🕒 3:00 束の間の静寂を、タクシーは夢を乗せてひた走る

  📻


ピッ、ピッ、ピッ、ポーン。


時刻は午前三時を回りました。FMメトロ「グッド・ナイト、グッド・モーニング」。これからおやすみの方も、いま起きられた方も、素敵な音楽とともに朝のひと時をお過ごしください。


今日最初の曲は、一九七二年リリース、エルトン・ジョンで「Tiny Dancer」。


https://youtu.be/yYcyacLRPNs



  *   *   *   *   *



 落ち着いた女性の声に続いて、軽やかなピアノの音色が流れ始める。運転席の老年の男がまだ十代だったころの曲だ。男はラジオの音量を少し上げた。


 一九七〇年代は虚(うつ)ろな時代だった。大阪万博に沖縄返還。札幌オリンピックがあり、二度のオイルショックの狭間に成田空港が開港した。いまは街中を埋め尽くしているコンビニやファミレスが、やっとでき始めた。この国は国際化の階段を足早に上りながらも、どこか地に足が着いていなかった。そんな時代に、男は青春を過ごした。


 懐古に浸りそうになる男の目前に、大きく手を振る二人の男女がいた。この時間でもまだ開いているスペイン料理の店の前だ。ハザードランプをつけ、路肩に停車する。後部座席のドアを開けると、女性のほうが乗り込んできた。と思ったが、途中で一旦止まり、連れの男性に声をかけた。

「またな、バディー」

 バディー? 女性が乗り込んだのを確認してドアを閉める。

「どちらまで?」

「えっと……」

 女性は正確な住所ではなく、私鉄の駅の名前と近くのショッピングモールを告げた。そこならわかる。男がアクセルを踏み込むと、女性は後ろに流れる景色に向かって——いや、遠ざかるバディーに向かって、名残惜しそうに手を振った。


 エンジン音が強弱を繰り返しながら夜の帳を揺らす。対向車のヘッドライトが時折すれ違った。途中、何度か信号に行く手を阻まれながらも、着実に目的地へと近づいていく。いまもまた信号が赤に変わり、アクセルに置かれていた足がブレーキへと移る。




  📻


次は、東京都にお住いのペンネーム「しがない物書き」さんからのリクエスト。


「僕は小説家を目指している大学生で、都内で新聞配達のバイトをしています。朝は三時に出勤し、仕分けやチラシの折り込みをしたあとに配達に出かけます。早起きはきついですが、まだ空気が汚れる前の早朝の都心を原付で走るのはとても気持ちがいいです。今日は、火曜日。ルビーみたいな真っ赤な朝焼けが見れるといいな」


ということで、ローリング・ストーンズの『Ruby Tuesday』をリクエストいただきました。小説家を目指しているということで、リクエスト曲に絡めたとても素敵なお便りをありがとうございます。昨日の今ごろはものすごい雷でしたが、今日はお天気がよさそうなので、朝焼け見れるといいですね。


一九六七年発表の曲です。ローリング・ストーンズで「Ruby Tuesday」。


https://youtu.be/ADtnUC_ctNk



  *   *   *   *   *



彼女はどこから来たのか、決して言うことはない。

昨日は過ぎ去ってしまえばもう関係ないと言わんばかりに。



 ミック・ジャガーが静かに歌い出す。男は、今度は音量を落とすために再びボリュームのつまみに手を伸ばした。客の女性は三十代のようだったので、この曲を知らないだろうと思ったからだ。だが、男の手はつまみに触れたところでぴたりと止まり、それを回すことなくシフトレバーに戻された。女性がラジオから流れるメロディーにあわせて口ずさんでいることに気がついたからだった。


「いい曲ですよね、ルビー・チューズデイ」

 男の気遣いに気がついたのか、女性が言った。

「ご存知ですか?」

「もちろん。さっき乗った時にかかってた曲も」

「さっき?」

 言いながら、あぁ、エルトン・ジョンか、と男は思い出す。


「運転手さんは夢とかあったんですか?」

「え、夢?」

「さっきラジオで言ってたじゃないですか? 小説家になるのが夢だ、って。私、他人(ひと)の夢を聞くのが好きなんです」

「夢……ですか」

 そう言われても思いつくものはなかった。生まれてこの方、夢らしい夢など持ったことがない。激動の時代を生きながら、平凡な人生だった。それでも、強いて言うなら……。

「強いて言うなら、小さいころはヒーローになりたかったです」

「ヒーロー? ヒーローってウルトラマンとか、仮面ライダーとか?」

「そうです。スーパーマンとか、バットマンとか。他人のため、世の中のための究極のかたちじゃないですか。まぁ、だから現実的に言えば、警察官とかに憧れてたのかな」

 女性は、ふふふと笑った。

「なれるといいですね」

「え、警察官に? 今から?」

「いまから警察官はちょっと無理じゃないですか?」

「ですよね。もう歳だし」

「もうタクシーの運転手だし。でも、ヒーローにならなれるかも」

「なれますかね?」と男は笑いながら訊き返した。

「なれますよ。誰かは、誰かのヒーローですから」

 そこで少しの間、会話が途切れた。まもなく目的地のはずだった。


「次の角を右に曲がって少し行くとファミマがあるんで、そこで止めてください」

「あ、はい」

 ウィンカーを出して右折車線に入る。人通りも車通りもない交差点をゆっくりと曲がる。彼女の言ったとおり、少し先にコンビニの看板が光っていた。

「お客さんの夢は何なんですか?」

 男は思い立って訊いてみた。

「私? 私のは秘密です」

「え、他人に訊くのに?」

 女性は、はははと笑う。

「ないんですよ。自分に夢がないから、他人のを聞くのが好きなんです」

 女性がお腹の下のあたりを優しくさすりながら言った。




  📻


三時間に渡ってお送りしてきた、FMメトロ「グッド・ナイト、グッド・モーニング」。まもなくお別れの時間です。最後に、本日お誕生日を迎えるリスナーのみなさんのお名前を紹介したいと思います。まずは、山梨県にお住いの「白桃大好きウサギ」さん、福井県にお住いの「チョビヒゲサングラス」さん、それから……



  *   *   *   *   *



 三時間の間に何人かの客を乗せ、乗せた数だけ降ろし、JRの駅前ロータリーに戻ろうとしていた。勤務時間からして、あと一人乗せられるかどうかだった。あたりはやっと明るくなり始めた。日の出が近い。ふと、小説家志望の大学生が言っていた「ルビーみたいな真っ赤な朝焼け」という言葉を思い出す。東の方角を見やるが、ビルに隠れて空は見渡せなかった。


 交差点を曲がったところで、男は異様な光景を目にした。ちょうど三時間前にあの女性を乗せたスペイン料理屋の前だ。赤色灯を回すワゴン車を数人の若者たちが囲んでいる。状況が気になり、スピードを落とす。早朝のための配慮か、サイレンは鳴らしていなかったが、ワゴン車はスピーカーからしきりに何かを呼びかけていた。

「この車両は緊急車両です! 現在、緊急走行中です! 直ちに道を空けてください!」

「うるせぇよ!」

「なにが緊急車両だ。ただのガス屋の車じゃねぇか!」

「煽ってんじゃねぇぞ、こら」

 ドンッ。若者の一人が足の裏でワゴン車の側面を蹴り飛ばした。車体が揺れる。


 よく見ると、少し前に黒いセダンが停まっている。最近よくニュースで耳にする「煽り運転」という言葉が男の頭をよぎる。だが、ただの煽り運転によるトラブルでないことは一目瞭然だった。彼らが「煽ってんじゃねぇぞ」と因縁をつけている相手はガス会社の緊急車両だった。現に赤色灯を回している。


 道交法における緊急車両は、なにも救急車や消防車だけではない。目の前のガス会社の車もれっきとした緊急車両だった。ガス漏れが発生した場合などの緊急時には、救急車や消防車同様、緊急走行で現場へと急行する。彼らがやっていることは、救急車の進路を妨害しているのと同じことだった。

「人の命がかかってるんだ! 道を空けなさい!」

「他人の命より自分の命の心配しろよ! あぁ!?」

 運転席のドアハンドルをしきりに引っ張っては、開かないことに腹を立て窓を殴りつける。


 男はワゴン車の後ろに停車すると、慌てて携帯を取り出した。警察に通報しようと思ったのだ。その時、スピーカーの声が絶叫した。

「人が死んでもいいのか!? 救える命を見殺しにする気か!!」


 男の手が止まった。見殺し……私は何をしている? 目の前で起こっていることを傍観し、電話をすることしかできないのか?


 ——ヒーローにならなれるかも。

 ——誰かは、誰かのヒーローですから。

 女性の声が蘇る。


「どこのどいつの命だよ!」

 叫び声のあとに笑い声が混じった。


 男は頭に血が上るのを感じた。冷静さを失っていた。携帯を助手席に投げ捨てると、サイドブレーキを外し、ギアを入れる。アクセルを踏み込んだ。薄闇を照らす赤色灯の明かりが、ルビー色の朝焼けに見えた。


 別にヒーローになりたいわけじゃない。夢すら見ることなく年老いた自分が嫌いなんだ。


 軋むタイヤに若者たちが一斉にこちらを向いた。この道三十年のタクシー運転手をなめるな! タクシーは一気に加速し、反対車線に飛び出す。ワゴン車を追い越す寸前で後部座席のドアを力いっぱい開いた。ドアの先が三人の若者をなぎ倒す。野太い悲鳴が聞こえる。急ブレーキを踏んだ。

「いってぇ……」

 三人が三人、同じように腰のあたりを押さえてうずくまる。

「なんだこのタクシー!?」

「なめてんのか、こらぁ!」

 彼らの意識が男のタクシーに移る。五人。その時になって初めて人数を確認した。ワゴン車の前にいた二人がこちらに向かってくる。うずくまっていた三人も怒りに顔を紅潮させ、立ち上がった。わずかに生まれた隙をついて、ワゴン車が急発進する。

「すみません! タクシーの運転手さん、緊急事態のためこのまま行きます! ご協力に感謝します! 警察には通報してますから!」

 スピーカーの声に、男はほっとした。なんだ、ちょっとの勇気でヒーローになれるじゃないか。


 ドゴン。車体が弾む。一人の若者がボンネットに上り、中指を立てていた。


 しまった、ドアのロックを——。気づいた時には遅かった。開いたドアから伸びてきた手が男の右腕を鷲づかみにし、力任せに路上へと引きずり出す。右肩をアスファルトの道路に強(したた)かに打ちつけた。くそっ、やっぱりヒーローなんか気取るんじゃなかった。

「このくそじじい!」

 後ろに振り上げられたつま先が、男の腹部を振り子のように狙う。


 くそっ——。








さよなら、ルビー・チューズデイ。いったい誰が君に名前を付けられるだろう。

きみは毎日変わっていくのに、僕はいまでもきみを想い続ける。




  📻


ピッ、ピッ、ピッ、ポーン。

六時をお知らせします。


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