青への旅路

黒雪兎

第1話-1

 青い空、白い雲、まぶしい太陽、水平線の向こうまで続く青い海。甲板に出ればきっと、潮風が髪を撫でて、焼けるような日差しで眩暈がするんだろう。白い肌のお嬢さんは、日焼けをするのが嫌だと口を尖らせるかもしれない。


(でも、だけど私は……)


 黄金の長い髪が、床につく。波打つ黄金はまるで太陽の光に照らされて輝く小麦畑のようだと言われるが、こんなに長くちゃ邪魔でしかない。けれどこの髪を切ることをフランディエラは許されていなかった。白い肌に合うようにと着せられた薄桃色のドレスも、フランディエラの好みの色ではない。彼女は青が好きなのだ。だが、その好みを言うことも彼女は許されない。


 (退屈だ、退屈だ、退屈だ、退屈だ)


 白い肌を焼くことも、甲板で風を受けることも、ましてや部屋の外に出て人と話をすることもできない。すれば、怖い顔で父親に叱られるだろう。もっともっと監視を増やして、深く深く自分を閉じ込めるだけだ。だからフランディエラはずっと、人形のように従い続けた。そしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになる。

 『カルディーアの人形姫』と。


(人形? 誰が……)


 不満に思っても、今の自分の状態がまさしく人形だ。内心毒づけても口にして言うことはできない。人形のように感情のない、美しい令嬢。誰もがフランディエラの外見を欲して求婚の列を成す。

 なんだっただろう。こんな光景を滑稽に書いた童話があった。月から舞い降りた美しいお姫様を手に入れようと彼女の望むものを探して旅した男達。しかしその誰もが嘘をついた。彼女の為に、死ぬほどの努力をした人は誰もいなかった。

 お姫様は嗤った。世の中の男を。自分自身の価値のなさを。

 そうしてお姫様は、水面に映った月に飛び込んで帰った。空の月に帰ったのか、それともこれは投身自殺だったのか。物語では語られていない。

 窓辺から青い青い海原が見える。水平線の向こうへと飛んでいく白い鳥の群れが視界に入った。光を反射してキラキラ光り、時折魚が跳ねて鱗が眩く。


(青の底は、綺麗かしら?)


 あの月のお姫様のように、自分にも帰る場所があったらよかった。

 それとも行く当てのない、自分を海の底は歓迎してくれるだろうか。そっと、フランディエラの細く白い手が磨き抜かれた窓ガラスに触れる。

 己の、美しすぎる精巧な顔が映った。


(大嫌いだ)


 どれほど透明で、すぐそばに欲しいものがあっても、ガラス一枚隔てる。いつだって見えない壁がそこにある。


(美しさの、価値はなに?)


 たとえば、自分が宝石だったのなら、値段で価値を示せていただろうか。数億、数千億、兆、京……満足のいく数字は出ただろうか。人間に値段をつけるなど意味のないことだ。だが、実際にその数字をちらつかせられることもある。

 貧民は価値がないとか、貴族は高貴だとか。

 人は人の物差しでしか、物事をはかれない。フランディエラは、ただ一つとても狭い父親の物差しをあてられて、箱庭に詰め込まれていた。美しい娘を、どうやって、どこまで高値で売るか。最近の父親の楽しみは、それに占められている。


(馬鹿らしい)


 フランディエラの家は、貴族の名家。王国で伯爵位をいただいている。お金は十分あった。継母が無駄遣いさえしなければ。

 実の母親がいたときはまだよかった。可愛がってくれたし、フランディエラもまだ人間扱いされていた。けれど母親が病に倒れ、ついに亡くなると父親はすぐに新しい妻を迎えた。その速さから、きっと母親の生前から関係があったに違いない。

 それから二人は、お金に執着するようになった。フランディエラに付加価値をつけて、高値で売る算段をするほどに、狂っていった。


 人形のように美しく。

 人形のように無駄口を叩かない。

 人形のように従順に従い。

 人形のように動かない。


 それは、ある種の理想だという。貴族の男は、見た目を欲する。美しく、面倒がない、身分のある娘を求める。人形に仕立て上げられた伯爵令嬢は、そんな彼らにとって打ってつけの女というわけだ。

 結婚が許される十六になったばかりのフランディエラを、父親は飽きることなく彼女を商品として見せつけた。社交界には必ず顔を出し、フランディエラの顔を売っていく。だけどまだ、まだと値を釣り上げていく。

 そして今回もまた、船上社交界という少し特殊な社交場に参加していた。一週間の船旅の中で行われるパーティーだ。様々な著名人、貴族、豪商などお金をたんまり持っていそうな人物達が集い、誰もかれもが舌なめずりしながらフランディエラを眺めていた。

 吐き気がする。

 連日そんな場所に連れていかれては、気分の悪さを訴えて逃げていた。父親は眉間に皺を寄せていたが、病弱だという設定も、上手くすれば可憐に変換される。貴族の嫁の条件として跡継ぎを産むことを望まれるがフランディエラの場合は多くは本妻ではなく愛妾としての立場を望まれる。なので体の頑丈さは二の次なのだ。

 今日もさっさとパーティーを抜けよう。そう考え、遠い海の果てを眺めては深くため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青への旅路 黒雪兎 @hinonagaineko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ