第1話 哀れな息子
1、真面目な男
今宵もまた、懲罰屋の中にはヴィオラの音が響いている。
どこか陽気で、弾むような旋律を、フィーネはやはり無表情のままで奏でる。
だが、その踊り出しそうな旋律の中にも、どこか陰鬱な感じがこもっていて、聴く者に口では説明し難い違和感を与えるものだ。
まるで、フィーネの身長の半分近くもある楽器の中に魔物が宿っていて、f字孔から怨念を込めた息を吐いているかのようにさえ感じる。
子供のように小柄なその体では楽器をまともに構えることさえ出来ず、かなり無理のある姿勢でヴィオラを演奏するフィーネ。
一方でその音色は、微塵の無理も感じられず、プロの演奏かと思うほどの美しさだ。
「今日は上機嫌だね、フィーネ」
クロがそうフィーネに言うと、フィーネは演奏をすっと止めて、ゆっくりとした動作で楽器を下ろす。
「何かいいことでもあったの?」
「うん。今日の占いカウントダウンで一位だった。私、うお座」
「……悪魔が、占いねぇ」
クロは呆れたような声でそう呟き、首を傾げる。
「クロもうお座」
「うん、いやそれはわかってるけど、だから」
「今日は絶好調だって。何をしても成功する日」
「うんわかったからちょっと落ち着いて話を聞いて」
話が無駄に広がりそうなのでクロが制する。
フィーネはまだ話したりなそうにしていたが、その不満を口にする前にクロが次の言葉を発した。
「ほら、フィーネ。今日のお客様」
「お客……」
ふと視線を上げると、クロの後ろに一人の男が立っていた。
真面目、という単語だけで絵を描いたらこうなるのだろう、というくらいの堅物そうな男で、黒縁眼鏡に七三分け、整ったスーツと完璧だ。
「お初にお目にかかります。私、山岸堅三という者です。このたびは……」
「楽器しまうからちょっと待って」
自己紹介を始めた山岸の言葉を遮り、相変わらずマイペースにフィーネは楽器の手入れを始める。
早速そんな洗礼を受け、憤るかと思えば、山岸は逆に頭を下げた。
「あぁ、失礼致しました。私の都合で話してしまっては迷惑でしたね」
「……ん、すぐ片付ける」
普段の依頼人は多少なりとも苦言を呈するのだが、山岸はあっさり頭を下げたので、フィーネは普段より手早く楽器の手入れを済ませる。
「……なるほど。フィーネにいう事を聞かせるには下手に出ると早い、と」
「いえ、フィーネ様の都合も考えずに私の方から一方的に話し出してしまったのは恥ずべきことです。アポイントも取らずに直接来てしまったのは私なのですから、会わせて頂けることだけでもとてもありがたい事なのです」
「山岸さん、享年は?」
フィーネがケースにヴィオラをしまい終えて、すっと山岸の方を見て尋ねる。
「私ですか? 57歳でございます」
「嘘ッ!?」
クロが素っ頓狂な声をあげる。
「意外でしたか?」
「あ、いえ。見た目があまりにもお若いので……。ですが、その落ち着きようを見れば、判る気も……」
「よく言われます。私は営業職ですので、常にお客様の前に立つ時は清潔感を保ち、不快感を与えない姿であろうと生前は心がけておりました」
「見た目も中身も、名前も堅い人。名前どおりの印象」
フィーネがそう呟くと、山岸は少しぽかんとした表情を見せた後、笑った。
「ははっ、それもよく言われます。真面目だけがとりえで人生を駆け抜けてきたような人間でしたからね、私は」
「……。それじゃあ、こっちへ。お茶とコーヒー、どっちが希望?」
「おや、幽霊になってもそういうものは飲めるのですか?」
「ここのは特別。全てのものに霊気を込めてあるから、現世と幽世の境界を乗り越えて触ることが出来る。私も、ほら」
そう言うとフィーネは山岸の体に触れる。
フィーネの手は半ば透き通った山岸の体を突き抜ける事無く、双方にその感触を伝えた。
「おぉ……、これは……。いや、肉体の感触は久々ですね」
「それで、コーヒー? それともお茶? どっちもインスタントだけれど」
感動する時間さえ与えず、フィーネは先ほどの質問を繰り返す。
「ああ、失礼致しました。それでは、コーヒーでお願い致します」
「わかった。それじゃ、この部屋へ」
フィーネはそう言って、普段ではありえないほど丁重に、山岸を応接間に案内した。
「ちょっと待ってて」
それだけ言い残し、山岸を応接間に待たせたまま部屋を出るフィーネ。
「珍しいね、フィーネがそんなに気を遣うなんて。普段はお茶も出さないのに」
「……あの人、苦手。何だかペースを崩される」
「だろうね」
クロは小さく笑う。
そんなクロをちらりと横目で見ながら、フィーネはゆっくりとした足取りで台所へと向かっていった。
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