第一話 準備 二
しばらく歩いたところで、シュレルはある建物の前で立ち止まった。
「ここが不動産屋だ」
彼女がそう言って手で指し示したのは、まったくそうは見えない、まるで一般の民家のような建物だった。
入口は木の扉になっていて、窓すらついていない。通りに面した壁には、室内が見渡せる大きな窓どころか、明り取り用と思われる小窓が上のほうについているだけで、中は全く見えない。
それに不動産仲介業者にありがちな、お勧め物件のビラは一枚も貼られていない。店名の看板すらない。実にそっけない外観だった。
ただ、先ほどの議論で、現代日本文化との相違点を問題にすることの無意味さを悟っていた私は、僅かに眉を潜めるだけに留めた。
シュレルが先に店内に入る。
続いて私が足を踏み入れると、狭い店内はそれだけで一杯になった。
「いらっしゃい。今日のご用件は何ですか?」
奥の机に座っていた男――店主が愛想良くそう言ったものの、相変わらず不動産紹介業者には見えない。
室内には応接セットすらないので、客は立ったままである。それを気にもせずに、シュレルは言った。
「家を探しているんだ。そうだな、まずは入口から入ると、数人が一時間は待つことが出来そうな広さの部屋があって、そこから扉を挟んだ隣には、二人の人間が落ち着いて話せるような空間が広がっているのが理想だな」
「それでは店舗ですね」
「ああそうだ。ただ、調理場や寝室などの普段の生活に必要な部屋はそれとは別にあって、可能ならば別棟になっているほうが有難い。そんな物件はないだろうか」
何度か頭を小さく上下に振りながら、シュレルの滑らかな説明を聞いていた店主は、
「ああ、それなら良いのがありますよ。今から展開します」
と言った。
そして、彼は両腕を広げながら大きく息を吸うと、それを長く吐く。
その息を吐ききったと思われた直後、周囲の光景ががらりと変わった。
「な――」
私は驚いたが、それを声を出すことは何とか抑えた。シュレルが私の服の袖を小さく引いていたからである。
彼女は私の耳元で囁いた。
「魔法だよ。この世界では魔法が発達していて、君が元いた世界で可能だったことの大半は、魔法によって実現されている。これもその一つだよ」
要するに仮想現実空間による物件紹介のようなものだろうか。むしろ地球よりも洗練されすぎていて、そこが驚きである。
店主は私の驚きに気がつくこともなく、先ほどまでと変わらない様子で説明を始めた。
「ここは昔、魔法遣いが工房として使っていた物件です。術式を見られると困るので、普通の客は入口から入ったところで応対して、一部の重要顧客だけを隣の工房に案内しておりました」
そこで視界が隣の工房の中に切り替わる。
「それで、どうしても魔素が充満することになりますから、生活の場はそれとは切り離して、別棟としております」
店主の説明に応じて、周囲の風景が順次切り替わってゆく。まるで、本当に物件の内覧をしているような気分だった。
その上、間取りがシュレルの要望した通りの仕様になっているので、そこにはケチのつけようがない。ただ、一つだけ見過ごせない欠点がある。
そこで、私はそれを指摘することにした。
「間取りは確かに希望通りで、大変良い物件なのですが――この荒れ具合はどうしたものでしょうかね」
そう、その家は途轍もなく荒れていたのである。
窓に相当する部分には、ガラスのようなものが嵌めこまれていたらしいが、それが全て割れている。
室内のあちこちに焼けたような後があり、壁は部分的に崩れ、天井からは布状のものがぶらさがっていた。
加えて、奥の工房だったところの床には、全面に黒々とした染みが広がっている。壁にも同じような色の飛沫が散乱していた。
どう見ても「誰かが内部で生きたまま切り刻まれた現場」そのままのように見える。
しかし、店主は愛想の良い声を崩すことなく、私の疑問に答えた。
「前の持ち主である魔法遣いが大層阿漕な方でしてね。騎士を騙して法外な値段で回復薬を売っていたのですが、ある日それがばれてしまいまして。で、こんな具合になりました。まあ、多少の手直しは必要でしょうが――」
そこで店主は、実に不動産業者らしい胡散臭い笑いを浮かべた。
「――その代わり、格安でご提供できますよ」
*
ということで、私は結局その物件を購入することにした。
そもそも心理的瑕疵物件を忌避するような心性は持ち合わせていなかったし、働きもせずにシュレルから貰った金での購入である。選り好みしたら罰が当る。
ただ、そうシュレルに言ったら笑われた。
「お前は本当に変わっているな。普通、転送される者はいろいろ自分勝手な要求をしてくるものなのだが、お前はどうも律儀すぎる。家の件も、私に依頼すれば新築物件を用意したのに」
「あ、出来るんですか?」
「出来るに決まっているじゃないか。私は神だぞ」
「ああ、そういう手もあったんですね。まあ、もう買っちゃった後ですから仕方がありませんが」
「改修だって出来るぞ」
「そうですか。ううん――いや、やめときます。後は自分で何とかしますから、大丈夫ですよ」
「そうか――それでは何か加護はいらないか? 掃除が楽になるとか」
「必要ないです。そういうものを期待していると自分が駄目になると思うし、自分の力でなんともならない世界で長生きしても仕方ないので」
「……分かった。本当にお前は変わり者だな。では、私が出来ることはここまでのようだから、私は帰るよ。それでは、達者でな」
そう言ってシュレルが
「あっ、でも――」
怪訝そうな顔で振り返ったシュレルに向かって、私は笑いながら付け加えるように言った。
「――たまには遊びに来て下さいね。歓迎しますから」
「何処の世界に、神様を『いつでも好きな時に遊びに来い』と誘う人間がいるというのだ?」
シュレルは苦笑いすると、右手を挙げながら私に背中を向けて去っていった。
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