恋愛小説家の憂鬱

昼間あくび

第1話 小説家の恋愛観

モニター画面から目を外し、座っている椅子の背もたれに思い切り背中をぶつけながら大きく伸びをする。

凝り固まった肩の筋を伸ばしながら、うあー、と意味のない音を震わせた。

はーあ。一体恋愛感情ってのは何なのかね。

曲がりなりにも女性向け恋愛小説を書かせてもらってる身でありながら誠に恥ずかしいばかりだが、これは私世紀最大の謎だ。

そうだなぁ。私みたいな恋愛素人はまず、恋愛を語る上で性別問題を無視できないと考える訳だよ。

身体の性別と、心の性別。

身体の性別は単純明解なことが多い。遺伝子によって決められた、男と女。

そして問題は心の方。心の性別は身体の性別に引っ張られることもあるけれど、勿論別の時もあるわけだ。

そして単純に、男女と区別できるって訳でもない。

数字なんて概念をこの精神論に持ち込むのは些か無粋ではあるけれど、例えば思考の何割は男性的で何割は女性的、なんてこともあるのかもしれない。

かもかも論だ。

女の身体を持って生まれ女の心で生きてきたつもりの自分には、思考することは許されても論じることなんてできゃしないだろう。許されるまでもなく。

で、だ。

素人が何故恋愛を語る上で性別を考えるのかと言われれば、恋愛は性別によって対象を変えると考えるからだ。

女の心で男の身体を好きになる。

男の心で女の身体を好きになる。

女の心で女の身体を好きになる。

男の心で男の身体を好きになる。

またこうも言えるよな。

女の心で男の身体を持った男の心を好きになる。

ここまで恋愛対象をちりぢりに切り刻んで細分化してしまったら

「カオスとしか言いようがねぇな」

まぁ本当はもっと単純なことなのかもしれない。これは型にハマった机上の空論って奴だ。出会ってみれば恋なんて、もっと単純なのかもしれなかった。

そこまで考えていると、携帯電話が震えた。最近はスマートフォンなんて時間泥棒が普及しているが、私の相棒は長らくガラパゴス携帯だ。

「あ?もしもし新倉先生?新刊の調子はどうですか?」

「あれま、男の心を持ち男の身体を持ってる編集くん。何?〆切はまだ先っしょ?」

「先生って基本〆切遵守の人なのに、恋愛小説書くときだけギリギリになるので、編集者チェックですよ」

私のイカれた発言を華麗にスルーする辺りが、この編集くんが私に回された理由なのだろう。

「今はあれだよ、恋愛と性愛の狭間を彷徨っていたのさ」

「なんですかそれ」

「なんなんだろうねぇ。こっちが聞きたいんだよ」

適当に話しながら、ふと恋愛素人以外の弁論って奴を聞いてみたくなった。私は身体の性別が男の人間をあまり快く思っていないから、そんな知り合いはこの携帯の先にいる人物くらいしかいない。仕方がないが、この人間に付き合ってもらうしかあるまいて。

「なぁ、編集くんよ。今、長電話する時間はあるのかね」

「藪から棒ですね。大丈夫ですよ、仕方ないので付き合ってあげます」

「ふーん。じゃあなるだけ手短に話すよ。私はさ、男の身体で男の心を持った人間が嫌いなんだが」

電話のスピーカーからザザザっという雑音が入ってきた。察するに愛用のスマートフォンを落としたな?

こちら的には何ら問題のないアクシデントのようだ。

「きちんと言語にするなら、男の身体に引っ張られた男の心を持った人間、とでも言うべきかね。まぁそんな人間が嫌いなわけだよ。女の身体で生まれた以上、一定の嫌悪感を抱かずにいられない、というのが私の持論な訳なんだが」

「・・・どうでしょうね、暴論にも聞こえますが」

「暴論だろうさ。こんな考えが世論なら、そんな世界はすぐに滅んじまうよ。

けどさ、考えてもみろよ。男の身体で男の心を持ってるだけで、女の身体を持って生まれた人間より優遇される世の中を。それを差別とかって言うけれど、あんなもんはただの侮蔑だと、私なんかは思うわけさ。だから、嫌悪感は暴論でも、憎悪感ならあながち間違いではないかもな」

「どちらにしても突飛じゃないですかね。男からしてみれば、社会、というか集団行動からの抜け道があるのも羨ましく思いますが」

「男側からはそんな風に見えるのか。まぁそれも、今じゃあ時代性に掻き消されつつあると思うがね」

そうだそうだ、そうだった。私は別にジェンダー問題を提起したいんじゃあなかった。

「編集くんよ、私はね?だからそういう概念的な男が大嫌いなわけなんだが」

「言葉が強くなってません?」

「だからこそ、恋愛だの性愛だの、そういう概念が雲を掴むように思えるのさ。雲、というか太陽を掴むように思えるのさ」

眩しくってかなったもんじゃあないね。

そんな風に言うと、編集くんははぁ…と気の抜ける声をだす。

「恋なんて落ちるものでしょう。頭でっかちに考えてみるだけ無駄だと、僕なんかは思いますが」

「そうかい。でもそれじゃあ作品のクオリティが上がらないのさ。ぺらっぺらだよ」

概念的な男を快く思えないのには、もちろん世間なんて微塵も関係ない個人的な実体験が伴うのだが、今は関係ない。

とにもかくにも、誰かに恋をする、恋におちる感覚というのをいち早く教えて欲しいのだよ、こちとら。

女に恋つっても、女の見苦しさ厚かましさを身をもって、というか日々身に積んで体験してるのだから、無償の愛なんて捧げられっこない。

私が知りたいのは、家族とか友人とか、そういう縛りのない赤の他人相手に、どれだけの情を傾けられるのか、その一点のみなのだ。

「別に先生は、恋を解き明かさなくても良いと思いますよ」

スピーカーから聞こえてきたそんな間抜けな言葉に、不覚にも、今度は私が携帯電話を取り落とした。

「いやいや君、私の話をきちんと聞いていたか?わからないものを書いたところで、中身はペラペラなんだって話をしているんだ」

「でも先生は、恋愛を知らないだけで、親愛を知らないわけでも、友愛を知らないわけでもないんでしょう?」

「はぁ…?それらは全く別物なんじゃあないのか」

「かもしれませんね。でも、全てに愛がつくんですから、すり替えて考えるくらい可能でしょう」

「可能不可能よりも、そもそも別の物、別の感情をすり替えて書くって、君、私は作家であって詐欺師ではないぞ」

「フィクションを描くって意味では、どちらも大差ないのでは?」

平坦な口調でとんでもないことを言いやがる編集くんだ。

「詐欺師と違って作家のつく嘘は実害を伴わない、エンターテイメント性に富んでいるところが素晴らしいんです」

「いやいやいや、わかったぞ。君、私の質問に答えるのが面倒だから、適当なことを言っているだけだろう」

「そうとも言いますが」

本当に、中々喰えない男だな。

「でも、親愛も友愛も敬愛も、恋愛と錯覚できるのが人間の愛しいところだと、僕は思いますよ」

そんな、わかったような、悟ったようなことを言って、編集くんとの通話は終わってしまった。

親愛、友愛、敬愛、そして恋愛。

すり替え手を替え品を替え、そうやって落ちるのが恋愛。

いや落ち着くのが恋愛か。

「まったく恋愛感情なんて、たまったもんじゃあないな」

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