第107話 約束
「……では、と言う訳でよろしいですわね? 先生」
「あぁ……」
俺は、どこか遠くで捲くし立てる様に何かを話し掛けてくる声に相槌を打った。
何を話しているのか頭には入って来ない。
それだけ、俺の頭の中はレイチェルの事で溢れていた。
コウメの母親がレイチェル……?
いや、コウメの母親はチェルシーなんだ、名前が違うじゃないか。
けど、あの銀髪……、それだけじゃない自分の言いたい事を言うだけ言って反論を許さないあの態度、まさにレイチェルじゃないのか?
い、いや勘違いだ、そんな偶然有り得ないさ。
それに銀髪なんて結構居るだろう?
どんな確率だよ、ハハハ。
……でも、あの綺麗な銀髪……見間違える筈がない。
あの輝きに心を動かされた。
あれは彼女の……、俺がかつて命を懸けて守り通すと心に決めた彼女のものだ。
出会いも、そして……別れも彼女を助けた為に起こった。
彼女を助けたから、一緒に冒険して、そして将来を語り合った。
彼女を助けたから、俺を畏怖と怒りの目で罵倒して、絶望と言う名の地獄に叩き込んだ。
そうだ……、絶望。
俺はその絶望の中、名を変え姿を隠し先輩に会うまでの間、泥の様に地面を這いずり、神の気紛れで放り込まれたこの世界で一人生きて来た。
ハリー? ドナテロ?
あぁそうさ、とても憎い相手だ。
奴等が俺を裏切ろうとしなければ、そして彼らに再び認めてもらおうと思わなければ、あの悲劇は避けられたかもしれないからな。
けど、そんな事は俺が味わった絶望の内、比率で言えば些細な事だ。
本当に憎い相手はレイチェル。
いつも『あたしの事を守りなさい』そう言っていたじゃないか!
だから守ったんじゃないか! なのに何故!!
なんで俺を拒絶した! 何で俺の事を化け物を見るような目で見て来たんだ!
そんな答えの返ってこない自問自答を繰り返す日々だった。
「……では、約束ですわよ。せ・ん・せ・い」
「……あぁ」
相変わらず意識の向こうで誰かが話し掛けて来ている。
そして俺はやはりその言葉に適当に相槌を打つだけ。
正直、今までレイチェルに再会した時の事を、頭の中で何千回もシミュレートして来た。
どれだけ回数を重ねても、シュミレーションの結果は同じ。
レイチェルが視界に入った瞬間、その怒りに身を任せ、襲い掛かって殺してしまうと言う物だった。
それがどうした事だ?
レイチェルに出会ったのに、俺は襲い掛かるどころか身動き一つ……あぁ今の様に勝手に身体は動いていたか。
ダイスとコウメに笑顔で手を振って、案内人に連れられてここに居る。
けど思考と身体が乖離して、自我もまともに制御出来ない生きる屍の様な状態だ。
今現在どこに居て誰と喋ってるのかさえ分からねぇ。
復讐を遂げれなかった理由を上げようとすれば色々有る。
一つ、コウメの母親だから。
一つ、『準聖女』に手を上げるなんて出来やしない。
一つ、そもそも今の俺が私怨で殺人を犯すなんて事をした日にゃ、どれだけ嘆き悲しむ奴が居るんだ?
それにギルドのメンバーにも迷惑が掛かるじゃないか。
まぁ、そんな事全てがただの言い訳にすぎない。
俺は心のどこかであの日、あの朝交わした約束の続きに焦がれているのだろうか……?
いや、馬鹿な! 違う! 身体が動かなかったのは不意を突かれたからだ!
先輩の話から、一度は死んだと思っていた相手。
生きていると言うショックで思考が鈍っただけだ。
それも知り合いの母親になっているなんてのも想定外。
それに『準聖女』だって?
ハッ! 誰がそんな事を想像出来るってんだよ。
そうだ、あいつは俺に逃亡生活をさせた原因、憎むべき相手なんだ。
俺は復讐する日が来る事だけを心の糧に生きてきたんじゃないか!
そうだよ! 他の奴がどう思おうが、どうなろうが構わない。
これは俺の、俺だけの物語だ。
神の操り人形の人生なんてのはもう沢山だ!
俺の手で
『あたしは、もう聖女になる事は出来なくなったけど……、でも良いの。だから、……ずっとあんたがあたしを守りなさい! 約束よ!』
初めての朝……交わした約束。
『聖女になれない』……今じゃその意味が分かる。
けどっ! 何が『聖女』なれないだ!
今じゃ『準』なんて物が付いちゃいるが『聖女』様って呼ばれてるじゃねぇか!
ちっ! 約束なんて知ったこっちゃねぇよ。
……ん? 約束?
何やらその言葉をどこかで最近聞いたような……?
そうだ、俺の意識の外で今さっき聞いた。
そして、俺はそれに同意しなかったか?
何の約束だ? 誰と約束した?
俺の目の前に居る奴は……? 姫さん?
え? 俺は姫さんと
このワガママ娘と?
ヤバイッ! 良くは分からんが俺にとって良い事ではない筈だ!
俺はその焦りから急速に意識と身体が覚醒するのを感じた。
遠い何処かの景色にしか感じなかった視界が、はっきりと目の前の光景として映し出す。
そこにはにんまりと笑う姫さんの顔が有った。
いつの間に俺の前に居た? いや、それよりここは何処だ?
辺りを見回すと豪華な作りの建物の中に居る様だった。
絢爛きらびやかな装飾に彩られた大きな階段が上の階のテラスまで続いている。
どうやら玄関ホールの様だ。
もしかして、ここはイシュトダルム城なのか?
いつの間に城の中に……?
いや、それよりも早く確認しなければ。
「お、おい姫さん。今なんて言った?」
「うふふふふ。やっと正気に戻って頂けましたわね。そんな険しい顔は先生に似合いません事よ?」
そう言って姫さんは少し悪戯っぽく口に手を当てて笑っている。
もしかして俺の心の怒りが顔に出ていたのか?
「け、険しいって、俺はどんな顔していたんだ?」
あれだけの心の内の激しい憎悪だ。
顔に出ていたとしたら衛兵に連れて行かれてもおかしくねぇんじゃねぇのか?
何しろここは城の玄関ホールだ、それなりに使用人やら衛兵がうろちょろ……、どころか全員俺と姫さんを注目してやがる。
そりゃそうか、姫が急にやって来た知らない男と楽しそうに話しているんだ。
しかも険しい顔してるんなら尚更。
注目するなってのがおかしいってもんだ。
「ん~。パッと見はぼぉーっとしてられましたわね。多分私以外気付きもしないと思いますわ。ただ、その目の奥に……。何か悲しい事でも有りましたの?」
「なっ……」
俺は姫さんの言葉に絶句した。
姫さんは俺が心の内に気付いたってのか?
今の会話を聞いた周囲の使用人や衛兵、それに騎士達は、姫さんの言う通り何の事か分かっていないようで不思議な顔をしている。
姫さん以外ただ単にぼぉーっとした顔の男としか俺の事を捉えていないようだった。
「い、いや。なんでもないぜ。大丈夫……そう、大丈夫だ。ハハッ、最近疲れる事が多くてな。それだけだ」
「そう……ですか? 分かりました。でも先生? 辛い時は、私がいつでも相談に乗りますわ。何でも話して下さいね」
俺が誤魔化すと姫さんは少し悲しい顔をした姫さん。
だが、すぐに笑顔に戻りそう言った。
その言葉に憎悪に焼かれた心の痛みが少し和らいだ気がした。
ちっ、ワガママ姫なのになんでそんなに目聡いんだよ。
二十近くも歳が離れている奴に気を使われるなんて俺も焼きが回ったぜ。
いや、最近は嬢ちゃんやメアリにも気を使われていたな。
情けないもんだ。
「まっ、機会が有ったらな。で、何の話だ? 約束ってなんの約束なんだよ」
「うふふふ。それは内緒です。けど、男に二言は無い物ですわ」
「いや、ちょっと待て。俺は今正気じゃなかったって姫さん自身が言っていたじゃないか!」
「それはそれ。これはこれです。では、お約束の件、楽しみにしておりますわ。
それだけ言うと、姫さんは笑いながらさぁっと駆け足で城の奥へと走って行く。
「お、おい。ちょっと待てって。今の無し……て、あぁもう見えなくなった。あんなヒラヒラしたドレス着てる癖に、なんて素早いんだ……」
そりゃ本気出せばあっと言う間に追い付くだろうが、こんな衛兵達や騎士団が居る中で姫さんを追い駆けようものなら、賊と思われ取り押さえようとして騒ぎになる筈だ。
レイチェルは俺が城に居るのを知っているんだし、その城で騒ぎが起こればすぐにでも教会に逃げ込まれる恐れがある。
ダイスが見ていてくれているが、あのレイチェルの事だ。
ダイスを欺いて隙きを突くなんて簡単にやってのけるに違いない。
今は大人しく国王に会って用事を済ませて、早くダイスと合流しなければ。
そして、その後……。
ダイスは俺を止めるのだろうか?
それとも、俺の過去を知った時、自分の事の様に怒ってくれたあいつの事だ。
一緒に復讐を手助けしようとするのだろうか?
そのどちらだろうとダイスに関わらせる訳にはいかねぇな。
魔法で眠らせでもするか。
俺の所為であいつの未来を汚したくはねぇからよ。
俺の復讐は俺の手だけで終わらせる。
ふぅ、なら早く国王に会わなきゃならねぇな。
だが教会の根回しをする必要はもう無ぇだろ。
そんな事をしたら逆に動き辛くなる。
ギルドの事を頼んだ後は、すぐにでも次の魔族討伐に出掛けると言って立ち去るとするか。
そして、レイチェルを攫い、何処か山奥で復讐を遂げる。
俺はそのまま旅に出るかな。
行き先は……、そうだな海の底か溶岩の中か。
そうすりゃ流石の俺でも死ぬだろ。
――――ズキンッ!
『辛い時は、いつでも相談に乗りますわ。何でも話して下さいな』
クッ! さっきの姫さんの顔が浮かんで来て胸の奥に痛みが走りやがった。
これは俺の問題だ。
誰かに言ってどうなるもんでもねぇよ!
――――ズキンッ!
『私は、小父様がずっと側に居てくれていたら……それだけで……私は幸せですの』
――――ズキンッ!
『うちだって師匠さえ居ればいいっすからね!』
――――ズキンッ!
『ソォータさん。あんたには生きて欲しい』
――――ズキンッ!
『先生は優しいのだ! 僕も大好きなのだ!』
クッ、メアリ、チコリーにカモミールの顔まで浮かんで来やがる。
それにレイチェルの娘……コウメの顔も。
彼女らの言葉、それに顔が俺の胸を、まるで慟哭の様に激しい痛みで締め付ける。
――――ズキンッ!
『お守りあげたんだからちゃんと無事に帰ってきてくださいね』
嬢ちゃん……!
クソッ! なんで走馬灯みてぇに俺の脳裏に現れやがるんだっ!
お前ら俺の復讐を邪魔するんじゃねぇっ!
俺は湧き上がる皆の顔と胸の痛みに叫び出しそうになるのを必死で押さえた。
ダメだ! 堪らえろっ! 今騒げば元も子もねぇ!
こんな問題起こしてる暇は無ぇ。
早く、一刻も早くレイチェルの元へ!
俺のこの胸の痛みが、俺の復讐を止めてしまわない内に!
……そうだ、早く国王に会わなければ。
誰かに国王までの案内を頼むか。
話は通ってる筈なんだから、声掛けりゃ連れてってくれるだろ。
都合の良い事にまだ俺の周りには姫さんとのやり取りに唖然としている奴等が沢山居るしな。
え〜とっ、隊長の姿は見えねぇな、もう現場に戻ったのか?
礼を言い忘れたかもしれねぇな、悪い事したぜ。
じゃあ、他の奴に声を掛けるとするか……。ん?
「ぷ~~」
さっきは気付かなかったが、よく見ると河豚がいる。
いや、怒って……と言うより拗ねてる?
良く分からんが頬をぷくっと膨らませて俺から露骨に目を逸らしてる奴が居た。
「おい、何不貞腐れてるんだよ。ジュリア」
「べっつに~。不貞腐れなんかしていませんとも」
そう言いながらも頬を膨らませて目も合わさない。
どうしたんだこいつ?
その態度が不貞腐れているってんだよ。
「いや、完全になんか怒ってるだろ? まぁいい、それより済まねぇが国王の所まで連れてってくれねぇか? 話は通ってる筈だ」
「はいはい、分かりましたよ。先程も案内していた所なんですけどね。私が幾ら話し掛けてもぼぉ~っと気の無い返事をしてるかと思いきや、姫様と
「はっ? 何の事だ? お前が案内してたってのか? いや、それよりも姫さんとの約束ってなんだよ。教えてくれ」
俺の言葉に更に頬を膨らませて拗ねるジュリア。
もしかして、案内してた気付いてなかったってのに怒ってるのか?
それに姫さんとの約束に、どうもらやきもちを妬いているようにも見える。
「本当に恐れ多い。あんな約束を一国の姫と気軽にする男なんて他に知りません」
何やら軽蔑するようなジト目で俺を見て来る。
周囲もその言葉に我に返った様で、似た様な目で見て来たリ、逆に楽しそうな顔をしてるのも居るな。
特にゴシップが好きそうなメイド達なんかは頬を染めながら興味津々と言う目で俺を見て来る。
あぁ、こいつらも既に俺の事をシュトルンベルクの冒険者ギルドの教導役、そして『踊らずの姫君』の最初のダンスパートナーってのを知っているみたいだ。
……怖ぇぇよっ! なんの約束を俺はしたってんだ?
マジで早く復讐を遂げて死にたくなって来たぜ。
このまま何の約束をしたかなんて知らない方が良さそうだな。
「お前、それで拗ねてるのか?」
「そんな事で拗ねてなんかいません」
昼間の態度で汚っさん好き属性持ちの所為で少し俺の事に気が有りそうだったジュリアの事だ。
姫さんと良く分からねぇ約束した事にやきもちを妬いて拗ねているのかと思いきや、照れでもない真顔で否定された。
なんだ違うのか、俺の思い違いか?
なんか自意識過剰で少し恥ずかしい。
「ならなんで、怒ってるんだ? 俺がぼーっとしてお前が話し掛けてた事に適当に答えてたからか?」
俺が理由を聞くと、また目を逸らしながら今度は少し照れだした。
なんだって言うんだよ。
こいつの考え分からねぇ。
「そんなんじゃありません。……なんでそんなちゃんとした格好をしてるんですか? 昼間の方が良かったのに……」
「そっちかよっ!! お前の趣味なんて知らねぇっての!!」
この汚っさん好き属性め!!
ちくしょう! なんだってお前等は皆して俺の復讐を邪魔しやがるんだ!
これも神の策略か? ちっ鬱陶しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます