第7話 光くんと光ちゃんの関係

 ガタン、なるべく静かに閉じた扉は大きすぎる音をたてて、私の帰宅を大げさに喜んだ。

「・・・ただいま、」

まるでデジャビュか何かのように部屋の中に満ちている匂い。空腹を訴える体は正直にてくてくと真っ直ぐリビングに向かう。

「あ、おかえり、ひかる。ドンピシャ。」

「ん?ドンペリ?」

「え?ビールしかないよ。」

机の上でぐつぐつと音をたてているのは、美味しそうな鍋焼きうどん。うどんよりも具材のほうが多いのは気のせいだ。トンッと食器と一緒に置かれたビールは二本。

「で、でじゃぶうだ。」

「飲むだろう?」

「うん、飲むけど。」

にこにこ、何だか今日の彼は楽しそうだ。良いことでもあったのだろうか。いや、どうだろう。彼はそんな素直じゃない。

「・・・下心、なんだと。」

「は?」

ぐびぐびとビールを飲んで突然、彼が言った。

「俺とお前だよ。一緒にいるのは、下心なんだってさ。」

「あー・・あぁ、」

なるほどね。全てのことに納得して、頷いた。やっぱり考えることは一緒なわけだ。同じ事を言いに行ったわけだ。

「はは、似たもの同士。私も言われた、都合の良い友情のふりした保険、なんだってさ。」

「へぇー・・比奈ってば、そんなこというんだ。」

口元にビールを持っていき、彼は笑う。保険ね、なるほど。呟いてまたビールを一口呑んだ。私も釣られて、口に含む。

苦い。

大人の味だ。そう言って笑った父の顔を思い出す。

その通りだよ、お父さん。

苦い。

大人って、苦いんだね。

苦いよ。

「下心かぁ。確かに、一緒にいると金は半分でいいもんね。家事も分担できる。下心、万歳!!」

「俺は、金以外は全て多い気がするなぁ」

「だから、ほら。都合のいい便利な男さ。」

「くそう!利用しやがって!殺してやる!」

「やれるものなら、やってみろう!!」

話しているうちにいつの間にか、鍋の中身は空になっていた。さすが、昼を抜いただけあって彼の食欲はいつにも増してハイスピードだ。

 都合のいい、下心だらけの友情。

それでもいいから、一緒にいたいと思った。

この気持ちが恋だとしたら、なんて恋なんて物は曖昧なんだ。恋愛対象になるから、男女の間に友情がないなんて間違っている。

異性だから、恋をするとは限らない。

同性に恋をすることだってある。

友情は愛情と同じ意味だ。

友だちと恋人は限りなく一つだ。

男女の友情が成立しないのなら、男の友情も都合のいい保険で、女の友情は下心だろ。

叫びたいほどに、想うのは彼女のこと。

眠れない夜に、想うのは君のこと。

男女の恋なんて、所詮はしか。

体の求める、ただの摂理。

違う?

ねぇ、間違っている?

俺は、狂ってしまったの?

「なぁ、ひかる」

「うん?」

目の前でビールを持て余している彼女なら、きっとわかってくれる。

触れれば、わかる。

触れなくても、わかる。

そっと手を伸ばして、その頬を抓った。もちもちで柔らかい。

「すきだ、ひかる、だいすきだ。」

「・・こう、」

彼女の目が大きく開いて、零れるんじゃなかと思うほど開いて。キラキラのビー玉に俺が映っているみたいだった。

男女の友情がないなら。

この気持ちが愛情ではなく都合のいい下心なら。

今、こそ、そのときだろう。

「ひかる、」

「私も。私も、こうのこと、すき。だいすき。」

にへら、だらしなく笑った彼女に釣られて俺も溜め息を吐いて笑う。そのまま、ゆっくりと彼女に顔を近づけた。今まで、見ていたのに意識していなかったカサカサの唇。

触れなくたって、わかる。

触れれば、わかる。

彼女の目が、俺を映して、閉じる。

俺もつられるように目を閉じた。

アダムとイブは、もういない。

禁断の果実を食べたあの時から、ずっと。この世界にいるのは、紛れもない。

男と女だけだ。

「・・・、」「・・・・。」

唇に柔らかい唇が、当たる。

熱と熱が、触れ合う。

苦い。

大人の味なんだよ。そんな父の言葉が思い出された。

本当だよ、親父。

苦い。

苦いことばっかりだ、大人って。

苦い。

 彼女の、匂いが、した。


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