第10話 不思議な共同生活

夕凪家で暮らすにあたって、歌織の一番の心配事は典明と雅明の妹、明利だった。


ただでさえ体調が悪いのに、よそ者が突然一緒に暮らすことになったのだ。


気を遣わせたりして彼女の体調が悪化しないかが心配だった。


けれどそんな心配は杞憂に終わった。


明利は歌織が家にいることを歓迎したし、女同士ということで自然と話すようになったのだ。




とはいえ、明利は基本的にベッドで休んでいる。


その日の体調にもよるのだが、ベッドで安静にしていても話をするときはあるし、少しくらいなら動けるときだってある。


そんなときは、だいたい家にいる歌織が、典明と雅明もいるときは2人も一緒に、4人で会話をしながら過ごした。




一方で医者探しの件はなかなか進展がない。


典明は高校に通いつつも、空き時間や下校時間を使って情報を集めている。


雅明は頭が良いため出席日数とテストだけ気を付けて、基本は学校をサボって情報集めをしていた。


歌織も2人のように情報集めをしたかったが、1人で行動するのはまだ危ないと言われたため、基本的には家で待機だ。


家にいるときは、明利が寝ていたら暇なので、家の中の小さな範囲でだが影を自由自在に操れるように練習していた。


典明と雅明が帰ってきたら、2人の集めた情報をメモにしてまとめている。




そんなこんなであっという間に1週間が過ぎた。


そんなある日、リビングでのんびりしていた歌織は、黒猫の名前をつけようと思い立った。


「黒猫さん、出てきてくれる?」


歌織の呼びかけにすんなり応じるようになった黒猫。


歌織の意志なのか、黒猫が安全と判断しているからなのか、基本的に黒猫は姿を隠している。


「いつまでも黒猫さんって呼ぶのも変だから、名前をつけようと思うんだけどどうかな?」


歌織の問いかけに、にゃあと一鳴き。


歌織はそれを肯定の意と考え、黒猫の名前を考える。


「黒猫でしょー…?シンプルに『くろ』…は安直かぁ。黒猫、黒猫…」


名前を必死に考えている歌織の横で黒猫は毛づくろいをしている。


「何がいいと思う?」


歌織が黒猫に問いかけるも、黒猫は前足、胴体、後ろ足…と順番に毛づくろいをしているため反応しない。


ちなみに今は後ろ脚をピンと伸ばして毛づくろいをしている。


「ありゃ…興味ないか。んー…‥あ!これだ!!」


歌織が急に大声を出したので黒猫は驚き、毛づくろいのポーズで固まっている。


後ろ足はピンと伸びたままだ。


「シャノワール!どうかな?」


歌織は勢いよく黒猫に話しかけるも、黒猫は再び毛づくろいを再開して反応しない。


「決めた!シャノワール!縮めてシャノって呼ぶのもいいなぁ」


歌織の中では黒猫の名前は決定したようだ。


ちなみにこのシャノワール、フランス語で『chat noir』、黒猫を意味する。


そのまんまだ。


歌織も安直かとは思ったが、オシャレな響きなのでよしとした。


「黒猫さん!これからあなたの名前はシャノワールね!たまにシャノって呼ぶけど…。改めてよろしくね、シャノワール」


毛づくろいが終わった黒猫は歌織の呼びかけに答えるよう、にゃあと一鳴きした。




そんな時だった。


リビングの外でドサッという音がしたのだ。


「何だろ…?」


まるで何かが倒れるような…そう考えながら歌織は腰をあげた。


(――何かが倒れる…?まさか!)


歌織は急いで音の根源へ向かう。


「明利ちゃん!?」


廊下で夕凪兄弟の末っ子、明利が倒れていた。


「明利ちゃん!大丈夫!?」


倒れていた明利抱え起こして声をかける歌織。


明利の体は熱く、歌織が今まで見た中で一番具合が悪そうだった。


「か、おり…さん…?」


「うん。そうだよ。私にもたれていいから、ゆっくり部屋に戻ろう…?」


明利の腕を自分の肩に回し、ゆっくりと立ち上がる歌織。


明利は立ち上がるのも辛そうだった。




ゆっくりと明利の部屋へ2人が足を進めていると、玄関の鍵を開ける音がした。


歌織が顔だけ玄関に向けたら、ちょうど雅明と目が合った。


雅明は歌織にもたれている明利の様子に違和感を覚え、急いで靴を脱ぎすてて2人のそばに来た。


「明利ちゃんが突然倒れたの。いつもよりうんと熱が高くて…」


「そうか、悪ぃな。部屋まで運ぶわ」


歌織から明利を受け取り横抱きにする雅明。


その表情はいつもの様子からは想像もつかないほど険しかった。


(――わかっていたのに何もできないなんて…。)


そう、歌織は明利がいつか体調を悪化させて倒れることはわかっていた。


わかっていてもどうすることもできなかったのだ。


歌織は何も出来ない歯がゆさに、その場に立ち尽くすことしかできなかった。






雅明が明利を部屋に運んでリビングに戻ってきた。


歌織は雅明が明利を運んで行ったあと、リビングに戻ったのだが何もする気になれず、膝を抱えて蹲っていた。


「おい」


「‥‥‥」


自分が声をかけられているのはわかっているのだが、歌織は顔を上げられなかった。


明利の容態がいかに深刻かを知っていたから。


「おいってば。歌織、泣いてんのか?」


なかなか失礼な声のかけかたではあるが、歌織は泣いていないことをアピールするためにけだるげに顔を上げた。


「なんだよ、泣いてねぇのか。びっくりさせんな」


「うん…。ごめん、明利ちゃんのあの辛そうな姿が頭から離れなくて…。雅や典明さんのほうが辛いはずなのに…」


赤の他人である歌織よりも、血のつながった兄妹の典明や雅明のほうが辛いだろうということもわかっていたが、歌織は明利が倒れる事実を知っていたからこそ辛かったのだ。


「……。明利の容態なんだが…」


「…無理に話さなくていいよ。今私に話して、典明さんが帰ってきたらまた話さなきゃいけないの辛いでしょ。典明さんが帰ってきた時に私も聞くから」


「おう。悪ぃな…」


落ち込んでいる雅明にどう声をかければいいかわからなかった歌織はそれ以上は何も言わなかった。


「典にも連絡はした…からすぐに帰ってくると思う」


「そっか…」




沈み切った2人の間に突如インターホンが鳴り響いた。


「典が鍵を忘れていったのか…?」


典明も雅明も普段から家の鍵は持ち歩いている。


そのためインターホンは基本的に使わない。


典明が鍵を忘れることはほとんどないので、雅明は疑問を抱きながらも玄関の鍵を開け、扉を開けようとした。


すると外側から勢いよく扉を引かれ、バランスを崩した雅明。


その瞬間ヒュンと音がし、何かが雅明の体に絡みついた。


「なん…っだよこれ」


雅明はその場から1歩も動けなくなってしまった。


「無理に動かないほうがいいぞ…。血まみれになりたくなければな」


そう声が聞こえたかと思えば、黒い影が雅明の前に現れた。

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