第153話 ニンフ像

「な、なんだと……?」


 俺は目の前に広がる光景に愕然とした。

 邪魔な仁王像達の隙間を越えてやっと念願の目的地に辿り着いたってのになんてこった……。

 俺は辺りを見渡してが間違いでないかを確かめる。


 あっちは? クソッ!

 こっちは? チッ!

 ……ダメだ。


「無い! 無いぞ。無い、何処に行った!」


 そう、俺があの辛い逃亡生活中に生き残るために誓った幾つかの願い。

 負の願いが俺を見捨てた神やレイチェル、ハリーにドナテロといった仲間への復讐だとするなら、数少ない正なる願い。

 もう一度あのニンフ像の前に戻ってくるという願いだ。

 それがやっと叶うかと思ったのに……。


「何処にも無ぇじゃねぇか!!」


 俺の目の前に有る噴水には、その真ん中に位置する台座にに佇んでいる筈のニンフ像の姿が影も形も無くなっていた。


「なんでだよ……」


 俺は軽い絶望に眩暈を起こしながら重い足を引き摺るように歩き噴水の側まで歩く。

 ここは庭園迷路の中央にある噴水広場だ。

 十数メートル程の円形になっている広場のその中央に噴水はある。

 そのまた中央にニンフ像は有った筈なのだが、今はその姿が何処にも見えない。

 広場には視界を遮るような高い物が無いので視界は良好だ。

 過去には無かった仁王像が通路を塞いでいたように、何かの理由で噴水から降ろされてるかと期待して周りを見渡したのだが、そんな期待も破られてただ単に噴水以外には何も無い空間があるだけだった。


「はぁ……」


 肩を落としながらなんとか噴水の畔まで辿り着いた俺は溜息を付く。

 噴水自体は生きており真ん中の台座の四隅から広がるようなアーチを描き清らかなる水が放たれていた。

 本来なら飛び散る水のヴェールの中に浮かぶようにニンフが立ち、さながら伝説の一場面と見間違うほどのそれはそれは素晴らしい建造物。

 なんでも親方の話ではこの国の始まりからこの噴水は存在していたって話だ。

 この城の初代の王……ヴァレウス王子やメアリの遠い祖先が持てる魔力の粋を集めて創ったという代物らしい。

 噴出している水は中央の台座に埋め込まれたアーティファクトから生み出される聖水であり、それは庭園中に伸ばされた水路に流れ贅沢な事に植えられ木々のみを潤している。

 だからこそこの庭園は各国でも類を見ない素晴らしいものなのだと親方は自慢気に言っていたのを覚えている。


「こりゃ売りやがったな」


 聖水自体はいまだ噴出しているし、その名に恥じないほどの力を感じるから別にニンフ像が湧水のキーアイテムと言う訳じゃないようだ。

 主人不在の台座を見るとそこには苔が生えており、ニンフ像が取り除かれてからかなりの年月が経っている事を物語っていた。


 俺が逃亡生活を始めて20年あまり。

 それに近い年月は経ってそうだ。


 あの彫像は確かに素晴らしいまでの芸術作品だった。

 売りに出せば欲しい奴なんかは山ほど居ただろうし、かなりの値が付く筈だ。

 誰が売った? 糞野郎の第二王子? 領主になったメイガス? それとも仁王像をこの庭園に乱立させようとしてる現国主のタイカ国か?

 魔族に操られたりタイカ国に乗っ取られたりと国が乱れて色々と財政的にも辛かったんだろうと思うが、よりによってこれを売りに出すか。

 誰が売ったのかは分からんが、せめて美術館とかに売っててくれれば目にする機会もあるだろうが、あれだけ可愛くて煽情的な彫像だ。

 変態好事家とかだったら二度と目にする事は難しいかもしれん。


「はぁ~なんてこった」


 何度この噴水の端に座り、ニンフ像に誰にも言えない悩みを打ち明けた事か。

 神に見放され一人この世界に取り残された事も、パーティーの皆がどんどん強くなっていって俺だけ置いてけぼりにされている焦燥も、恋の悩みだって……。

 もう一度出会って、なんだかんだ有ったが今はそれなりに幸せだって報告したかったぜ。


「あぁ~何処行ったんだよ。俺の生きる希望~」


 思わず本音が出ちまった。

 そりゃ生きる希望とは大袈裟だが、会えると思っていた期待が大き過ぎてその反動での落胆が思った以上にキツイ。


 って、こりゃ贅沢病だな。

 これくらいの落胆なんか逃亡生活の頃は日常茶飯事だったじゃねぇか。

 思い通りに行くことなんざ全く無い。

 最近の生温く心地いい生活に慣れ過ぎたせいで、こんなくだらない事でさえ辛く思えちまうなんてよ。

 俺も弱くなったモノだ。

 親方がこんなふざけた事を許す訳ねぇし、仮に生きていても庭師の棟梁は辞めちまってるかもな。

 もし残っている知り合いが居たら居場所を聞いてみるか。


「しかしなぁ……はぁ、愛しのニンフ像に会いたいぜ」


「ヒュッ」


 ん? なんだ?

 俺が思わず口にしてしまった悲嘆の言葉に自虐していると、後ろから誰かが息を飲むような声が聞こえて来た気がした。

 ヤベェ! 今の聞かれたか?

 いいおっさんが少女姿の像が無いことに落胆しているなんて完全に変態じゃねぇか。

 そりゃそんな言葉を聞いちまったら恐怖で息を飲むのも頷ける。

 しかし、いつの間に背後に来たんだ? 全く気配がしなかったんだが。

 油断しすぎだろ俺。


「ち、違うんだ! ……ん? あれ?」


 俺は弁解しようと慌てて振り返り声の主を探したんだが、そこに居たのは……いや、のは。


「あれ? あれ? な、なんで? あれ? なんでここに? ニンフ像が?」


 そう、振り返った先には人なんか居らず、先程見渡した際には見付からなかったニンフ像が何故か植垣の中に埋もれたように立っていた。

 声が聞こえた気がしたのは気のせいか?

 多分植垣の葉が風で擦れた音を聞き間違えたのだろう。


「なんだよ! 有るんじゃねぇか! なんだってこんな所に? ってまあいいか」


 俺は弾む心を抑え切れず大急ぎでニンフ像まで走る。

 しかしなんだって庭園の主役がこんな植垣の端に追いやられちまってんだ?

 そんな疑問が浮かぶが、そもそもこの庭園に仁王像を配置を乱立させようとした奴が居るんだから、そいつの価値観が大きく違うのかもしれねぇ。

 まぁなんにせよ、売られていなくて良かったぜ。


 ニンフ像の側まで来た俺は改めてニンフ像を上から下までマジマジと見詰た。

 もしかしたらニンフ像のレプリカの可能性も否定出来ないしよ。

 売った後に惜しくなって似た彫像を造ったって事だって考えられる。


「……いや、こいつは本物だ」


 俺は目の前のニンフ像が本物だと確信した。

 毎日近くで磨いていたからと言う訳だけじゃない。

 何故だか分からねぇがこれが本物だって思えるんだ。


「相変わらず綺麗だぜ」


 20年ぶりに再会したニンフ像。

 あの頃と変わらず綺麗で可愛……い、ん?

 なんだかおかしいな?


「顔が赤い……?」


 記憶では一切の澱みの無い純白の大理石で造られた彫刻像だった筈なんだが、改めて目の前のニンフ像を見ると顔の部分がなにやら赤みがかっていた。

 台座から外され長年こんな場所に放置されていた所為で、埃やカビで汚れちまったとでも言うのだろうか?

 最初に見つけた時は相変わらず純白だった気がしないでもないが、日陰だったから見間違えたのかもしれねぇな。

 くそっ! 大理石に付いた染みはなかなか取れねぇんだぞ!

 こんなになるまで放っておきやがって。


「可哀想に……俺がなんとしても綺麗にしてやるからな」


 そう言って俺はニンフ像の頬を優しく撫でた……?


「ひゃんっ!」


 は? 今の声は何だ?

 またもや聞こえた声は目の前のニンフ像から発せられた様に聞こえたんだが?

 気の所為にしてはあまりにもはっきり聞こえた。

 しかもどっかで聞いたような声だ。


 もしかして人間? ……な訳無いよな。

 この肌触りは完全に大理石だ。

 だが確かめる為にスリスリと撫でまわすと「あっ……んっ……」と声を上げやがる。

 なんだコレ? じゃあ魔族か? それとも魔物? ……それも違う。

 同じな所為でなんとなく分かっちまうからよ。


 ただ、これもなんとなく分かる。

 レイチェルが言っていたよな。

 魔族に乗っ取られた村人を治療する為に『診察』を掛けた際の言葉。

 俺みたいだが俺とは違うおぞましい何かって。

 この彫像はその逆で魔族みたいだがおぞましくはない何か。

 言うなれば俺に近しい何かだ。

 だからさっきこいつが本物ってのが分かったんだな。

 そして俺が昔この彫像に惹かれたのも今思えばそうだったんだろう。


「てめぇ誰だ?」


 俺は俺に近しい何かの虚空を見つめる瞳に無理矢理視線を合わせるようにぐいっと顔を近付け低い声で問い掛けた。

 こんな回りくどい事する奴には心当たりがある。

 つい最近会ったばかりだろが!


 ある程度確信めいた怒りを眼力に込めつつ彫像を睨み付ける。

 すると……スッと目を逸しやがった。


「ここで会ったが百年目! てめぇ何また俺の前に現れやがったロキめ!」


 俺は撫でていた頬から手をずらし彫像にアイアンクローをかませる。

 くそっ!ロキの野郎俺の純情な思い出を汚しやがって!


「痛たたっ! ち、ちがっ!」


とうとう正体を現しやがったか! 何が違うだっての。

 どうやらこの状態ならこいつに痛みを与えられるみたいだな。

 俺のアイアンクローの痛みに耐えかねた彫像ロキ?は悲鳴を上げる。

 このまま頭を砕いてやろうか?

 死にはしないだろうが少しは気が晴れるだろう。

 ……って? ロキってこんな声だっけか?

 もっとネバネバして澱んでる声だった気が……。

 彫像ロキ?が発した声に違和感を覚えた俺は少し力を弱める。


「わ、私です! メアリ様のメイドのです」


「は?」


 今なんだって? シルキー?

 あの無愛想なメイドの?

 そういや、俺の事を知ってるって言ってたのはそう言う……?

 姿を変えてってのはこう言う……?


「はぁぁぁーー!? 何だそれぇぇぇーーー!」


 俺の絶叫が王宮庭園に響き渡った。

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