第3話 大切な事

 このビノシブ修道院で第一王子が消えた事を確認した皇太子殿下は、慌てる様子は無く、私を振り返るとこう仰った。


「ドキア修道士長、御迷惑をお掛けして申し訳ない。この事は外に洩れぬ様に内密に願います。直ぐにヴァルモントル公爵と、国王陛下に報告をした上で今後の方針を考えます」


「皇太子殿下、今回の事では何も御役に立てず申し訳ありません。必ず外に洩らさぬように徹底致します」


「ありがとう、助かるよ。貴方の事はいつも頼りにしているんだ。それと新しい結界の事もまた連絡しよう。では急ぐので失礼する」


 その後、皇太子殿下は何事も無かったかの様に、来られた時と何ら変わらない柔和な物腰で、騎士団を連れて王城に戻られたのだ。


 今回、第一王子がこの修道院から逃亡された一件は、極秘事項とされ外に漏れる事は無かった。

 その後、一週間も経たない間に、皇太子殿下から結界の張り替え作業の連絡が有り、魔法師団から第六師団が直ぐに派遣されて来た事には驚いた。


 私がマクシミリアン様に初めてお会いした時は確か七歳になられる頃で、幼い年齢に見合わない思慮深く物静かな方であるという印象を受けたのを憶えている。

 

 王族の方であるのに、少しも傲った態度を見せられる事がない。ただ知識を貪欲に吸収され、黙って身の内に蓄えて素知らぬふりをされている。この様な方を敵には回したくないものだと思わせられた。


 マクシミリアン様をよく知らぬ者は、第一王子のアルフォンソ様と比べて、愚鈍だなどと言いバカにする者も居たが、其れは愚か者のする事だ。その様な者達は今、皇太子殿下のお側には居ない。


 今から思えば、常に目立たぬ様に立ち回られ、自身の事をあまり印象に残さぬ様に気を配られていた様に思う。


 


 

      ※        ※       ※





 物心ついた頃、兄のアルフォンソ第一王子の周りは、既に多勢の取り巻きで溢れていた。けれども私がその様な立場を羨ましいと思う事は無かった。


 乳母の実家は子爵家で、彼女は10代の頃から母の侍女となり、伯爵家に嫁ぐまでずっと側にいた様だ。よく、田舎育ちなので何事も大雑把で申し訳ございません。と私に言っていた。そして彼女には私より年上の息子が二人居た。


 彼女は、権力には全く興味が無く『今幸せであると思う事があれば、それを大切にする事が大事だ』と考える人だった。私にも常々その様に言っていた。多分、母にも私が兄を押し除ける様な事をしない様、自分の分を弁えた者に育つ様にしろと言われていたのではないだろうかと思う。その事は、私にとってとても幸福な事だったと思える。


 気性の激しい母は自分に無いものを補う様な形で、いつも穏やかでおっとりした彼女を自分の側に置いていたのかもしれない。そして、その様な者だからこそ、第二王子という立場の私の乳母に丁度良いと思ったはずだ。


 私の生まれ持つ性格にも、彼女の人となりが合っていたのだろう。彼女と多く関わる幼少期も、それが幸せなものだったと思える。私の乳兄弟である彼女の息子の一人は、今は大切な側近だ。


 それに、彼女からは他にも言われていた事が有る。

『誰の言う事も必ず疑ってかかる事が大切です』

と言うものだった。


 先の言葉から考えれば一瞬矛盾している様にも感じるが、そうでは無い。


「それは、メルヒルテの事も?」


「ええ、そうですよ。マクシミリアン様。私の事もです」


「どうして?」


「人とは、見ただけでは良い人なのか、悪い人なのか区別が出来ない事も有ります。初めから騙そうとして近づく者は、貴方にとって耳障りの良い事しか言わないでしょう。その様な者をよく見極める目を養わなければなりません」


「じゃあ、皆、疑わないといけないの?」


「はい、どんなに信頼できそうだと思う者でも、必ず疑い、自分の目で確かめる事が重要です。人として悲しい事だ等と思う必要はありません。生きていく上でとても大切な事です。そうして、それでも信頼出来ると思った時には懐に入れ生涯大切にすれば良いのです」


「分かったよ。それに私は生涯メルヒルテを大切にすると決めているんだ」


そう言うと、メルヒルテは私を強く抱きしめてくれた。


 後に知った話だが、彼女の父親は伯父に騙されて多くの借金を背負う事となり、その為彼女も早くから行儀見習いと称して、他家に出された様だ。心労から倒れた自分の母親には何時も人を信じるなと言われていたらしい。


 だが、そんな彼女を見初めた年の離れたミュラー伯爵との結婚は彼女にとって幸福に繋がった様だ。


 私によく言っていた言葉は、歳を重ねて彼女が導き出した、一つの真理なのだろう。


 

 




 




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