対峙 闇と真実と……
翌日、アポリオール率いるソラーレ解放軍は一気にニグラミア帝国の砦を追い込んだ。もう既に壊滅寸前であったこともあり、戦線は有利に進んでいた。
残すところは、あと皇帝ゼウスの首である。
「将軍、ゼウスは山頂へ逃げたようです」
その報告を聞いたアポリオールは、うむ、とだけ言うと高らかに声をあげた。
「皆の者、我について参れ!」
アポリオール一行が山頂に着くと、既に先陣舞台が到着していた。
しかし待っていたのは残虐極まりない光景だった。
解放軍の兵士がゼウスに勇ましく襲いかかる度に、ゼウスの目が怪しく光る。すると兵士は苦しみ始め、そのまま無残にもゼウスの黒い槍に突き刺され、虐殺されていた。一人としてゼウスの半径1メートル以内に近づける者はいなかった。
「待て、私が行く」
アポリオールの乗った白馬が一つ大きく嘶いた。
氷冷糸とよばれる特殊な成分で編み込まれた鎧に、深紅の槍。辺りの岩さえとろけそうなこのイオド火山でも涼しげな表情を浮かべ、ゼウスとの距離を縮めた。
一方ゼウスが乗りこなすのは全身真っ黒な青毛馬、不吉な星という別名を持つガニメデス。暗黒の仮面からはその表情は伺えない、ただ漆黒の槍を携え、背後の荒れ狂う溶岩にも動じず、近寄る将軍を見下ろしていた。
お互いがいよいよ射程距離に入るか否かという時、激しい地響きが鳴った。
突如火口からマグマが吹き出し、一気に二人の周りをドロっとした鮮紅が円状に囲む。その紅い土俵には今、アポリオールとゼウス、この二人しかいない。
「なあゼウスよ。この戦い、どうせ生きて帰るのはたった一人。ならば聞いておこう」
「…………」
聞いているのかいないのかすら読み取れないその仮面に、アポリオールは続けた。
「何故……どうして父さんと母さんを殺した?」
ゼウスの跨るガニメデスはその黒にマグマの赤を反射し、今にも飛びかかりそうな荒い鼻息を吐いていた。一方で、その上に佇む暗黒の仮面はピクリともしない。しかし、その薄気味悪い闇の表情から、おぞましい返事が響いてきた。それは声なのか、ただの響きなのか判断つきにくい程低い音だった。
「その話か……くだらない。もしお前が私に勝ったら、話してやってもいいだろう」
そう言い終えると同時に、二人は円の中心目掛けて駆け出した。
その中心、目にも留まらぬ速さで、お互いの槍が弾かれる。ガシン、というまるで隕石と隕石とがぶつかり合うかのような鈍い音が響き、そのまますれ違う二人。
ある程度距離を取ると、両者ともただちに円の中心へと転回し、再び距離を詰める、そして衝突してはすれ違う。その度に激しくぶつかり合う、情熱と憎悪。
たった一突きでいい。
馬、もしくは体にお互いの槍が突き刺さればこの勝負は終わる。しかし、その一瞬をお互い見事に交し合い、両者一歩も譲らぬ戦いとなった。
やがて、ゼウスがマグマの内縁を時計方向に回り始めた。
合わせるようにアポリオールもマグマの縁を辿り、距離を取る。
そのままゼウスは勢い良くガニメデスに鞭を入れた。と、その瞬間勢い良くマグマの土俵を回り始めた。
アポリオールも負けじと同様に、追いかけるように回り始める。
その速度はまさに互角、どちらが追って、追われているのか、判断がつかないほど一定した距離を保ちながら、二者はそのマグマの内縁を辿っていた。
一方が勢いを落とすことがあれば、ただちに背後を取られ、突かれるだろう、それはすなわち「死」を意味する。両者全力で回り続ける、どちらも背後を譲らない。
目の回るようなその周回。やがて二人の描く円は徐々にその直径を狭めていった。そしてついに中心に辿り着こうとしたその時。
ガシン。
凄まじい力と力がぶつかった。
クロスする漆黒と深紅の槍、その有り余るエネルギーを中心に受け小刻みに揺れる。二人の顔がすぐ側まで近づいていた。暗黒の仮面はその縁から黒い炎が揺らめいていた。
「あれは星の降る夜だったな」
ゼウスの低い声が鳴った。
星の降る夜。
それは4年に一度訪れる、夜空に流星が瞬く特別な日だった。
アポリオールの家系では代々その夜に後継者を告げることになっていた。
しかしその夜、事件は起きた。
その日の夕方、隣村の災害支援に行っていた17歳の若きアポリオールは、夜に間に合うようにと馬を走らせた。ところが急いで帰ってきた彼を迎えたのは、何者かに殺された父と母の遺体だった。そして残された唯一の肉親である弟の姿ももうそこには無かった。
アポリオール、悲壮なる運命の始まりを告げた夜である。
いつしか二人を囲む溶岩の円は徐々にその直径を狭めていた。
「……何故殺したか、だって? 笑わせるな。本当はお前にも分かってるんだろ。私が何者で、何故殺したのかも——」
暗黒の仮面、その口元が幾分緩んだように見えた。火口からは怒りのマグマが飛び跳ねる。交差する黒と紅、その二本の槍はどちらもその力の勝負を譲らなかった。
「——そんなに知りたいなら、教えてやろう。それはな、あの時、あの星の降る夜、あいつは私ではなくお前……いや兄さんを後継者として指名したからだよ! 剣術も中途半端、虫も殺せないような弱腰のあんたをな!」
は、っとしたアポリオールのその瞬間をゼウスは見逃さなかった。
瞳の奥が怪しく光る。
次の瞬間、大きく振り上げられた漆黒の槍がアポリオールの胸を貫いた。ゼウスの仮面が暗黒の炎に燃え上がる。
そのまましばらく時が止まっていた。
漆黒の槍に貫かれたアポリオールの背後には、荒れ狂うマグマ。
そして微かな声が響いた。
「……やはりゼウスの正体はお前だったか、ユピテル。お前はそんな——そんな理由で父さんと母さんを殺したのか。なぜ……」
ゼウスの槍はアポリオールを貫いたまま微動だにしない。
アポリオールの口元もほとんど動かないまま声が漏れ出ていた。
「……ユピテル。父さんは本当はお前を後継者にしたかったのだ。だが出来なかった、なぜだか分かるか?」
ゼウスはその時やっと気づいた。
これらの声が目の前の敵、自分が突いたはずのその先からではなく、もっと別の場所から届いて来ていたことに。
それに気づいた仮面が後ろを振り返った時、既に何者かが大きく槍を振り上げているのが見えた。
白馬に跨った、その人影によって大きく振り上げられた深紅の槍。そしてその槍をゼウスの背中目掛けて目にも留まらぬ速さで振りかざす。そのまま鋭く尖った先端がゼウスの背中を貫いた。
ぐはっ、という叫びと共に、ゼウスの
「——それはな、ユピテル、いやゼウスよ。お前が自分の中の闇に勝てなかったからだよ。父さんはそれを既に見抜いていた。お前という能力のあるやつが……お前と一緒なら世界統一だって夢じゃなかった、なのになぜ……」
ゼウスが刺したアポリオールは幻だった。
そのままゼウスはガニメデスの背から、荒れ狂う溶岩の中に落ちた。
その瞬間、ぐあぁぁという叫び声が響く。もう既に体半分が溶岩に飲まれていた。
「……おのれ、口惜しや……今度、もし今度生まれ変わったら」
アポリオールは溶けて行く弟の最期を見下ろした。
その魂を燃やしながら吐かれる罵りを待った。
そして目を閉じる。
「……今度生まれ変わったら、兄さんみたいになれるか、な——」
目を開けた時、そこに弟の姿はなかった。
ほんの一瞬だけ、アポリオールの脳裏に、幼少の頃ユピテルと一緒に森で野ウサギを追いかけていた光景が過った。
*
「いい? 僕がこっちから追い込むから、出てきたところをユピテルが射ってね」
「うん、分かった」
アポリオールが気づかれないように木の陰から、狙った野ウサギを追い込む。
しかし、あと一歩というところで、気づかれ、野ウサギは茂みに消えてしまった。
「あれ? 兄ちゃん、来ないよ? いつ来るの?」
「ごめん、ユピテル。また失敗だ」
「まただね、失敗」
二人ともそれはそれは楽しそうに笑っていた。
*
「将軍!」
はっと、我に返ったアポリオールが辺りを見回すと、既に溶岩の円は彼を囲み、もうそこから出ることは不可能なまで迫っていた。
時既に遅かった。
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