第三章

第1話 消えた『聖女の瞳』の行方

 それは一人の男の執念とも言える思いから実行された。


 男は諦めきれなかったのだ・・・。


 正常な考えの持ち主ならば、そんな事を考えても行動は起こさない筈だ。


 だが、その男は正常では無かったのだろう。


 持てる財力と伝手を使い、自分が思う条件を持つ者を探し、巧く誘い込み、ついには計画を実行したのだ。


 それは、ほんの小さな揺らぎから、大きな波紋へと広がろうとしていた。


 


 


 神殿の神官となる者は、貴族の血縁者だ。それは、魔力を持つというその一点で、間違いのない事実だった。例え、孤児院の出身であろうとも、その者の両親か又は何方かが貴族の血を受け継いでいる者である事は間違いない。


 そこに行きつく迄の何かしらの事情があるのだろう。つまりは、神殿の神官は魔力持ちであっても、庶民の者もいくらかは居るのだ。


 庶民であっても、貴族であっても、神官としての資質を持った者であれば、神殿で魔力鑑定を受け、見習いとして神殿に上がり教育を受けられる。神官になるかならないかは、国の試験に受からなければならない。けれども資質さえあれば、生活に困窮する者は補助を受けその教育を受ける事が出来た。


 貴族家の者でも、爵位の後継者でないのならば、神官としての道もまた将来身を立てて行くのに良い選択肢なのだ。


 『聖女の瞳』は浄化の魔道具だ。その効力は凄まじく、今まで浄化が出来なかった事例などにも幅広く活用出来る。だが、その媒体となる魔法石は緑柱魔法石(ルチルエメロード)と呼ばれる希少な物であり、大変高価だ。魔道具として加工出来るのも魔法師団の第六魔法師団のみだった。


 また『聖女の瞳』は個人が手に入れる事は難しく、それなりの理由が無ければ無理だった。けれども使用するに見合った理由さえあれば、神殿に申し込めばそこで使用する事が出来た。


 所が、ザドールの神殿で保管されていた『聖女の瞳』が盗難に遇うというとんでもない事件が起きたのだ。


 『聖女の瞳』は魔法師団の浄化等の仕事で使用される以外は、神殿にも置かれていた。それは国の補助金等で賄われている。国民の為の道具だからだ。一度に国全体に行き渡るのが無理でも、少しずつその浄化の魔道具は国の主だった神殿等に浸透しつつあった矢先の事だ。



 そして、時を同じくしてその神殿の神官見習いが1人行方知れずになった。その神官見習いはザドール神殿の魔道具の管理を手伝っていたという。『聖女の瞳』の紛失とその者の失踪はどう考えても関係していると思われた。


 ザドールの神殿には王都からは馬車等を使って移動すれば、おおよそ四日程かかる距離があった。


 神兵、騎士団、魔法師団が動かされたが、その神官見習いの行方は杳として知れなかった。





 本日、大神殿の会議用の広間では、大神官を含んだ大神殿の役職付きの十人の神官が会議を行っていた。


「それにしても神殿の神官見習いが盗みをする等考えられない事です。しかし、盗難に遇ったのは浄化の魔道具ですので、それ自体が悪用される事は無いのではないでしょうか・・・」


 一人の白く長い髭を蓄えた神官が言った。だがここに居る十人中、七人は同じような長い髭を生やしていた。


「いや、『聖女の瞳』は様々な使い方が出来る。例えば強力な結界を張る事も出来るそうだ。今の時点ではどの様な事に使われるか分からないと思いますぞ」


 それに対して別の神官がそう言った。


「なるほど・・・確かにそうですな。少し安易に考えすぎましたな」


「自分の利益や欲で動く者も中には居るでしょう。あれ程の魔道具であれば、どうしてでも欲しいと思う者もおりましょう」


 また別の神官がそう言い、その言葉に頷く者も多い。


「問題は、分室とは言え、神殿の保管庫から『聖女の瞳』が持ち出された事にあります。皆分かっていると思いますが、当然結界が張られていたのです。その結界を抜けて『聖女の瞳』を持ち出したのは、間違いなく消えた見習い神官です」


「ああ、見習いならば魔法契約を受けていない。神殿に仇名す行為も制限を受けずに実行出来る。これからは、見習いと言えども、出入りする場所によっては魔法契約を受けて貰わねばなりますまい」


「そしてこの盗難騒ぎは、結界を抜ける事の出来る魔道具が使われているそうではないですか。結界が壊されたのならばその時点で神兵や神官が気付いて居ただろうがそうではなかった。それ程の魔道具を使ったのです」


「確かに、保管庫から他の魔道具も持ち出せたのに『聖女の瞳』のみを盗み出したというのが解せない。単に金品に替える事が目的であれば、他の物も一緒に持ち出した筈です」


 そこでまた皆が黙り込んだ。



「所で、神殿見習いの者はどの様な人物だったのかな?」


 その時、大神官が目をショボショボさせてそう聞いた。資料を用意していた神官が答えた。


「はい。グラナース地方の孤児院出身です。名はドニケイと言います」


「かなり遠方じゃな。どの様な人物だ?現地で確認は成されたのか?」


「はい、資料によると治癒と水系の魔力持ちで、十三歳の時に孤児院から出てザドールの神殿まで単身やって来たそうです。年齢は現在十六歳。大人しく勤勉な人物で、進んで仕事に取り組む姿勢が評価され、神殿の保管庫の管理の補助に抜擢されました。ただ、どうやら上司にもずっと希望としてその様な仕事に携わりたいと言っていたそうです。あと・・・その出身の孤児院の方は焼失しています」


 彼の終わりの言葉に、皆、動きを止めた。


「それは、何時の事かね?」


「時期的には彼がザドールの神殿分室にやって来た直後です」


「その火事で生き残った者は居るのかな?」


「いいえ、全て亡くなっています」


「・・・成る程。良く分かった。皆も聞いての通りだ。ザドールの神殿分室にやって来たというドニケイという人物の事を詳しく調べるのはかなり難しい様じゃな」


「あの・・・大神官、その神官見習いが・・・例えばザドールからやって来たという出身証明とは同一人物ではなかった場合、居なくなったドニケイという神官見習いを探している事自体、意味を成さないのでは?」


「まあそうじゃな。例えばドニケイという人物とは別人で、別の出身証明を持って動いてしまえば、もはや探しようが無いだろう」







      ※      ※      ※







 今日は仕事が休みの日なので、離れのキッチンの勝手口から直ぐの野菜畑の手入れをしている。


 採れた野菜を畑の井戸の傍に洗って置いておいた。大きめの籠に入れてある。水滴が付いたままの野菜っていかにも新鮮そう。


 後でフィルグレットに料理長の所まで届けて貰うつもりだ。朝採りの野菜は新鮮で瑞々しい。


 色とりどりの宝石の様な小さな実が房になっているのは、フルーツの様に甘い小さいトマトだ。十字島で品種改良して作って貰った。名前はベリーベリートマトだ。紫、赤、黄色の実が房になって生り、熟れていない物は緑色をしている。


 前世では当たり前の様に有ったミニトマトだけれど、エルメンティアには無かったので、小さめのトマトが生る苗を色んな国からアダラード商会で集めて貰った。その苗を十字島でエルフ達が育ててくれたのだ。そしてそれをドワーフ達が魔法で交配させて作った新種がベリーベリートマトだ。見た目も可愛いけれど、味もフルーツと言われればそうだと思う位には甘い。


 一応の完成作品はこれだけれど、他にも様々な種類の小さいトマトが出来ている。


 料理長は絶対このベリーベリートマトを喜んでくれると思う。それに、これは北部地域の農園でも育てようと思うのだ。またお菓子や料理のレシピを考えて、まずはザクに食べて貰いたい。


 そのトマトを口に入れて噛むと、薄くて柔らかい皮が弾け、絶妙な酸味とフルーティーな甘い汁が口中に広がり思わず両手で頬を抑えて唸る。甘くてじゅーしーだ。


「おいひい~」


 顔がふにゃーとなる。なんて美味しいの?この世の物なの?気付くと自分用に洗ってザルに盛っていたベリーベリートマトをあらかた食べ尽くしていた。


「・・・」


 本当なら今日はザクと北部地域の農場に行く予定だったのだけど、神殿と魔法師団から急ぎの連絡が来て彼は出掛けなければならなくなった様だ。


 朝食の時にとても悲しそうな表情でザクにそう言われた。


「すまない、どうしても行かなくてはならない案件のようだ・・・」


「大丈夫だよ、次の休みには一緒に出掛けられたら嬉しいな」


「ああ、そうしよう。フィーは今日、やはり北部地域に行くのか?」


「うん、お昼から行くつもり。フィルグレットに連れて行って貰うから大丈夫だよ」


「そうか、楽しんで来ると良い」


「ありがとう。ザクはお仕事大変だけど頑張ってね。夕食は一緒に食べられるかな?」


「必ず一緒に食べよう」


 朝食後、しばらく二人で離れの庭や果樹園を散策してから別れた。いつもの様に手を繋いで並んで歩いた。不思議なものだ、いつもそうしているとそれが当たり前の様になる。


「では、行って来る」


「行ってらっしゃい」


 それもいつもの様にぎゅーっとしてから離れて顔を見上げたら、頬を撫でられた。


「では、な・・・」


 その表情から、彼も同じように感じているのかもしれない。


 少しの間だと分かっていても、別れ際はいつも淋しかった。

 


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