陽を追う闇と、闇討つ光

木沢 真流

決戦前夜

 イオド火山、八合目。

 訓練無しにこの地を訪れたなら直ちにその熱気と、目に見えない特殊な波動に意識まで吹き飛ばされ、数秒と持ち堪えることさえ困難なエリアである。


 ここに一つの軍事基地がある。

 アポリオール将軍率いるソラーレ解放軍の仮設キャンプだ。


 仮設と言っても、ただの小屋ではない。

 マキュロム族と呼ばれる魔法師の部族が、氷冷魔法を交代で寝ずに唱え続けてくれているおかげで、燃え上がらずに済んでいるこのキャンプ。もしたった1秒、魔法師が居眠りでもすれば、ここにいる500人の精鋭たちは一瞬にして灰と化すだろう、そんな危険なエリアだった。


 氷冷魔法の傘の下、鍛え抜かれた猛者もさどもが明日の決戦に備え寝床についていた。屈強な男たちが入り乱れ、様々ないびきや曲がった脚たちが飛び交う薄暗い部屋を眺めながら、ラルスはまだ眠りにつけないでいた。



——明日の戦いは間違いなく、歴史に刻まれる戦いになるだろう——


 数時間前の、アポリオール将軍の言葉が蘇る。


——見よ、星の誕生から数億年と怒りのマグマを吐き続けてきたイオド火山を。あの頂が今、そなたたちの歴史的瞬間を見つめておるぞ——


 明日は敵国であるニグラミア帝国、その最後の砦に攻め入る日。その砦がここイオド火山の山頂にある。帝国を率いるは自らを皇帝と名乗る暗黒騎士、ゼウス。

 一度見つめられればその瞳に魂を地獄の奥まで吸い込まれてしまうと言われる魔術の持ち主。その魔術に耐えうる精神力を持たない並大抵の兵士では、彼に近づくことすらままならないという。

 そんな黒い影をラルスはぼんやりと思い出していた。



「——眠れないのか?」


 不意に浴びせられたその声にラルスは飛び上がった。


「はっ、将軍。申し訳ありません、つい……」

「よい、座れ。それでは明日まで持たぬぞ」


 突如横に現れたアポリオール将軍は、そう言って床を指さした。お世辞にも綺麗とは言えない戦闘服を身に纏い、床に胡座をかいたまま。しかしその彫りの深い顔立ちと、上品な髭は、彼の底知れぬ威厳を感じさせた。

 ラルスはかたじけない、と言わんばかりに頭を下げると再び床に座した。


 アポリオールは将軍という立場でありながら、隊員と同じ食事、服、そして寝床を共にすることで有名だった。常に隊員と同じ目線で戦に臨む、その姿勢が現在の彼のカリスマ性の原点である。


「ラルス、確かお前の弟はゼウスに殺されたのだったな」

「はい、今思い出しても恐ろしい記憶です。未だに夢に見ます」

「魔術か……例の?」

「ええ。あのゼウスの瞳に睨まれ、弟は身動き一つ取れませんでした。そのまま喉を一突きに殺されました。それを助ける事が出来なかった自分が情けなくて……」


 ラルスの左手が小刻みに震え出した、いつもの発作だ。弟の最期を思い出すと、ラルスは決まって左手が震える。

 その振動を、右手で力一杯封じ込める。


「弟を思う気持ちは私も分かる。その思い、忘れてはならぬぞ」

「将軍様にも弟君が?」

「——あぁ、私にも弟がいた、名をユピテルと言ってな。剣術も頭脳もずば抜けて優秀なやつだった。もしあいつがいてくれたら、きっと将軍にだってなれただろう。私は戦士なぞにはならず、きっと今頃庭先で好きな絵でも描いていただろうに」


 ——もしいれば。

 アポリオールの生涯は常に孤独が付きまとっていたという。若くして家族を失い、剣術で定評のある名家を自分が継がなければならなくなった。もともとは戦向きではなかった彼はその後、計り知れない試練と孤独を乗り越え、今に至る。その熾烈を極める過去こそが、兵士たちの共感を呼び、彼の求心力を強め、そして今の将軍という最高の地位まで登りつめた。


「将軍、明日は必ずヤツの息の根を止めてみせます。その為にはこの命、すでに捨てた覚悟でおります」


 ラルスのその殺気立つ迫力に、アポリオールも力強い瞳で見つめ返した。紅い、燃えるような瞳孔だった。


「うむ、その気持ち、しかと受け取った。しかし命はたやすく捨ててはならぬ、お前にだって家族がいるだろう。家族にとって一番の土産は何だと思う? 名誉じゃない、お前の無事な体だ。全てが終わった後、お前の骨を持って家族に頭を下げる私の気持ちも考えてみろ」


 いつしかラルスの左手は止まり、代わりに顎が揺れ始めた。

 鼻をすする音が静かに響いた。

 抑えていた家族への思いが、喉の手前まで押し寄せては、それをぐっと飲み込んだ。


「ありがとう、ございます……将軍」

 

 ラルスのそんな声を聞いてから、アポリオールは一つ頷くと静かにその場を去って行った。

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