未来へ

 整理の行き届いた静かな小部屋。

 机には様々な部族長から送られた見舞いの品が並ぶ。

 壁紙は白を基調とし、時折茶色い木目がその隙間を覗かせる。

 この部屋にいるとなぜか落ち着くのはきっと色調のせいだけではない。

 治癒魔法を得意とするプルテア族が、壁紙の隅から隅まで精神を安定させる魔法を染み込ませており、そこから発せられる治癒波の影響はかなりあるだろう。


 外から入り込む優しい風に、白いカーテンがなびく。そのカーテン越しに、アポリオールは外の景色を眺めていた。

 草原になびく草花、遠くには山脈も霞むが、辺りは至って平和な空気で満たされていた。その景色に顔を近づけようと腰を持ち上げた瞬間、


「アポリオール様! あぁ、動かないでくださいとあれだけ申し上げたのに。また最初っからですよ」


 そう言いながら、ベッドの横に立つプルテア族の女は口を尖らせた。もうかれこれ一時間弱、アポリオールの下半身に掲げていた両手を降ろし、肩をすくめる。


「アポリオール様、何度申し上げたら分かるのですか? あなた様の腰から下は神経と筋が電磁波動で完全にやられてしまって、全く機能していないんです。この治癒魔法が唯一の治療方法で……」


 この説教を何度聞いただろうか。

 この唯一の治療を一日一時間、半年間続けなければ治る見込みはない。その治療中は少しでも動いたら効果が無くなる、もう言われなくても分かっている。そして……


「……治せるものはしっかり治しましょうね。残念ながら記憶の方は治せませんが」


 治癒魔法に特化した部族であるプルテア族でさえ治せるのは神経と筋だけ。イオド火山の波動を浴びすぎたアポリオールは遠い昔の記憶が損傷していた。この傷だけはプルテア族をもってしても治せない、毎回ここまでご親切に解説してくれる。


 アポリオールはその呆れた表情で、魔法師の女を眺めた。

 通常の人間より一回り小柄で、全身真っ青、頭から伸ばした触覚のような二本の突起は苛立ちで震えていた。



——トントン。


 突如、戸を叩く音が響く。


「あら、面会ですかね? どうします、アポリオール様」

「誰にも会いたくないと言っただろう、しばらく独りにしてくれ」


 魔法師の女が一つため息をついてから、戸の向こう側にいた者と小声で会話をした。それからアポリオールの元へ近寄り、そっと耳打ちをする。

 それを聞いて、しばらく何かを考えていたアポリオールはやがて小さく口を開いた。


「入れろ」


 扉がギイー、と開くと、まず車椅子が目に入った。そしてそこに乗っていたのは見覚えのある顔だった。


「ラルス、生きていたのか!」


 ラルスは太ももから下こそ欠けていたが、上半身は健全で、表情も豊かだった。


「将軍、ご無事で何より」


 思わずアポリオールから笑みがこぼれた、あの日以来笑うのは初めてだった。


「よせ、もう私は将軍ではない。それよりお前、どうやってあの溶岩の中を?」


 ラルスは一つ恥ずかしげにうつむくと、その目線を落とした。


「ええ実は私、水の神アクエリオンの血が流れておりまして、数分だけなら、高熱に耐えることができるのです。さすがに溶岩に耐えうるかどうかは自信ありませんでしたが……。もし将軍を抱えたまま沈んでしまっていたら、死んでも死にきれませんでした」


 苦笑いを含めて放たれた言葉だったが、アポリオールにとってはあの時、あの行動こそが運命の分かれ道だった。

 あの時ラルスが自分を担いでいなかったら、今頃マグマの一部になっていたのは間違いない。


 一人の女性が、車椅子を押して、アポリオールの前まで近寄った。そしてつつましやかにお辞儀をすると、再びその首を上げた。

 

「ラルスの妻、ミュルスと申します。夫から話は聞いております。あなた様のような方の下で戦えて光栄だったと」


 アポリオールはミュルスの姿をまじまじと見つめた。


「ラルス、お前の妻は月の民だったのか?」


 そのミュルスの姿は、小柄ではあるものの普通の女性とさして変わりはなかった。

 一つ違いを挙げるとしたら、頭の上から大きなうさぎ耳が二つぴょこんとついていることだ。


「ええ、そしてこちらが……ほらちゃんと挨拶しなさい」


 ミュルスの足元にしがみつく小さな影があった。それは少し顔を出しては、さっとまた隠れる。それを無理やり表に出すミュルス。やがて恥ずかしそうにうつむく少年が現れた。


「息子のムルナです。月の言葉で勇敢な戦士を意味します。将軍のように立派な戦士になるよう、思いを込めて名付けました」

「そうか、ムルナ、こっちへおいで」


 恥ずかしそうにアポリオールの前に立ったムルナは目線を合わせず、ひたすら地面を見つめていた。

 その瞳に近づき、アポリオールはゆっくりとこう告げた。


「きっとお前は父上のように勇敢な大人になるだろう、父上の言うことをしっかりと聞くのだぞ」


 ムルナは視線を合わせることなく、小さくこくりと頷いた。

 そのはにかむ表情が、アポリオールの遠い過去、どこかで見たような何か懐かしい映像を思い出させた。


——この子が大きくなる頃には、


 だがその映像が何なのかは、もうアポリオールには思い出せなかった。


——その頃には、戦士など必要の無い世の中になればよいのだが——


 そう思いながら、ムルナの頭を優しく撫でた。


(了)

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