第89話 カモミール

「あっら~ん? こんなとこで合うなんて奇遇じゃないのさ」


 ぐっ……、近道だからってこの道通るんじゃなかったぜ。

 時間が早いから大丈夫かと思ったが……、そうかチコリーから集合時間漏れるよな。

 奇遇とか言ってるが、絶対店の前に立って待っていやがったんだろうぜ。

 営業時間より一時間は早いってのによ。

 ここは聞こえなかった振りして通り過ぎようか。


「ちょっ……ちょっと。ソォータさん! そんなに恥ずかしがらなくても……。って、待ちなさい! 照れて素直になれないから無視するって子供かってのっ!」


 声の主を無視して前を通り過ぎようとしたら、追いかけて来て服を掴まれた。

 そんなことより聞き捨てならねぇぞ、おい!


「誰が照れて素直になれないっかつーの! 朝っぱら大声で変な言い掛かりは止めろ!」


「あぁ、やっとこっちを向いてくれた。本当に困ったお人だよ」


! 困っているのは俺の方だって!」


 ったく、こいつはいっつもこうだ。

 俺は目の前の女性に対してうんざりする気持ちで目を向ける。

 こいつは巷で噂の美人薬師で未亡人。

 女手一つで娘を育て上げ、この街一番の薬屋の店主、チコリーの母親であるカモミールその人だ。

 噂になるだけあって、確かに美人っちゃ美人だぜ。

 それには文句は無ぇさ。

 宿屋の女将とはまた違う、眼鏡の似合う知的な雰囲気が漂う清楚系の美女と言う感じか。

 ……黙っていればって奴だがな。

 性格に関しては、よく言えば商売人、悪く言えば損得勘定至上主義の鬼と言う感じで、初対面の時の塩対応は忘れもしねぇ。

 チコリーの新人研修の際、まぁ女の子だしこの街住みで嬢ちゃんの知り合いって事で、一応親御さんに挨拶しに行ったんだが、その時の俺を見る猜疑心の塊みたいな目ったらなかったな。

 俺が新人演習の事を説明した後、開口一番『二人っきりになるからって娘に手を出したら承知しないからね!』とか啖呵切ってきやがったんだ。

 大事な娘の事なんだから気持ちは分からんでもないが、教導役に対して酷い言い草だぜ。 


「酷いじゃないか、家に夕飯食べに来るって約束してたのに一向に来やしない」


「あれはチコリーが勝手に言った事だ。それに最近忙し過ぎて行く暇も無かったっての」


 すっかり忘れてたぜ。

 どっちかと言うとこのまま永遠に忘れていたかったけどな。


「それに最近あたしと言う者が有りながら、あちこちで色々と浮名を流してるみたいじゃないか。嫉妬しちまうよ」


「浮名なんか流しちゃいねぇーよ! それにお前と言う者もない! 俺の製薬知識欲しいだけなんだろ?」


「おやおや、つれないねぇ。本当にそれだけだと思ってたのかい?」


 カモミールが少し視線を下げて、拗ねた感じでそう言って来た。

 その態度がやけに色っぽくてドキッと心臓が跳ねた。


「え? 違うのか?」


「初めて会った時ね~、娘の事で大喧嘩しただろ?」


「? あぁ」


 あの頃はまだ心が死んでた様なもんだったからな。

 大抵の暴言は右から左で受け流せてたが、カモミールの言葉には何故かムカムカして反論しちまった。

 『ガキに手を出すかーーー!!』ってな。

 それから売り言葉に買い言葉で大喧嘩だ。

 店内に居た他の客に衛兵に通報されそうになって慌てたチコリーが仲裁をしてくれたから事無きを得たが、我ながらなんでイラついたのか分からねぇ。

 いや、恐らく薬屋の匂いってのに刺激されたんだろう。

 なんたって記憶の中の日常だったからな。

 その懐かしさに、ふと冷え切っていた感情が揺さ振られちまったのかもしれねぇ。

 それが切っ掛けで、いまだに面と向かって言い合うのはこいつぐらいなもんだしな。


「それで、ほらあたしって自分で言うのもなんだけど、こんな器量良しだしね」


「本当に自分で言うな。で、何が言いたいんだよ」


「フフッ。あんな風に思いっ切り口喧嘩したのって、あたしらを置いてコロッと死んじまったあの人くらいだったのさ。他の男はおべっかばかりだったり、高圧的に言う事を聞かせようって奴等ばかりでね。あたしの事を対等に接してくれたってのがあんただったって訳さ。十分理由になるだろ?」


「……。で、本当の理由は俺の製薬知識なんだろ?」


「あっはっはっ! まぁね。ここらじゃ聞いた事の無い薬の製法に薬草知識。いやぁ~ここら辺に生えている草が薬になるってのを知った時は驚いたさ」


 やっぱりな。

 クソッ! ちょっとグッときちまったじゃねぇか。

 ハッキリ言いやがって、やっぱりこいつ苦手だわ。


「でもね、それだって十分相手を惚れる理由になるもんさ。今ならあたしだけじゃなくて娘も一緒にどうだい? お・や・こ・丼って奴さ。男の夢だろ?」


「ばっっかじゃねーーの? ばっっかじゃねぇーーの? もう知らん! 俺は忙しんだよ。んじゃぁな!」


 有るのかよ! 親子丼って言葉! 神の奴め何でも持ち込み過ぎだ!

 丼って料理は無ぇだろ! ……いや、そう言えばホテルのメニューに幾つか有ったな。

 クソッ! どっちにしろ、ちょっとその言葉に惹かれちまった自分が情けねぇ。


「あぁ、ごめんごめん。冗談さ。今日はそんな事を言う為にここで待ってたんじゃないんだよ」


 俺が怒ってその場から立ち去ろうとしたら、カモミールが俺の腕を掴んで来た。

 冗談ってのに少しガッカリした自分に自己嫌悪したが、俺を待っていた理由ってのが気になって振り返る。


「なんだよ。なんか用事でも有るのか?」


「いや、チコリーに聞いたよ。あんたこれからギルドの皆の為に王都に向かうんだろ?」ボソッ。


 声を潜めてカモミールが言って来た。

 チコリーの奴、身内だからってペラペラ喋りやがって。

 どっから漏れるか分からないってのに。

 今はまだ未確認な事が多過ぎるし、追加報酬の件も含めて黙っていろって言ったのによ。


「あぁ、そうだが。今の所極秘なんだ。誰にも言うなよ」ボソッ。


「分かってるさね。あんたに渡したいものが有るんだ。ちょっと店に入りなよ」


 え~、なんか怪しい勧誘みたいで嫌な予感しかしねぇんだが……。

 仕方無ぇ、ここで大声で叫ばれても面倒だ。

 それに、いつもの様な冗談じゃねぇって目をしてやがるしな。


「あんまり時間無ぇから少しだけな」


「あぁ、分かってるよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「で、渡したい物ってなんだよ」


 カモミールに促されるまま店内に入った俺は、店の隅っこに置かれている椅子に腰掛けた。


「今、お茶を出すからちょっと待ってて」


 『お茶なんか要らねぇよ』って言いかけた言葉を飲み込んだ。

 ふぅ~、この店内の匂いに雰囲気。

 母さんの工房を思い出す。

 居心地良すぎて困ったもんだぜ。

 ついカモミールの言葉に甘えたくなっちまう。


 俺は故郷の麓の町で目覚めてから、一度も薬屋に寄った事が無かった。

 薬は自分で作れるし、力に目覚めてからはそんな物は必要無くなったしな。

 まぁ、本当の理由は記憶から逃げていたって奴なんだが。

 今朝見た夢……『将来薬屋を開く』か。


 あ~~!! ヤバいヤバい! なんかそれも良いかなんて思っちまった。

 だから薬屋には来たくなかったんだ。


「はい、龍舌草のお茶だよ」


 そう言ってカモミールはお茶を入れたコップをテーブルの上に置いた。

 そして、そのまま向かいの椅子に座った。


 『龍舌草』か……。

 元の世界にも同じ別称を持つリュウゼツランってのが有るがそれとは別物だ。

 外見はでっかいタンポポの葉みたいな姿をしており、それを煎じてお茶にする。

 効能は効果は低いものの滋養強壮に眠気覚ましってな、ちょっとした栄養ドリンクみてぇなお茶だ。

 味は……まぁ、良薬口に苦しって所だな。

 ただこのお茶には、それ以外にも逸話が有る。

 昔ある国の英雄が迫りくる魔物の群れに立ち向かう際に、このお茶を飲んで出陣しそして勝利したらしい。

 それから、このお茶を戦場に行く人に出して無事を祈るのが一種の慣例になっていた。

 これに関しては、隣の大陸だけじゃなく世界共通みてぇだな。

 しかし、何だってカモミールは俺にこれを薦めて来たんだ?

 一瞬口にするのは躊躇われたが、あいつが見せた真剣な目を信じてそのまま口に運ぶ。

 う~、やっぱり苦ぇ。


「これか? 渡したい物って?」


 俺はその苦い後口に顔を歪めながらそう言った。

 すると、カモミールはそんな俺の顔に笑みを零しながら首を振った。


「ふふっ、違うよ。ちょっと待ってて。今取って来るから」


 そう言ってカモミールは立ち上がり店の奥に消えて行った。

 なんなんだ一体?

 いや、今の内に念の為お茶を鑑定しておこう。

 ……特に問題無いな。

 良かった普通の龍舌草茶だ。

 しかし、なんだってんだ?

 わざわざ俺に龍舌草茶を出すって……。

 偶然か? それとも宿屋の二人みてぇに俺の事に気付いてるとか言うんじゃねぇだろうな。


「お待たせ。これを受け取って欲しいのさ」


 俺が理由をあれこれ考えていると、カモミールが何かの包みを持って奥から現れた。

 そして、その包みを俺の前に差し出してくる。

 俺は首を傾げながら受け取った。

 持った感触は、包みの中は木箱の様な物らしい。

 俺は箱をテーブルの上に置き包みを開けた。

 感触通り、中は古臭い木の箱の様だ。

 箱の表面には『家宝』と書いて有る。

 勿論こっちの世界の言葉でだが。


「おいおい、なんだよこれ。家宝って書いて有るじゃねぇか。こんなん受け取れねぇよ」


 受け取ったら既成事実で結婚させられそうじゃねぇか。

 こんな怖いもん貰えるか!


「良いから開けてみなって」


 俺の焦っている態度を笑いながらカモミールは優し気な目でそう言って来た。

 なんかさっきからいつもと態度が違うな。

 まぁ、取りあえず中身見るだけは構わんか。


「ん? これは……?」


 蓋を開けると、そこには梱包物に紛れて一つの薬瓶が入っていた。

 瓶はガラスか水晶製か、非常に透明度が高く中の液体が見える。

 栓は頑丈に封されており、どうやらそこに書かれている紋からすると状態保存の魔法が掛かっている様だ。

 見た事が無い薬液の色だ。

 黄色? いや山吹色? 違うな、どちらかと言うと黄金色ってのが近いか。

 何の薬だ?


「それは、エリクサーよ」


「え? エ、エリクサーだって!!」


「しぃぃ! 声がデカいわよ!」


「す、すまん……」


 カモミールに怒られてしまった。

 しかし、本当にこれがエリクサーなのか?

 現物は俺でも初めて見るぞ。

 こんな貴重な物がなんでここに有るんだ?


「ソォータさん。それ持ってお行きよ」


「は? ば、バカ! おいこんな貴重な物受け取れねぇよ。これ売りゃお前ら家族一生遊べるじゃねぇか。そうすりゃ俺なんかの製薬知識なんて要らねぇだろ?」


「ははははっ。遊んで暮らすなんてごめんだよ。あたしは先祖代々薬屋やってるんだ。薬師のプライドに掛けてそんなのこっちから願い下げさ」


「す、すまん」


 俺の売ればいいと言う言葉に、カモミールは自信満々に否定して来た。

 その目には絶対譲れない職人の矜持の色が浮かんでいる。

 その迫力に俺は思わず謝ってしまった。


「だからと言って、これは受け取れねぇぜ。家宝なんだろ? 大事にしろって」


「ソォータさん。あんた強いって事を隠していたそうじゃないか」


 カモミールは俺の言葉には答えず、話を変えて来た。

 強いって話はチコリーに聞いたのだろう。


「まぁ、面倒事が嫌いだからな」


 チコリーが話したのなら、昨日の特訓は周知の事実だし、ここで変に誤魔化しても無駄なので、あえて認めた。

 普段なら『黙っててやるから』なんて脅してきそうだが、この様子ならそんな事もあるまい。

 まぁ、チコリーには女媧モドキとの戦闘の際に、もっとすごい事を色々と見られちまっているがあいつの説明下手は筋金入りだ。

 伝えられる訳がねぇ……。


「しかも、魔法さえ使いこなすなんてビックリさ」


 ブゥゥゥゥゥ! なんでバレてる!


「な、な、何の事かな?」


 あまりの動揺に上手く誤魔化す事も出来やしねぇ。

 魔法に関しては、別に火が出るとか雷が出るとかとか言う派手なのは使ってねぇからバレてないと思ったのに!


「ハハッ。思ったより嘘が下手だねぇ。先日チコリーを怪物から助けてくれただろ? その時聞いたのさ」


「え? あいつ説明下手糞だろ? ドーンとかバーンとか」


「あたしは、あの子の母親だよ? それくら分かる物さ」


 そ、そんな馬鹿な。

 母親だからって擬音だけの表現で伝わる物なのか?

 そんなの反則だろ!!


「あたしの旦那は魔法使いだったのさ。そして補助魔法が得意だった。あんたが投げたナイフ。あれナイフにブースト掛けた物だろ? 威力は比べ物にならないだろうけど様子を聞くだけで分かるよ」


 かーーーー!! またもやトラップ後出し設定かよーーーー!!

 しかも、一番知られちゃマズい奴じゃねぇかぁーーー!!


「な、何の事かな。お、俺は投擲力がトロール並みだからな」


「フフッ、そう言う事にしてあげるわ」


 カモミールは、さも楽し気に目を細めてそう言った。

 うぅ、あの時は仕方無かったとは言え早まっちまったぜ……。


「で、何が望みなんだよ」


 『結婚しろ』ってのはさすがに断らせて貰うが、俺の持ってる製薬知識なら教えてやるとするか。

 火山の樹海の薬草は全部燃えちまったけど、周辺はまだまだ未開の土地だ。

 貴重な薬草は見つかる筈さ。


「ソォータさん。あんたには生きて欲しい」


「は?」


「あんたには、死んだあの人の代わりに生きてて欲しいんだ」


 旦那の代わりって……?


「な、なんだよ藪から棒に。そんな重い話、ビビるじゃねぇか」

「あの人は元々薬草ハンターだったのよ。薬草オタクでね。腕は大した事無いってのに一人で色んなとこに採取に出かけていたの。危ないから止めてって言っても『お前の喜ぶ顔が見たいから』って、無茶してね……」


 カモミールは当時の事を思い出したのか、目に涙を浮かべ出した。


「そして旅先で死んじまったのか」


 『死んだ』と言う言葉を口に出せない様だったので、俺が言ってやった。

 カモミールは肩を震わせて小さく頷く。


「魔物に酷くやられたみたいでね。家に帰って来たのは血だらけのローブだけだった……」


 もしかして、チコリーが血を見るのが苦手なのはその所為だってのか?

 それなのに、親父と同じ様に薬草ハンターになろうとしてるのか……。


「もし、あの時そのエリクサーを持っていたら助かったんじゃないかって、なんで危ないって分かってたのに持たせなかったのって……。うぅぅぅ」


 カモミールはそのままテーブルに突っ伏して泣き出してしまった。


「……そんな大事な薬をなんで俺に渡すんだ?」


 掛ける言葉が見付からず、俺には薬を渡そうとする理由を聞くだけしか出来ねぇのが情けねぇぜ。

 

「……。女の感さね」


 テーブルに突っ伏したままカモミールがそう言った。

 女の感? 意味が分からねぇ。


「あんたはこの先、絶対にこの薬が必要になる時が来るって予感がするの。あんたは強いけど、それでもあの人みたいになって欲しくない。渡さなかったから……そんな後悔は二度と御免だよ。だから……それを持って行ってくれないか?」


 最後の言葉は顔を上げ、泣き腫らした目で俺を見詰めて来る。

 チッ、そんな目で言われちゃ何も言い返せねぇ。

 そんな未来は来て欲しくねぇが、確かに『城喰い』の時にエリクサーが有れば勝ててたかもしれねぇしな。

 女の感か……信じさせて貰おうか。


「分かった。有り難く頂いておくぜ。けどよ、金に困って売っ払らっちまうかもしれねぇぜ?」


 この場の空気に耐え切れず、あえて茶化すように言ってみた。

 怒って返せって言われるかもしれねぇが、それはそれで元気が出るだろ。

 俺達の口喧嘩はいつもの事だ。


「フフフッ。それでもいいよ。その時、あんたにはその金が必要だったって事だろうさ」


 まだ目は涙で赤いが、カモミールは笑顔でそう言って来た。

 ぐっ! そんな言葉が来るとは予想してなかったぞ! くそ~やられたぜ。

 ちょっとドキンとしちまった。


「冗談だ! 売らねぇよ!」


 恥ずかしくなって目を背けて立ち上がった。

 なんか変な空気になりそうだし、このままこの場に居るのは非常にマズい。

 俺はそのまま入り口に向かって歩き出した。


「フフフッ。そろそろ時間だね。引き止めてすまなかったね。気を付けて行っておいでよ。……あと、絶対生きて帰って来るんだよ」


 俺にそんな言葉を掛けて来る。

 あーーー! もう! なんか頭が沸騰しそうだぜ!

 もしかしてコレ、こいつの作戦じゃねぇのか?

 うん、そうだ! そうに違いねぇ。

 俺は、カモミールの想いに混乱して自分にそう言い聞かせて何とか心を落ち着かせた。

 そして……。


「あぁ、死ぬ気なんかサラサラ無ぇよ。じゃあ行ってくるぜ」


「あぁ、行っておいで。あ・ん・た」


 ブゥゥゥゥーー!!


「それ! やめろっ!」


 バタンッ!


 ふぅ~、やっぱりカモミールの作戦だったじゃねぇか。

 危ねぇ危ねぇ、もう少しで引っ掛かる所だった。


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