第105話 仮面の女


「…………」


 コウメの母親は俺の問い掛けにも答えず、相変わらず黙ったまま立ち竦んでいる。

 やはりワナワナと身体を小刻みに揺らしていた。


 今俺の事を『ショウタ』と言ったのか?

 聞き違い……? にしては 俺の心の奥を擽って止まない懐かしい響きだった。

 先輩や姉御、それに王子とも違った独特のイントネーション。


 こいつ一体何者だ?


 改めて仮面の女コウメの母親の姿を見る。

 立ち姿はそのヤンママ口調とは異なり、漂う雰囲気といい『準聖女』って言うのも頷けるような背筋をピンと伸ばし姿勢正しいシスター然とした佇まい。

 恐らく長いであろう髪は後ろで結い上げ、銀の髪飾りで留められている。

 色は、灰色……か?

 いや、通路に設置して有る魔道灯が、薄暗い温暖系の間接照明な所為で他の白系統の色との区別がつかねぇな。

 取りあえずコウメの髪の色は父親似って訳か。

 治癒師のねぇちゃんの話だと、俺と一緒の大陸出身と言う話だ。

 俺はチェルシーなんて名前の治癒師には心当たりは無かったんが、こいつは俺を知っていたと言う事だろう。

 以前懸念していた通り教会側は魔族絡みの事件の当事者である俺に目を付けていたのもな。


 チッ、昔の俺を知っている奴なんて、この大陸にゃ先輩達しか居ねぇと思って油断していた。

 当時の髪形なんかするんじゃなかったぜ。

 さっき俺の事を追っていた様な事を言っていたし、もしかしたらこいつは教会からの刺客なのかもしれねぇ。

 くそっ! 仮面の所為で考えている事が全く読めない。


 教会からの刺客の可能性が頭を過り、俺の身体に緊張が走る。

 このままじゃ埒が明かねぇな。

 俺から打って出るか。


「おい、どうしたんだよ。急に黙り込んでよ」


 仮面の所為で相手の感情が読めねぇ以上、その言葉から思惑を読み取る必要がある。

 俺はこの現状を打破する為に、あえて間の抜けた声でそう切り出した。

 この女、俺の正体に気付いて俺を消そうと攻撃してくるのだろうか?

 たとえ『準聖女』と謳われる高位の治癒師だろうが、俺にはどんな魔法を使おうとも効きはしないだろう。

 だが、コウメに自分の母親が俺を殺そうとする所を見せたくねぇ。

 それに、もしそうなったらコウメは間違い無く母親に付く筈だ。


 その時、俺はコウメと戦えるのか?


 こんな迷路みてぇな狭い通路だ。

 戦わずに逃げ切る事なんて出来なねぇだろう。

 まして相手が勇者様に準聖女様なんだからな。

 多分ダイスは俺に付いてくれるだろうが、折角やっと彼女と一緒になれたんだ、こんな事には巻き込ませたくない。


 そうだっ! さっきみたいに『忘却』の魔法! ……は、無理だな。

 仮に『俺の正体』って記憶を消しても、俺が『ショーンやショウタの顔』に似ていて、『38歳』と言う事までは消せねぇ。

 そうしたら、すぐに同じ答えに辿り着いちまう。

 そして、俺の正体に気付いてしまっている以上、『38歳』を消しても意味が無いし、『ショーンやショウタの顔』ってのは古い記憶過ぎて消す事が出来ねぇからな。

 完全に詰み状態だ。

 ……しかし、母さんはこの魔法の事を『一般に知られていない禁呪』って言っていたが、ただ単に使い辛過ぎるんで一般から忘れ去られただけなんじゃねぇの?

 

 なら、正直に喋っちまうか?

 あの事件は魔族が起こした事件で、そして俺は神の使徒。

 住人は既に魔族の眷属として元には戻らなかったから討伐……いや、あの時の俺はそんな事を知らずに、ただ殺したんだ。

 けど、魔族は倒して仇は取った……いや止めを刺したのはダイスだったな。

 クァチル・ウタウスを倒したのは俺だが、……奴の姿は誰も見ていねぇ。

 全部終わったあとに俺の口から皆に語ったのみで、その事だって教会の与り知らぬ事だ。


 ……こんな事を口で言っただけで信じるのか?


 メアリにしても治癒師のねぇちゃんにしても俺の話を信じたのは実体験に基づくものだしな。

 いや、仮に信じたとしても教会から刺客として送られて来る程の奴なんだ。

 口止めなんて出来ずに教会に報告しちまうだろう。

 『神の使徒を発見した』ってな。

 そうすりゃ、のんびり暮らす夢なんてのは、もう見る事なんて出来なくなっちまう。

 俺は『神の使徒』で『聖人』として教会に縛られ、神の敵である魔族との戦いに投じさせられる事になる。


 だからと言って、今この場から逃げ出す為に連続ブーストなんか使おうものなら、開けた場所でさえ俺の通った後は嵐の如く風が吹きすさぶ。

 こんな細くて入り組んだ通路なんざ、俺が高速移動なんかしちまうとす通路全体がまるでコンプレッサーの様にシリンダーの中で空気が圧縮された状態になる筈だ。

 俺が走り去った後、その圧縮された空気が解放されれば……、言わなくても分かる。

 勇者であるコウメでさえ、その原形を留めているかどうか……。


 俺の夢とこいつらの命。

 天秤に掛ける事さえ馬鹿らしい。

 仕方無ぇな、夢は諦めるか……。


「おい……」


「……ショ、ショ、ンとメだって? こりゃ驚いたよ! アーハッハッハッ。あの人が死んだ頃よりずっと若く見えるじゃないか。羨ましぃねぇ」


「へ?」


 諦めて全てを話そうとしたその瞬間。

 俺の言葉を遮る様にコウメの母親はそう言って笑い出した。


 え? え? なになに?

 『ショウタ』じゃなくて、『ショー』ンと『タ』メを聞き違えたって事なのか?

 『ショー』『タ』で『ショウタ』か、なるほどねぇ~。

 ははははは、なんだ、そうか。

 俺の勝手な勘違いだったのか。

 震えていたのも俺の若さにビビッていたって事か。

 はぁ~良かった良かった……。




 って、そんな訳ねぇだろっ!!

 明らかにキョドッてるじゃねぇか!

 仮面で表情は分からねぇが、小刻みにソワソワし出してるしよ。


 しかし、これで確定だぜ。

 こいつは確実に俺の事を『ショウタ』だと知っている。

 ただ、この場で手を出すつもりはねぇってのも分かった。

 恐らく自分の娘が慕っている相手を、その娘の前で手に掛けるってのは母親として気が咎めるんだろうさ。

 いや、もしかするとまず教会へ報告しに行こうとしているのかもしれねぇな。

 『目標を見付けた』とよ。

 そして、暗殺部隊を送り込んでくるなんて事も考えられぜ。


 それだけは避けねぇといけねぇ。


 急に襲って来る奴等に手加減出来る余裕の無い状況なら、誤って殺しちまう可能性だって有る。

 そうなったら本当の事を話すどころじゃねぇだろ。

 やはり、今ここで真実を言うしかねぇな。

 部外者隊長が居るが、どうせ教会に伝われば遅かれ早かれ周知の事実になるんだ。

 今喋っても構わんだろ。


「おい……」


「さっ、あんた。国王に用事が有るんだろ? 首を長くして待ってらっしゃるみたいだし、早くいかないとあんたの首が物理的に長くなっても知らないよ」


 また、俺が真実を喋ろうと口を開くと、それを遮る形でコウメの母親は自らの首をキュッと絞めるジェスチャーをしながらそう言って来た。

 国王を怒らせると縛り首になるって言う意味なのだろう。

 くそっ、こいつさっきから俺の言葉を邪魔しやがって。

 マイペース過ぎるのか知らねぇが、話が切り出せねぇじゃねぇか。


「いや、だから……」


「はいはい、あたしらはこれで帰るから。コウメ! 先生と離れるのは嫌だろうけど、今日はもう遅いんだ。家に帰るよ」


「え~もっと一緒に居たいのだ~」


 また俺の言葉を遮りやがった。

 もしかしてわざと……か?

 俺の事を魔族の手先と信じ込んでいるみてぇだから、そんな奴の話なんて聞きたくないって事なのか?

 しかもコウメを連れて俺達と別れようとしているのは、やはり教会に報告しようとしてるのかもしれねぇな。

 何とかして俺の話を聞いて貰わねぇと。


「おいってば……」


「なんだいなんだい、さっきから。そんなに熱心に話し掛けて来るなんざ、ふふっ、あたしに惚れて口説こうってのかい?」


「ぶっ! ち、違うっての! そんなんじゃねぇよ!」


「え? お母さんがライバルなのか……?」


 くっ、こいつ、なんか捉えどころが無ぇぞ。

 切り出そうとしても全て返される。

 強行突破しかねぇか。

 ……コウメの言葉は取りあえず無視しておこう。


「あのなっ! 俺はかみの……」


「はいはい話はここまで。あんたは国王に会う。あたしは家に帰って夕食を作る。お互い忙しいんだ。話なら暇な時に聞いてやるよ。じゃあね。 ほらコウメ行くよ! 今日はコウメの好きな鳥の香草焼きさ」


「やったーなのだ! 僕の大好物なのだ~。先生また明日なのだ!」


「なっ……」


 俺が『神の使徒』だと言おうとした瞬間、有無を言わさぬ勢いで捲し立てると、そのままコウメを連れて彼女が来た道に向かって帰って行く。


 強引に話を終わらせやがった……。

 あまりの事に暫し呆然として立ち竦む。


 ダメだ、何言っても話す前に封じられちまう。

 しかも何故だか知らねぇが、その言葉に抗えない自分が居る。

 何かの魔法か? いや、魔力は感じねぇ。

 心が負けちまっているとしか思えないぜ。

 死なせちまったショーンに対する負い目って奴か?

 けど、このやり取りはどこか懐かしい既視感に苛まれる。

 なんなんだこれ? 昔何処かで……?


 いや、今はそんな事より、このまま逃すと俺が魔族の手先として教会に垂れ込まれちまう。

 何とかしねぇと……。


「すまねぇ、ダイス。ちょっといいか?」


 俺は不思議な顔して俺達の会話を見ていたダイスを小声で呼んだ。

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