第3話 澱み

 気温が段々下がっていくのを感じる。体が震えるのは、寒いからか、それとも。

 周囲は人気がないことも手伝って、一層寒々しい。

 放課後すぐに学校を出て、寄り道もせずまっすぐ目的地へ向かったが、やはり到着する頃には夕日が今にも沈んでしまいそうになっていた。

 しかも着いたのは丘の麓なので、ここから祠まではまだ少しある。流円祠と相対するまでに太陽は間違いなく隠れてしまうだろう。

「逢魔時ってやつじゃなくなっちゃったかもしれないけど、とりあえず行ってみようよ。ここまで来たんだし。」

「そうだな。ていうか悪いな、付き合ってもらっちゃって。」

 そう言うと隣のランは気にしないで、と笑顔で返してくれる。なにこの娘、天使?天子もびっくりのエンジェルなの?うちのクラスには天の御使いがおわしますようです...

「じゃあ入るか。暗いから足元気をつけて行こう。」

 よし、と二人で気合を入れていざ入山。といっても丘くらいのものなので、道はそれほど険しくはない。

 危険があるとすればやはり野生動物か。バサバサっと姿は見えない鳥の羽音が時折聞こえてきて、思わずびくっとなる。

「やっぱり不安感がどうしても拭えないな...今日も結局不運な出来事はあったし。」

「あーあれね。いや、あれはシュンの不注意でしょ。」

 そう言ってランは思い出し笑いという具合にふふっと吐息を漏らす。いや、笑い事じゃないんだけど...

「ごめんごめん。だってさ、あんな派手に転ぶ人始めてみたんだもん。」

「俺だって始めてだよ、転ぶっていうか一瞬宙に浮いたからな。」

 耐えかねたようにぶほっとランが吹き出す。もう君が楽しそうならそれでいいよ...

 掃除の時間中、雑巾がけをしたばかりの床を歩いていたらつるっといってしまった。おかげで後頭部が未だに少しズキズキしている。

「はぁ、おっかし。でもさ、それも十字架のせいとは正直思えないんだよね。何ていうか、日常的すぎない?その呪い。」

「それが笑ってられるのも今だけかもしれない。先輩が言うには、呪いがどんどんエスカレートしてく場合もあるんだってさ。」

「ふうん。そういえば昼休み結局空渕先輩と調べてたんだっけ。」

「うん、ここへ来たら良いってのも先輩から教わった。頼りになるよあの人は。」

 ふーーーん、と何やら言いたげな様子のラン。何だか先輩との関係にあらぬ誤解を受けてる気がする。据わりが悪いのでちゃんと言っておこうと口を開きかけた矢先、ランに先を越されてしまう。

「なら、何で先輩と一緒に来なかったの?」

「何でって言われてもな。元々協力するって言ったのはランの方からだろ。」

「それはそうだけど、いやそうじゃなくて。空渕先輩こういうのに詳しいんでしょ?私より適任っぽいじゃん。」

 そう言われてみれば確かにそうかもしれない。事実あの本を前から読んでいたようだし、それ以外にも知識面ではランも俺も歯が立たないだろう。それでもランに来てもらった理由、か。

「単純に遠慮したのかもな。先輩とは結構仲良くはなれたと思うけど、俺の都合であの人を連れ回すのはなんか悪いし。」

「なにそれ、私なら迷惑かけても良いってこと?しつれーな話。」

「いや、そういう訳じゃ...」

 彼女のつっけんどんな言葉に反して、その表情は笑顔だ。えっどういう感情なの今...もしかしてランはナイフで人を刺すときも笑顔なタイプ?これからはサイコランと呼ぼう。

 俺が胸中でランにスタイリッシュなあだ名を与えていると、道が少し開けた場所に出る。

「あ、あれかな?えっと、流円祠。」

「みたいだな。...やっぱり陽は沈んじゃったか。」

 辺りは既に暗くなっていた。街灯も無く周りは木々に囲まれているので、数メートルまでしかしっかりと見えない。

「なんかやっぱ、雰囲気あるね。ちょっと怖くなってきたかも。」

 ランは自分の肩を抱いて周囲へ視線を走らせている。

 あらゆる音が林に吸い込まれているかのような静寂。自分たちの息遣い以外には、耳に入ってくるものはない。道中驚かされていた鳥の羽ばたきすらも今ではぱったりと聞こえなくなってしまった。

「とりあえず、この十字架を祠に供えよう。」

「うーっ。神様、どうか呪いをなんとかして下さいっ!」

 そんなアバウトなお願いを口にしながらランが手を合わせる。

 流円祠は小さく、俺の胸くらいまでしかない。木造の屋根や扉は所々朽ちてしまっていて、中の木札が覗いている。

 俺は十字架を取り出して祠の手前に置く。二礼二拍手一礼、は神社だよな...とりあえず手を合わせておこうと合掌し、祀られているという龍神に祈る。どうかこの十字架に込められた呪いを解いてくれ。

「...特に何も起こらないね。」

「うん、でもこの他に出来ることはないし、今日のところは帰って様子を見よう。」

 そのまま流円祠を後にして、真っ暗な中を二人で歩く。学校の最寄り駅に着き、ランと別れる。

「今日はありがとな。なんか龍神様のご加護が働いてる気がするし、もう大丈夫かも。」

「うん...神様にどうにかできる問題だったら、良いんだけどね。」

 え?とランの予想外の言葉に困惑していると、あっという顔をしてランが足早に去っていってしまう。

「ごめん、なんでもない!また明日ね!」

「おう...」

 なんとも釈然としない別れでもやもやした思いを抱えたまま、バスに揺られて帰路に着く。今日の夜闇はその暗さを一層濃くしているように感じられ、心が無性にざわついた。


・・・


「おかえりなさい、遅かったわね。」

 今日は指を挟まないようにと細心の注意を払ってドアを開閉していると、奥から母さんの声が聞こえてきた。同時に肉の焼ける匂いと音が嗅覚と聴覚を同時に刺激する。ヒャッホウ今日は焼き肉だぁ!

 祠まで歩いていつもより体を動かしたのでかなり空腹だった。荷物を放り投げ洗面所で手洗いうがいをし、そのままダイニングへ。

「あー、お腹空いた。いただきます。」

 帰宅時間をラインで伝えていたので、俺が着く頃まで待っていてくれたらしい。ありがてぇ...ていうか早速祠に行った効果が出てるのでは?焼き肉が食べれてとても幸せです今。この世で一番美味しいのは人の金で食べる焼肉らしいしね。

「どっかで遊んできたの?もしかしてデート?」

「あー、まあそんなとこ。」

 説明するのも面倒だし、息子が呪われているなんて知ったら心配をかける。適当に誤魔化しておこう。

「あら、ホントに?相手はどんな娘よ、ちょっと教えなさい。」

 うわぁ、もっと面倒なことになった。中学生の時、見栄を張って彼女いるって嘘を吐いたらめちゃめちゃ追求されて恥ずかしい思いをした記憶が呼び起こされた。中学生男子が格好付けようとして結局凄いダサい有様になるのは仕方ないよね、うんうん。

「いや、なんていうかさ...って辛っ!?」

 突然舌を刺激されて思わず飛び上がってしまった。辛い、ていうかもう痛い!あまりの辛さにげふんげふんと咽てしまう。

「あら、ししとう辛かった?アンタが食べたのが最後の1個だったけど。それだけハズレだったみたいね。」

 お茶をごくごく飲んで口内を落ち着かせる。まだ舌がヒリヒリしてるが、俺の脳内は別のことが支配していた。

「唯一のハズレか、これは...」

 先程まで感じていた流円祠の加護が消えていくような感覚がする。いや、まさか。ただの偶然だ。ししとうぐらいいつものことじゃないか。過敏になっているだけだ。

 ふぅ...と深呼吸して食事を再開する。うん、美味しい美味しい。やっぱり不幸はどこかへ飛んでいったよ。

「それで、女の子の話聞かせなさいよ。ていうか今度うちに連れて来なさい。」

「もういいよその話は...」

 逃がそうとしない母さんの執拗さに辟易していると、父さんが助け舟を出してくれる。

「まあいいだろう、その辺で。子供は親の知らない所で育っていくもんだ。」

「はいはい、それもそうね。」

 サンキュー、パッパ。

 パッパがこないだ競艇で結構な臨時収入を得たのは秘密にしておくよ。

「昔はあんなに甘えん坊だったのにいつの間にか成長しちゃったのね...そういえばアンタ、いつからクリスチャンになったの?」

「え、どういう意味?」

「そのまんまの意味よ。アンタの部屋で十字架見かけたけど。」

 思わぬ方向へ話題が飛んだのでどきり、とした。というかやっぱり十字架は家に置いてきたんだよな。で、気付いたら俺のポケットに潜んでいたと。完全に呪いのアイテムだ、アレ。

 少し嫌な予感がして、ご馳走さまをして足早に自室へ戻る。頭では大丈夫だ、と言い聞かせるが、ドアノブを握る手が小刻みに震える。ガチャ、と扉を開き、電気のスイッチを押す。

「...嘘だろ。」

 机の上には、あの十字架が当然のようにあった。嫌な予感程よく当たる、そんな言葉が脳裏をよぎる。

「頼むよ...どうすりゃいいんだ。」

 明日もう一度流円祠へ行くべきか?いやでも今日行ってこの結果だ。それとも、やっぱり時間が悪かったからか?焦る頭でぐるぐる思考が堂々巡りに入っていると、突然スマートフォンが着信を告げる。

「わっ!...えっと、先輩から電話?」

 画面に表示されているのは先輩の名前だった。何の用事か分からないが、ナイスタイミングだ、先輩に相談しよう。

「もしもし、先輩ですか?丁度良かった、聞いて欲しいんですけど。」

「うん?今日のことについて聞こうと思ったんだけれど...話してみて。」

 俺は祠へ着く頃には陽は暮れてしまい逢魔時に間に合わなかったこと、十字架を供えてきたこと、自室にそれがまた戻ってきてしまったのをたった今見つけたことを話した。

「ふむ...ダメだったか。とはいえ安心すると良い。あれから私もまた調べて、採るべき対策が分かった。」

「ホントですか!俺はどうすれば良いんですか!?」

「とりあえず落ち着き給え。やはり、もう一度流円祠へ行く他ない。」

 先輩の話はこうだ。信仰の薄まった神にただ頼るだけでは呪いを打ち消すほどの神秘は見込めない。しかし、流円祠が霊脈のパワースポットであることは間違いないらしい。それを利用して龍神に眠る強大な力を引きずり出す。

 具体的にはやはり逢魔時が良いらしい。霊脈が活発になる時間。それを龍と繋ぐ。

 流円祠

 転じて、龍と炎

 そこに祀られている龍神は、火に纏わるものであるという。流円祠の前で火を焚くことで、地下に宿る霊力を龍神へ届けることができる。元来火には穢れを清める力が備わっているとされてもいる。浄化の炎で龍神を呼び起こし、その上で十字架を供えるのが、先輩から教わった方法だ。

「ありがとうございます先輩!早速明日実行してみます、って、授業途中で抜け出すことになりそうですけど。」

「...そうだね。」

 心なしか先輩の声がか細く聞こえた。彼女なりに案じてくれているのだろうか。

「えっと、先輩...?」

「いや、なんでもないよ。気を付けて行ってくると良い。」

「はい、それでは。終わったらまた報告します。」

 それでは、と言って電話を切る。

 ホントは先輩が来てくれるとより心強いんだけど、やっぱり少し気が引けてしまう。付き添いはやっぱりランに頼んでみよう。6限目をサボることになるから、無理にとは言えないけど。




 



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