第35話 北の崩壊

 ピキン、パキン、と氷の柩に少しずつ入って行くヒビ割れ、もうすこし、あと少し……

 そうすれば、ここから出ることが出来る。


 私を守る為に上位精霊達は、ゼクライエの血肉を受け継いだその子孫達に酷使され、その殆どが消滅していた。霊気を探ると地に潜る下位の火蜥蜴(サラマンダー)は、かろうじて地中深くに眠り、残っている様だった。


『北の地に残る灯火よ、我が呼びかけに答えよ、猛り狂え、イフリートの残り火に答えよ』


地中深くに入り込み、その身体の粘液で氷から身を守っていた火蜥蜴が北の地の精霊王の微かな呼びかけに静かに目を覚ます。


『炎の精霊火蜥蜴(サラマンダー)よ、聖なる炎で凍土を燃やせ、我の力を共に…』


火蜥蜴はジワリと凍土を少しずつ溶かし、身体を地中で揺すり始めた。灯火だった炎はイフリートの祝福と、北の地の精霊王の力を借りて、大きく膨らみ始める。


大地が振動し、城の崩壊が始まった。



 ズルズルと床を這う音が聞こえ、我をここに縛り付け眠らせた元凶がやって来た。


『オ、オ、惡、お、前の、力、ゼンぶ…貰ウうぅ』下半身が蛇の様に長い物に変わり、横に大きく裂けた口からは、二枚に割れた舌先がシュルシュルと出たり、入ったりしている。


 ああ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、眷属の命を無駄にしてまで生きながらえながら、我までこのまま喰われてしまうなど、許されない!


今度こそ、自らの存在と引き換えにしても、この黒い女神を滅ぼさなくてはならない。



 だが、黒い女神は、もはや、邪神そのもののカタチをして、どす黒い瘴気を軀から噴き出している。


 邪神と、精霊達との力の拮抗が始まり、ピキピキと氷のヒビ割れが拡がっていく。


 すでに、北の都の精霊障壁は消え失せ、そこから馬や徒歩で逃げ出す人々の波が巣から溢れ出るアリの様に見える。皆、東の国を目指し陸路を行くつもりなのだ。




    ※   ※   ※





 私は不思議な夢を見た。

 

 私に残っている、日本という国の記憶ではなく、もっと、もっと古い、気が遠くなる様に、はるか遠い過去の記憶というのだろうか。


 その夢の中で、私は今の私ではなく、私の知らない私だった。


 繰り返される部族同士の争いの中、親も亡くなり、幼くして一人だった。

 けれども、部族の中には同じ様に親の居ない子供達は多くいて、そういう者は同じ所に集められ、その中の弱い者からどんどん死んで行く様な有様だった。


 ある日、私の目の前に人ではない美しい者が現れた。

 美しい白銀の髪に、薄紫の瞳をした人の形をとる者。


 攫われる様に、知らない山の中に連れて行かれた。


 白い手で頭を撫でて、優しく抱きしめられた。温かい、なんて温かいのだろうか。


「お前が、この世界に現れるのをずっと待っていた。これからは私と暮らすのだ」


 そして、温かい寝床や、美味しい物を与えてくれた。


「私はお前をとても愛おしいと思う」

「……いとおしい?」

 私は幼くて、その言葉の意味が良く分からなかった。


「私の名はノワイエ。ノワイエと呼ぶのだ」

「ノワイエ?」


「そうだ。ノワイエだ。お前の名は何という?」

「ない、なまえはない」


「そうか、無いのか、ならばフィーと呼ぼう。風という意味だ」

「フィー」


「お前によく似合う名だ」

 そう言って、優しく頭を撫でてくれた。


 その様な優しい言葉をかけられた事も無かったので、たいそう戸惑ったが、段々慣れて来て、その温かい腕の中が好きになった。


 ただ二人だけの、夢の様に優しい場所だった。


 だが、その優しい時間は、私が娘となる年頃に突然現れた恐ろしい人でないは者に奪われた。私の大好きなノワイエとよく似た姿をしているのに、全く違う者だった。


 ノワイエに会いたい。彼の名を呼んだ。


「ノワイエ!」

「ノワイエ!」

「ノワイエ!」


天に向かって伸ばした手は、彼に届く事は無かった。


夢を見て飛び起き、荒く息をつく。

すると、部屋をノックして、夢の中のノワイエと同じ姿形をした人が現れた。


「ザク……ノワイエ?」

「ああ、大丈夫だ。怖い夢を見たのだろう?」


「どうして知っているの?」

「私も、見たのだ。同じ夢を……」


そう言って、ベッドに腰かけ、私を引き寄せ抱きしめてくれた。


「フィー、風だ。私の、フィー」

「うん、そう、ザクが付けてくれた名前……」


 それは、忘れがたい出来事だった。




    ※   ※   ※




 久しぶりに、エルメンティアに帰還して、1週間は休暇と言うことで、ザクのお家でゆっくり、まったりしているわたしは、いつもの離れで過ごし、ピチュリくんと庭で散策を楽しんでいた。

 離れの庭には様々な成り物が植えてあり、散策がてら、ベリーや、ザクロ、 梨に桃に葡萄といった具合で、季節に関係なく収穫出来るし、つまみ食いも出来る不思議な庭だ。


 ザクは、南や東の復興事業やこれからのエルメンティアの事で、とても忙しくしている。国同士の様々なやりとりがあり、国の代表者の1人である彼はとても忙しい身だ。それでも私の為に時間を取ってくれて、少しでも一緒に過ごそうと涙ぐましい努力をしてくれる姿に、申し訳なさと、嬉しさとを感じてしまったりしている。



 そうして、私と小鳥のピチュリくんは、庭で長らく遊んでいたが、それまで楽しそうにあちこち飛び回って、ベリーを啄ばんでみたり、嘴を木の枝に擦り付けてみたりと楽しんでみたりとしていたのに突然、ピチュリくんは何かに驚き、悲しそうな、悲鳴の様なひと鳴きをし、バサバサと苦しそうに地面を転げ回った。


「えっ、どうしたの?」

 一歩踏み出そうとした瞬間、まるで風船が弾けるようにピチュリくんのふっくらした茶色の体が弾け四散し、小さな光の玉が、中から飛び出して来た。


 小さき精霊(モノ)である光のかけらが、何かを求め、何かを助けようと何処かに向かおうとするのを感じ、私は思わず手を伸ばしてしまった。光が混ざり合い、その中に入った瞬間に、彼方此方に存在する小さき精霊達が、皆一様に何かを感じ、ソレと運命を共にする為に、今度は間違わない様にいかなければならないのだと叫んでいる様だった。


 とても不思議な事だったが、私はそこに混ざって飛んでいた。小さき精霊(モノ)が守ろうとするソレが何かはうすうす気づいていたが、前に引き込まれてザクと離された時の様な嫌悪感は抱かなかった。


 溢れる光が、精霊王(ソレ)の傷つき弱った体を補い、強大で邪悪な黒い化け物と闘う事を選んだ。私はどうする?どうしたい?


 黒い化け物は、キュビック領の瘴気の塊や、出会った頃の魔力の澱(おり)に侵されたザクとも比べ物にならない程の暗く澱んだ邪気と恐ろしい程の臭気を発していた。




 既に人型からも外れ、怖気(おぞけ)が来るほどの姿であるにも関わらず、髪の色と瞳の色が、よく知っている人物と同じという事にフィアラは気づいた。

『ザクと同じ色…』



 それは、不思議な気持ちを呼び起こしかけ、また遠ざかって行きはしたが。

 悲しくて苦しくて懐かしい様な…


『フィー!』

 小さき精霊達と北の地に跳び、精神だけで無く肉体も連れて来てしまった私は、化け物の居る北の宮殿に降りる時に、私の肩を抱く様にして後ろに降り立ったザクに驚いた。

「あ、ザク、どうして…」

「私は、お前と共にいる。そして、いつかこの日が来るのを知っていた。もう二度とお前を失うような事はしない。私はお前をとても愛している」

 しっかりと抱き寄せられ、ザクの魔力が私を通り抜けていったのに気が付いた。

 彼は私が傷ついていないか確認したのだと分かった。

 

 一度目を伏せ、そして化け物を見やったザクの瞳は冴え冴えとしている。


「私はお前が嫌いだ。同じ場所から生まれ出で、同じ時を重ねた時もあったが、私の大切な者を傷つけ奪った事実は消えない。お前など存在しなくて良い」



『“”“”“惡、惡、惡惡惡、”“”“”“”“おのレ…魔タ、ま、た…魔アタ、”“”“”“”“コロス、殺す、こおろおすううううううう”“”“”“”“”』


 ズルズル、ズルズルと床を這いながら、私を目掛けて這いずる化け物はとても恐ろしかった。


『あああああああああ、あにいううえええさあああまあああ、ああああにいいいううううううええええさああああああまああああーーーーーーギィヤッーーアーAーA、ああああああああああああ!!!!!』


 その這っていく長い背に向かい、氷の刃を突き通したのは、その全てが透き通る様な美しい氷の大精霊だった。

『長きに渡るこの恨み、そなたに還させて貰うぞ!!思い知るが良い!!!』


 だが、黒い怨念の塊の様な邪神は、その刃を背に刺し貫かれても、ものともせずに、黒い汚物を吐き出しながらこちらに、こちらにへとにじり寄って来る。

『ああああああああああにいいいいいいううううううえええええさああーーーーー』


 必至にずり寄ってくる様に、ザクを取り込もうとする執念と、私に対する増悪が迫ってくる。私の大切なザクにこんな汚い歪んだモノが触れる事は許せない。


「嫌だ、絶対に嫌!私の大切なザクに触れるな、許さない…」


 私の身体の中から湧き上がる様に、彼を守りたいと言う気持ちが溢れていく。


 この私の瞳が穢れを祓うと言うのならば、彼を取り込もうと蠢くこの穢れを全て祓ってしまいたい。私は、長い年月を経て何度も生まれ変わり、やっと彼の元へ帰って来たのだ。今度は私も戦う術を持っている。


 邪神となった増悪の塊が纏っているどろどろと黒く禍々しい瘴気は、雷を轟かせ、暗雲となり辺り一面を暗闇へと転じようと迫って来る。


 それをとどめようと、ザクの周囲に魔法陣が展開され、古代語の文字が六芒星の中に取り込まれて構築されてゆく。


 青く光る魔法陣が放たれ、次々と邪神を空間に縛る為に青の点滅を始めるが、身体が千切れ破壊され黒いどぶを撒き散らそうがザクに対する執念と私に対する憎悪がとどまる事は無かった。


 恐ろしい程に歪んだ感情は刃となって憎しみ根源となった私にに向けられたが、その攻撃の全てをザクが魔力で受け止める。


「二度とこの手の中の大切な者を奪われてなるものか、輪廻の輪に戻れぬよう、完全にお前を封じ込める」


 ザクも私も同じことをその時思っていたのだと思う。

 2人手を繋ぎ、空いている手のひらを黒い穢れに向けた。思うことは、この穢れがこの世界から無に変わること。二度とカケラすら残さずに消えること。


 ザクの身体から青い炎の渦と一緒に全てを貫く様な鋭い光の剣が宙に現れ、それに私の両手から発動した溢れる緑金の浄化の力が重なり、一つになった時、辺りは唐突に静謐な世界に変わる。

 ――その一瞬、眩い光を纏った剣が天から振り落とされた。

それは、雷(いかづち)の様に邪神の脳天から尻尾まで引き裂き、一瞬にして塵となった。




 そうして、私は気がつくと、ザクと二人、いつもの離れの緑の庭に立っていた。


 静寂に包まれ、そうしてザクは私を両腕の中に包み込んだ。


 他には、誰も、何も居ない。


 私達は、いつも二人、こうしているだけで幸せだった。


「私は、いつもフィーと一緒にこうしていたかった…それが、この世界に生まれた時からの、願いだったんだな…」


私はザクと向かい合った。


長い時をへて彷徨い、この世界でまた巡り会えた大切な相手…


彼はずっと気の遠くなるような年月、私を待っていてくれたのだ。


そして、私も生まれ変わり、ここに戻って来る時を待っていた。


そのまま、暫くの間二人で寄り添い庭に佇んでいた……。








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