2、本当に望むのか
「……轢き逃げ、ですか」
山岸の言葉を聞き、クロが小さく呟く。
「もう少し……、もう少しで今の事業も成功するところでした。……ですが、轢き逃げという形で責任者の私が殺され、事業は失敗、私自身も冥界へ逝くことも現世へ留まることも出来ず、こうして彷徨うことになってしまいました」
「それは……。お辛いですね」
クロが山岸に同調して、自らも辛そうに相槌を打つ。
だが、そんなクロや山岸の雰囲気を完全に無視して、フィーネは仕事の話をどんどん進めていく。
「知ってのとおり、ここは悪魔の仇討専門店だから、もちろん報酬は貴方の魂。そして、物理的抹殺なら対象の魂も。社会的抹殺なら、その他の何か」
「え……あぁ、……物理的?」
山岸はよく判っていない様子だった。
フィーネはそれを察し、抹殺方法についての解説を始める。
「懲罰屋でいうところの抹殺には2種類ある。一つは物理的抹殺、つまり普通に殺害」
「そして社会的抹殺というのは、対象を”恐怖の深淵”に突き落とし、二度と人間として機能しないようにさせることです」
「二度と……」
「人間としては廃人となり、自ら死を選ぶ権利も剥奪し、体が朽ちるまで、永久に恐怖に怯えることになる。前の時は、偶然対象が死んだけど、基本的に自我を奪われた対象は、『死』という概念そのものが無くなるから、自殺とか、そういう逃げ道は閉ざされる。死ぬことも生きることも出来ず、24時間、底知れぬ恐怖に怯え続ける」
美しい声で淡々と語るフィーネに、山岸は恐怖を感じた。
ポケットからハンカチを出して冷や汗を拭い、少し考えてから口を開いた。
「……殺して楽にしてしまうより、我が魂を賭けてまで仇討をしたいと思う、この恨みを思い知らせてやりたいですね」
「社会的抹殺、ですね。……殆どの人は、そちらをお選びになりますね」
クロが過去数件の依頼を思い出しながら呟く。
「それで、その他に何か、というのは……金銭的な?」
「そうですね、何か価値の――」
「面白いもの」
クロの言葉を完全に遮り、フィーネが一際大きな声を出す。
「ちょ、ちょっとフィーネ!」
「面白いもの」
先ほどとまったく同じトーンで繰り返すフィーネ。
もうこれ以上は無駄だろうと、クロはぶつぶつと文句を言いながら引き下がった。
「お、面白いもの、ですか……。それでしたら、そうですね……。私の住んでいた家に、いわくつきの妖刀がありますが……」
「妖刀?」
フィーネは無表情のままだが、何となく嬉しそうだ。
「ええ。何でも安土桃山時代の品だそうで、100人の人間を切り殺したというとんでもない刀です。今は札で封印されていますが、かつては……」
「それでいい。それがいい」
山岸の説明を聞き終わる前に、フィーネはやや早口で言った。
「報酬は仇討終了後に受け取りに行く。受け取れる状況にある?」
「ええ。すっかり廃墟になってしまっていますが、私の家はそのままにされていますので」
「わかった。それなら、大丈夫」
よほど楽しみなのか、先ほどまでとは山岸に対する態度がまったく違うフィーネとは裏腹に、クロは頭を抱えていた。
「あの、クロさん……。本当に刀なんぞでよろしいのですか?」
「大丈夫です。……というか、ああなったらフィーネは止められません」
さぞかし苦労を積んできたのだろうと察して、山岸はクロの頭を優しく撫でてやった。
「でも」
どこか上の空だったフィーネが、山岸を見据えて突然口を開く。
「仇討が成功すれば、あなたは魂を私に食べられて、二度と輪廻の輪には戻れず、貴方と言う存在は消滅する。それでもいい?」
「構いません」
即答だった。
「私にはもう何も憂慮することなどありません。天国で再開するような仲間もおりません。ですから、……構わないのです」
「それじゃあ、この書類にサインを」
フィーネはどこからか持ち出した契約書を山岸に差し出す。
山岸はそれを恭しく受け取ると、驚くほど美しい文字で自らの名前をそこに記した。
「契約、成立」
フィーネは山岸に軽く一礼すると、契約書を封筒に戻し、部屋を出て行った。
「え、あの……、私はどうすれば?」
そのまま置いていかれた山岸は、困惑した表情でクロに問いかける。
「すみません、フィーネはいつもマイペースなもので……。まずは、貴方が命を落とされた現場に案内していただきます」
「現場、ですか……?」
「ええ。フィーネはそこから対象の気配を辿り、そうして追い詰めていくんです。準備が出来たら戻ってくると思いますから、それまでしばらくお待ちください」
クロはそう言って頭を下げる。
山岸はそれを聞いて、上げかけた腰をもう一度下ろし、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口啜った。
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