序 ラポール 二

「出来るんですか?」

「ああ」

 シュレルは簡単にそう請け負ったことで、逆に私はそれが真実であることを確信する。

「ふうん。言ってみるものですね」

「で、何歳ぐらいがいいのかね」

「そうでうね――じゃあ、十八歳ぐらいでお願いできますか」

 私のその言葉を聴いたシュレルは、にやりと笑った。

「そこが君のモテ期ということなのかね?」

 完全に親父の反応である。これも誰かさんに教わったのだろうが、完全に板についている。

 私は小さく息を吐いて言った。

「ふう。そうではありませんが……何ですか『モテ期』って。表現が古くないですか」

「そこは食いついてくるのな」

 女神様の、にやりとほくそ笑む表情というのは実に希少価値が高そうだが、実際にされた側になると鬱陶しい。

 私はまた溜息をついた。

「はあ……もういいです。ところで、私はどうして死んだんですか? 車にひかれた覚えもなければ、不審な人物に後ろから刺された記憶もありません。自殺するほど追い詰められていたわけでもないし」

「自分の最後を覚えていないのか?」

「はあ、その、その辺がひどく曖昧でして。生前の記憶で最後に残っているのは、『なんとなく朝から風邪気味で、熱が出てきたので給食を食べ終わったら帰ろうかな、と考えていたところ』です。そこで急に意識が途切れたように思うのですが」

「なんだ。そこまでしか覚えていないのか」

「はあ」

 その時、私は余程情けない顔をしていたのだろう。

 シュレルは真顔に戻ると、咳払いをしてから言った。 

「こほん。仕方のない奴だな。それでは死んでも死に切れまい。じゃあ、死に至る前後の状況を再現しようではないか」

「出来るんですか?」

「無論、女神だから可能だ」 

「なんだか、見逃した番組を自動録画してくれているような能力ですね。出来れば要点のみのダイジェスト版でお願いできますか。あまり詳しく知りたくないもので」

「分かったが、そう言われるとなんだか悲しくなるな」


 *


 女神シュレルが私に見せてくれた出来事の一部始終を、ここでは端折って説明する。聞いてもさほど面白い話ではない。

 私の死因は窒息死だった。そして、その原因は単なる『いたずら』だった。

 私は生前――まさか自分のことを自分で語る時に、このような表現をすることになろうとは思ってもいなかったけれど――とある中学校のスクールカウンセラーをしていた。

 そこは常勤のカウンセラーを配置していた数少ない学校の一つで、それゆえ地域の中でも問題のある子が多いところではあった。

 特にその中でもシリアスな問題を抱えた生徒がいて、その子のフォローを私がしていたのだが、自分でも熱意のない事務仕事だったように思う。

 なにしろ問題は次から次へと発生したし、他の先生達の「かかわりあいになりたくない」という態度も露骨で、親に連絡をしてみても「家庭の事情に第三者が口を出すな」という反応が常である。

 それで問題が明るみに出ると、担当者として矢面に立たされることになるのだからたまったものではない。それで私も、面倒な案件については児童相談所にたらい回しにしがちだった。

 児相には悪いと思っていたが、自分に責任が降りかかってくることは避けたい。

 そんな無責任な態度が伝わったのだろう。

 その時フォローしていた子に逆恨みされて、ある日の昼食にしこたま睡眠導入剤と下剤を混入された。

 無論、これは「いたずら」と言ってしまうのが不適切な、かなり悪質な行為ではある。ただ、世間にはまだ誤解されているところがあるが、いわゆる『オーバードーズ(薬の過剰摂取)』によって人は簡単には死なないのだ。

 医師の処方箋が必要な薬剤であっても、致死量には遥かに及ばない含有量で作られているから、長期間溜め込んだものを一気に飲まない限り、その行為自体で落命することはない。翌日になって、やった本人が猛烈に反省することになるだけである。むしろ醤油を一気飲みするほうが危険だろう。

 だから、その時も本来であれば私の気分が悪くなる程度ですむはずだった。

 ところがその日、私は朝から風邪気味で体調を崩していた。普段ならすぐに気がつくはずの薬剤混入も、味覚がおかしくなっていたので気がつかず、しっかりと摂取してしまった。

 弱った身体に薬はひどく効く。混入されていた薬剤によって私は意識を失い、その上で嘔吐した。

 学校の相談室というのは、だいたいが校舎の中でも人目につかない片隅にある。プライバシー保護の観点からすればそれは全くおかしなことではなかったが、急病人にとっては致命的なことだった。

 私は呼吸困難に陥ってそのまま絶命し、遺体は翌日になってやっと発見される。

 警察の事情聴取に対して、薬物投入の張本人である少年は、沈痛な面持ちでなみださえうかべながら、こう答えた。

「誰がこんな酷いことをしたのか見当もつきません。すごく親身になって話を聞いてくれた先生だったのに」

 私はその一部始終を、

 ――いや、それお前だから。

 とツッコミを入れつつ、完全に第三者視点で客観的に眺めることになった。


 *


「大丈夫かね」

 最後の瞬間の再生が終了し、私がしばらく黙っていると、シュレルは女神らしい労わりの籠もった声でそう訊ねてくれた。

「はあ、その、大丈夫とは流石に言えませんが……」

 私は背中を丸めた状態で答えた。

 瞼の裏側には、私が死ぬ原因となった薬物大量投入の張本人の顔が浮かんでいる。

「……事実が分かって良かったとは思います。そうですか、私は彼に殺されたことになるのですか」

 真顔で白々しい嘘をついた彼の顔を思い出す。

「憎いかね」

「そうですね……」

 しかし、彼の瞳の奥には犯した罪に対する怯えが、確かにあった。

「……不思議と憎しみは沸いてきません。むしろ、そこまでのことをしてしまうほどに彼の期待を裏切ったのかと思うと、私はどうにも自分が許せなくなります」 

 そして私はしばし、悔恨の涙を流す。

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