいに浄化され、世界に笑顔と平和が戻りました。めでたしめでたし。



 ◇◇◇



「ママー、『ラブリーピース』、もうやらないのぉ?」


 1月下旬の日曜日の朝、神奈川県茅ヶ崎ちがさき市の潮風薫る海岸地区に建つ一軒家のリビング。目玉焼きとベーコンの朝食を摂りながら、一人の少女とその母、紗織は『ハートフル少女 ラブリーピース!』の最終回を見終えた。


 通称『ラブリーピース』は、とある風光明媚な街に暮らす小学5年生の少女二人が世界を闇で包もうとするブラックサイダーやその遣いと戦う、ちびっこや大きなおともだちに大人気のテレビアニメ。


 ラブリーピースが大好きな少女、思留紅しるくは、もうじきピカピカの小学1年生。


 普段はお寝坊さんで誰かに起こされないと起きないのに、日曜日だけは自分で起きてテレビを点ける。


「テレビは終わっちゃってもね、ラブリーピースは思留紅の心の中にずっといるのよ?」


 あまり大きくない胸に手を当て、紗織は愛娘まなむすめに言い聞かせる。


「こころの、なか?」


「そう、こころのなか」


「そっかぁ、じゃあ、ずっといっしょだね!」


「そう、ずーっと一緒よ?」


 紗織は願っていた。どうか新番組も思留紅が夢中になる内容で、早起きがきょう限りで終わりませんようにと。



 ◇◇◇



 世界に笑顔と平和を取り戻した元ラブリーピースの二人。変身する機会がなくなってから5年少々の歳月が流れ、二人は現在高校1年生。


 もうラブリーピースのアニメは制作されていないが、その世界はスタッフや視聴者の知らないところで続いていた。


「いっただっきまーす!」


 普通の少女に戻った元ラブリーピンクの一人、桃原ももはらえみ


「お姉ちゃん遅刻するよ?」


 父、母、妹のゆめと食卓を囲う、いつもの朝。メニューはトーストとベーコン、目玉焼き、サニーレタスが定番。笑が目玉焼きにかけるのは塩、醤油、ソース、ケチャップのいずれかで日によって異なる。今朝は塩の気分。卓上ソルトをパラパラと振りかけた。


「はっはっはっ、うちは妹のほうがしっかりしてるなぁ」


「いやいやいやお父さん、私は世界を救ったんだから、その反動でいまこうなってるんだよ」


「救う前からこんな感じでしょう?」


「いやいやいやお母さん、それは禁句!」


 はははははっと四人笑い合う、他愛ない日々。世界は本当に、平和になった。


「いってきまーす!」


「いってらっしゃーい!」


 赤ちゃんのときからずっと住んでいる2階建ての一軒家を、きょうも玄関で気さくな母に見送られ元気に出発。制服姿で閑静な住宅街をルンルン歩いて登校中。


 ゴールデンウィーク直前の4月下旬、何軒かの家の生垣にはツツジが咲き乱れ、南風が吹き撫でる街はほんわかと暖かい空気に満ちている。きょうは土曜で夢が通う公立小学校と父が勤める会社は休み。桃原家で朝早く出かけたのは私立学校に通う笑だけ。


「あ、おっはよー幸来さらちゃん!」


「おはよう」


 途中の丁字路ていじろでもう一人の元ラブリーピースのラブリーブルー、海風うみかぜ幸来さらと合流。笑の姿を認めた幸来は控えめに手を振った。


 セミショートで活発なえみに対し、ロングヘアでクールな幸来さら


 合流した二人は、ねぇねぇあの動画見た? 見たよ、面白かった。などと流行りのネット動画の話をしながら住宅街を抜け、商店街に入った。


「おっはよーおばちゃん! きょうも最高のコロッケできそう?」


 まだ開店前でシャッターの下りている精肉店の前で掃き掃除をしているおばちゃんに挨拶をした笑に続いて、幸来も「おはようございます」とぺこり頭を下げた。


「おはよう、きょうも絶好調だよ! サックサクに揚げるから、放課後食べにおいで」


「おう二人とも! 俺んところもきょうはいいシラスが入ったから、もらいに来な!」


 三人の中に分け入ってきた鮮魚店のオヤジ。


「わーい! やったー!」


「いつもありがとうございます」


 無邪気に喜ぶ笑と、礼儀正しい幸来。実は二人、家のおつかい以外で商店街を訪れるときは品物をサービスしてもらっている。


「いいのよいいのよ、あなたたちは世界を救ってくれたヒーローなんだから」


「おうよ! 二人がいなかったらこの世界は焼け野原にされて、みんなブラックサイダーの国をつくるための奴隷どれいにされるところだったんだからよ」


「いやいやそんなぁ、それほどでも~」


 照れて頭をポリポリ搔く笑。


 負の感情を孕む淀んだ空気を吐き出し、世界を苦しめたブラックサイダー。嫉妬や劣等感、不満、傲慢ごうまんその他、負の感情の集合体。その脅威も、今は昔。


 放課後、鮮魚店でもらった釜揚げシラスを通学バッグに忍ばせ、精肉店でもらった揚げたてサクサク中はふわふわのコロッケを頬張りながら住宅街を家に向かって歩くえみ幸来さら


「私たち、これからどうなるんだろう」


 唐突に幸来が言った。


「ん?」


 未来を案ずる幸来に、首を傾げる笑。


「日々に張りがなくなったっていうか、これからどう生きていったらいいのかなって」


「張りがなくても平和なのはいいことだよ!」


「それは確かに……」


 ブラックサイダーが浄化され、皆が幸せに満たされているこの世界。


 引きこもってゲームに没頭するも良し、ツーリングで暴走するも良し、スカートの中を盗撮してバレても「もう、エッチなんだから」と照れ笑いされるだけ。


 イジメやハラスメントも、事件も事故もなく、イタズラやミスをしても叱責されない。


 勝負事で敗れても、相手の勝利を心から祝福する。


 肉、魚、野菜、食われる身さえ、喜んで自らの命を差し出す。いま頬張っているコロッケの材料も、バッグに忍ばせたシラスも。


 苦しみのない、完璧な世界。


 幸来はそれに、疑問を抱いていた。


 そしてその疑問は、すぐに解消される。

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