第七章 帰郷

第112話 朝



チュン、チュン――


 バサッ、シャーー! バタン。


「……ん? 眩しっ!」


 突然開かれた窓から射し込んで来た朝日が顔に当たり、その眩しさで心地良い眠りから急速に意識が引き上げられる。

 ん~、まだ眠いぜ。

 しかし、ここは何処だ? なんかふかふかしているからベッドっぽいが……。

 ここ二日ばかし野宿続きだったもんでベッドので寝るのは古巣を出払って三日振りか。

 いや、ここまでふかふかなベッドは年単位で寝てねぇから気持ちいぃぜ。

 もう少し寝ておこう……Zzzz。


「こらっ! ショウタ! いつまで寝てるんだい?」


 ん? 誰だ? そう言えばカーテンと窓開ける音も聞こえていたな。

 どっかで聞いた事ある声だな、誰だっけ?

 でも、もうちょっとだけ寝かせてくれ……。


「もうっ! お酒飲んだ次の日はいっつもこうだ。そう言うとこまで変わってないね」


 あぁ、そうだ。

 この声はレイチェルか。

 そっちこそは変わらないよね。

 まるで母さんみたいにを起こして……く……る?


 え? ちょっと待て? いや、マジでちょっと待て。

 そんな筈はねぇって、なんでレイチェルの声がするんだ?


 ……いや、当たり前か。

 達付き合ってるんだし……。

 昨日も一緒に飲んで色々お話したじゃないか……。


「もう少し寝かせてよ、レイチェル……Zzzzz」


「だーーめ! 早く起きないと」


 …………。

 …………。

 ………ん? 夢?


「じゃねぇっ!! え? なんだ? え? ここは何処だ?」


 夢現でぼんやりした意識が急速に覚醒しては飛び起きた。

 辺りを見渡すと見知らぬ部屋だ。

 窓の外を見ようとしたが、射し込む光の眩しさに思わず目を瞑る。


 なんだここ? 俺はなんでこんな所で寝てるんだ?


 知らない寝室。

 ちらっと見えた部屋の様子は調度品や家具の様子からすると宿屋と言うより誰かの部屋と言った感じだ。

 未だこの状況が把握出来ていない頭の中で色々と考えるが纏まらねぇ。

 さっきレイチェルの声が聞えた気がしたが、気の所為だよな。

 確かアメリア王国の頃の夢を見てた様な気もするし。

 なんせ、夢を引き摺って一人称がに戻ってたしよ。

 ははは、ビビッたぜ。



「急に飛び起きるからびっくりしたじゃないか。おはよ。ショウタ」


「って、気の所為じゃないーーーー!!」


「わっ! なんだいなんだい。騒がしいね。まだ寝惚けているのかい? あはははは」


 眩しさから何とか回復した目で声のする方を見ると、ドレッサーの前で髪を整えているレイチェルが振り返って俺の方を見て笑っている。

 優しい笑顔、心地良い声。

 あぁ、いつも・・・のレイチェルだ。


 …………。


 あれ? あれれ? もしかしてまだ夢の中なのか?

 ……いや、この朝の匂い、これは現実だ。

 窓の外から聞こえて来る朝を告げる鳥の声、人の声、心地い風。

 明晰夢なんて生易しいもんじゃない現実だ。


 となると、もしかして俺の逃亡生活が夢で、今が現実なんじゃ?

 村の事件なんて物は起こらなかった。

 俺の逃亡生活はただの悪夢だった。

 『神の使徒』とか『魔族』なんてのは、ただの中二病の妄想が見せた夢だった。

 俺達はちゃんと結ばれて今じゃこの家で幸せに暮らしている。

 それが、本当の現実なんじゃ……?


「ほらほら、そろそろコウメが起きちゃうだろ? 朝食作らないとね」


 子供の名前はそのままコウメなんだな。

 うんうん、コウメ可愛いよな。


「それにダイスの魔法もそろそろ解ける筈さ。多分あたしらの事を必死で探し出すよ」


 そうそう、ダイスの魔法もそろそろ……?



 …………。


「うわぁぁぁーーーやっぱり夢じゃなかった!!」


 そうだよ! 思わず現実逃避しちまってただけだよ!

 昨日レイチェルと二十年振りに出会った。

 お互いに言いたい事を言って、互いの想いを知って俺達は和解した。

 そして、そのまま飲み明かす事になったんだ。

 すれ違いで失った二十年、今更取り戻す事は不可能だし、元に戻る事も出来ないのは分かっている。

 今じゃ二人の環境も立場も違うしな。

 だから、これからは良き友人として付き合っていこうって思ってたんだ。


 な・の・に!


 なんで朝チュンシチュエーションになってんだよ!!

 元彼女とは言え、コウメの母親となんで朝チュンしてるんだよ!!

 死んだ旦那にも悪いし、なによりこれからどんな顔してコウメに会えばいいんだよ!!

 父親か? 父親面をすれば良いのか?


 そんな訳あるかっ!!


 あぁ、何故か脳裏に嬢ちゃんやらメアリやら姫さんやらチコリーやらが睨んでる顔が浮かんでくる……。

 カモミールはあれだ、ノーカンだ。

 ジュリア? あれは性癖的に好かれる方がダメージを食らう。


「混乱している所悪いけど安心おしよ。あんたが考えてる様な事なんて無かったからさ」


 その言葉に慌ててレイチェルの方を見ると呆れたと言う顔をしている。

 あっ……そうなんだ。

 何も無かったのか……はははは。


「おや~? なに残念そうな顔してんだい? しっかし、本当にあんたは酒に弱いね~。あれからすぐに寝ちまうんだから。まだまだ話したいこと有ったのにさ。それにここまで運ぶのに大変だったんだからね?」


「あ、そうなんだ。苦労かけたな……って、別に残念そうな顔してねぇっての!!」


「そうなのかい? あたしは残念だったけどねぇ~」


「ぶぅぅーーー!! ゲホッゲホッ」


 ななななななんて事言うんだよ!

 残念って! 残念って、アレだろ? いや、そんな……。

 あっ! 俺の焦っているリアクション見て笑ってやがる。

 からかいやがったな! クソッ! 一瞬本気にしちまったじゃねぇか。


「ちぇっ。んで、ここは何処だよ。知らねぇところだが、おまえん家じゃねぇんだよな?」


「えぇ、ここは昨日の酒場の二階だよ。あのマスターの子の寝室さ」


「マスター? あの酒場の若い女マスターね。酒場が家を兼ねてたのか、んじゃ追い出して大丈夫だったのか?」


「貸し切り料の他にホテル代を渡してたからね。一流ホテルに泊まるぞって嬉しそうにしていたよ」


「はぁ、本当に用意周到だな。お前」


 ちらっと記憶に残っている話じゃ、元々俺が気付いてなきゃ仮面は取らずに正体も明かさない、ただ元刺客として『準聖女』仮面の女のまま、この酒場で俺と話をしたかっただけらしい。

 そして『もうあなたの事は追っていないよ』と言って、そのまま王都から抜け出してどこかで死ぬつもりだった……とな。

 それにしちゃ、素顔で店に入ってきた時のマスターの下衆な勘繰り顔は気になる所だが、レイチェルの事だ。

 店に入ってきた時のパターンでビジネスチェルシープライベートレイチェルか、ってのを話していたんだろうぜ。


 ……いや、それはそれであのマスターのにやけ顔から、レイチェルパターンの場合に何を言っていたか気になる所ではあるんだがよ。

 

「そう言えば、フフフ。あんた昨日ベッドの中で『レイチェルゥ~レイチェルゥ~』って泣きながら抱き付いて来たの覚えてるかい?」


「ブゥゥーーー!! う、嘘だ! そ、そんな事……」


 確かにアメリア王国時代の夢は見ていたと思うが、俺がそんな事する訳ねぇって。

 これはアレか? また俺の事をからかってるのか?

 うん、そうだ、何かニヤニヤしてるしよ。


「お前~。俺をからかうのもいい加減にしろって」


「フフフフ~。これは本当。起きたのかって一瞬ビックリしたよ。結局それっきりいびきかいて寝ちまうんだもの。寝返りで解放されるまでしがみ付かれたままで大変だったんだから」


「うわぁぁぁぁぁーーー!! 俺もう恥ずかしくて生きていけねぇーーーー!!」


 一生の不覚!! 長年の心の闇が解放されたからって、いきなり緩みすぎだろ。

 レイチェルにそんな事しちまうなんて、今後これをネタに弄られまくるんじゃねぇか?

 やっちまった……。


 って言うか、ベッドで一緒に寝てたのかよっ!!

 それ自体が色々ヤバイわっ!!


「まぁ、昔みたいに『クレア~』とか言ってきたら殺してたけどね」


「ヒッ!」


 レイチェルはドスを利かせてそう言った。

 その言葉に背筋が震え上がる。

 こ、こえぇ~! 見ていた夢がアメリア王国の頃の夢だったんで助かったぜ。

 今頃この朝日を拝む事が出来なかったかも知れねぇもんな。

 本当にクレアって言わなくて良かった~。


 ゾクッ。


 ハッ! 今何故かクレアの殺気を感じた気がする。

 作られた記憶の中だってのに、死してなお俺に殺気を送って来るなんて……。

 クレア……恐ろしい子!



「まぁ、いいじゃない。それだけ今まであんたがあたしの所為で辛い思いをして来たって事さ。……本当にごめんね。そんな思いをさせちまって……、本当に……ごめんなさい」


「う……」


 レイチェルはそう言ってベッドまで近付き、俺の頭をぎゅっとその胸に抱き締める。

 俺はその温もりに癒され、そして涙が溢れてくるのを止められなかった。


 今までの逃亡生活の日々。

 人の目を恐れ、闇の中で泥の様に生きて来た。

 それは先輩に拾われて教導役になってからも変らねぇ。

 表面は捻くれたおっさんを演じちゃいたが、心の奥ではあの当時のままのが一人膝を抱えて泣きながら震えていたんだ。


 俺はベッドの上、垂らしていた両手を上げて抱き締めてくれているレイチェルを抱き締め返そうとした……。


 ……ガチャッ。ギィィィーーー。カランカラン。


 と思ったら、なにやら一階の方で扉が開く音がする。

 朝になったんでマスターが帰ってきたのか?

 チッ! 良い所だったってのに邪魔が入っちまったぜ。

 ホテルのチェックアウト時刻までのんびりしてやがれってんだ。


 ……ん? マスター? 何か忘れているような気がする。

 なんだっけ? 何か大変な事をしちまってたような……?


 『キャァァーーーー。私の店が荒らされてるぅぅぅぅーーー』


「「うわぁぁーーしまった!! 忘れてたーーー!!」」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「本当に! 痴話喧嘩なら他所でやってくださいよ。もう!!」


 俺達は俺の魔力の暴走によってボロボロになった店内の床の上で、プリプリと怒っているマスターの前に二人揃って正座させられている。


「「ごめんなさい……」」


 返す言葉も無くハモッてマスターに謝る俺達。

 痴話喧嘩に反論も出来無ぇ。

 今の現状から顧みて、昨日のアレは結局痴話喧嘩以上のものじゃなかったしな。


「しかし、『準聖女』様クラスになると痴話喧嘩も壮絶になりますね。その人も一廉ひとかどの人物って事ですか? 本当、床とか壁とかこれ大改装が必要なレベルですよ~」


「あはははは~。ごめん! 口止め料も含めて修繕費払うから許して!!」


 レイチェルはマスターに手を合わせてお願いしている。

 その姿にマスターも呆れた顔をしながら溜息を付く。


「分かりました。丁度旅行がてら女神様降臨で話題のシュトルンベルクに行ってみたいと思ってたんですよね。改装の間に行かせて貰いますよ。『踊らずの姫君』様初のダンスパートナーのシータさんって人も見てみたかったですしね。なんでもダンス教室してるとか。飛び込みいけるかなぁ?」


「ブッ! ゲホッゲホッ」


「どうしました? 大丈夫ですか? え~とショウタさんでしたっけ?」


「あぁ大丈夫です。はい」


 やべぇやべぇ、こいつ俺に会うつもりなのかよ。

 本当に俺の事をシータと呼んだ奴に感謝しねぇとな。

 こいつはレイチェルに俺の本名を聞いているみてぇだ。

 それもまた助かったぜ。


「えぇと、ショウタさん。レイチェルさんも色々と辛い過去がお有りですので、ちゃんと支えてあげてくださいね?」


「え? えぇ、その……はい」


 う~ん、何か複雑だが反論しても仕方が無ぇ。

 取りあえずそう言うしか無ぇや。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「これからどうするんだい?」


 結局旅行費も出すと言う事でマスターから解放された俺達は、そろそろマジでコウメが起き出す頃である事から、レイチェルの家に向かって歩いていた。


「う~ん、お前と刺し違えるつもりで国王の所から飛び出して来たんだし、どうすっかなぁ~」


 ダイスの奴は俺の力の事自体はレイチェルに言っていなかった様だ。

 しかし、昨日俺が酒を飲みながら魔族討伐の話をすると、やっぱりと言う顔をされた。

 まぁ、元から俺の事を普通じゃねぇってのは知っていたし、後から『神の落とし子』と同じ身体ってのも知っていたからな。

 俺の魔力の暴走についても平然としていたし、先日女神が言っていた魔族と戦っている『神の使徒』が俺と言うのは、昨日裏道で俺が生きていた事を知った時に気付いたようだ。

 だからこそ、罰を受けようとこんな事をしたんだろう。


「本当にあんたって考え無しで動くわねぇ。分かったわ。あたしに良い案がある。後で一緒に城に行ってあげるわ」


「すまねぇな」


 『準聖女』様と一緒なら心強いか。

 レイチェルなら色々と話付けてくれるだろ。



「あっ! 見付けた! 先生! 大丈夫ですか!?」


 俺はホッと胸を撫で下ろし、取りあえずレイチェルの家で朝食を食べようかと他愛の無い会話をしながら二人で歩いていると、突然前方から俺を呼ぶ声が聞こえて来た。

 声の主を確認するとそれは勿論ダイス。

 どうやら魔法が解けて、俺の事を探していたようだ。

 必死な顔をしていたが俺と目が合った途端、安心して全身の力が抜けたのか、少し疲れた笑顔になった。


「おうダイス。おはようさん」


「おはようさん、じゃないですよ! 本当に心配したんですから。その様子だと……手に掛けたって事は無さそうですね。安心しました」


 俺ののん気な様子に最悪の事態が回避されたのを察したらしい。

 まぁ色々思い詰めていたんだろうな。


「そうだ! お前勝手にレイチェルにベラベラ喋るんじゃねぇよ」


「うっ、すみません。けど……俺」


「まぁ良いや。そのお陰で色々助かったともいえるしな」


 ダイスが喋ってくれなきゃマジで刺し違える未来が有ったかもしれねぇんだ。

 感謝しねぇといけねぇか。


「あの、そんな事よりチェルシ……レイチェル……は何処に? それに隣の女性は?」


 ん? 何言ってんだこいつ?

 俺はそう思ってレイチェルの顔を見ると、にやにやと笑っていた。


「ダイス。おはよう。あんたには心配掛けたね」


 そのニヤニヤした顔でレイチェルがダイスに声を掛けた。

 しかし、ダイスはレイチェルを見ると怪訝な顔をしてマジマジと見詰めている。


「どこかで会いましたっけ? ……いや、その声……その髪の色……? え? もしかして、貴女はチェルシ……レイチェルさん?」


「あはははは。そう言やあんたにも素顔は初めてだったね」


 あぁ、なるほど。

 こいつも先輩や王子から身バレを防ぐ為、元々人前じゃずっと仮面被って素顔を見せてなかったって事か。

 家に遊びに来るダイスにさえ見せなかったってんだから徹底してるぜ。

 となると。


「えぇぇぇーーーーっ!」


 って、なるわな。

 そりゃ、宿命の敵同士の二人が仲良く話しながら歩いてるんだ。

 自身が殺してでも止めようとまで思い詰めた相手と俺が並んで歩いてるのは信じられねぇだろうぜ。

 こりゃ謝らねぇといけねぇか。


「ダイス、すまなかっ……」


「何、コウメちゃんの母親と朝帰りしてるんですかーーーー!!」


「そっちかよっ!!」


 隣でレイチェルは笑ってやがるし、困った奴がまた増えちまったぜ。

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