第5話  光くんと新太くんの関係

 朝、懐かしいフレーズで目が覚めた。すぐにあの頃、彼女がよく口ずさんでいたものだとわかる。

あぁ、彼女は今酷く傷ついてしまっているんだ。わかりきったことを俺はぼんやりと考えた。

悪魔なんかじゃ、ない。

お前を悪魔なんかにさせない。

その傷口に滲んだ血は、俺が拭うから。

 「・・・何のようですか。」

「あー・・まぁ、そう警戒しないでください。」

ちょっとノープランすぎたかも。

目の前で明らかに表情を硬くしたnew太に笑いかけながら思った。そもそも、前日も食べてないのに、あんな量のドーナッツじゃ足りるはずもなくて、頭に十分な栄養がいっていないなのだ、と言い訳。

「俺に用事なんてないでしょう?」

「いや、大いにあるんですよ。」

部屋にある写真とは全然違う、怖い顔。昨日はこいつ、この顔で彼女に何か言ったんだろうか。いや、きっと何も言わせなかったに違いない。

こいつは、逃げたんだ。ひかるから、

「何の用ですか?」

「サイテーだな、あんた。ひかるから、逃げて傷つけて、泣かせた。」

気づけば口からうっかりしてしまった、俺の言葉。判りやすく顔に怒りを表すnew太。どうにも近すぎて彼女のことはうっかりすることが多い。

何でだ、冷静になれ。

あぁ、好きだからか、知ってるよ。

「あなたには、関係ないことです。」

「・・・まぁ、そうなんですけど。」

本当にそう思っているなら、なんで彼女を突き放したりしたんだよ。関係ないなんて微塵も思っていないくせに。

口先だけ?表面だけ?

「本当に、その通りです。俺とあい・・ひかる、さんの間には何の関係もないんですよ。深い情もなければ、特別な関係でもない。ただの同居人です、ルームシェア。あの日だって、たまたま奮発して買った高い肉にテンションが上がってただけで、本当に、あい・・ひかる、さんはあなたを裏切るようなことは何もしていませんから。」

思いついたこと、とにかく彼女と俺は何でもないことを言って、深く深く頭を下げた。気づけば俺はそうしていた。

「だから、ひかるさんのこと・・・もう、傷つけないでやってください。」

彼女が傷つかない世界。どうせ誰も叶えてくれないなら、俺が作ればいいんだって。

「・・・あなたの言うことが本当だとして、じゃぁ、あなたはなぜ、深い情も特別な関係でもないただの同居人のために俺のとこまできて頭を下げるんですか?」

「え?・・だって、それは、」

彼女が泣いているから、悲しんでいるから、傷ついているから。

「・・・友だち、だから?」

笑えないジョークだって、こんな空気にはならないだろう。

あぁ、誰か、俺を笑ってくれ。

「友情、ですか?」

「そう、なりますか?」

長い沈黙、それこそきっと数十秒。それでも、俺にはとても長い沈黙。間違ったことは言っていないのに、背中を嫌な汗が流れる。

あぁ、本当。俺ってば、何してるんだ。

わかっているけれど、それでも。

「本当に、友情ですか?」

「・・・・どういう意味ですか?」

探る、ような瞳が俺を正面から捉える。彼女のことも、こいつは昨日こんな目で見たのか。新太くんは優しさでできてるんだよ。いつだったか、彼女はそんなことを言っていた。違うよ、優しさでできてる人間なんていない。

「俺は、男女の間に友情なんて成立しないと思うんです。」

友情ではないのというならば、一体何だというのか。彼女に向かう俺のこの気持ちは。

恋、だとでも?

これが、本当に恋心だと思うのか?

「少なくとも、俺はそう思ってます。」

はっきりと拒絶の色を示したnew太に俺がこれ以上言えることは何もないように見えた。

男女の間に友情はない。じゃぁ、男と女は友になることはできないというのだろうか。楽園でアダムとイブが知恵の果実を食べたときに二人の間から友情というものはなくなって消えてしまったのだろうか。

「それは、違う性別、だから・・ですか?」

アダムとイブだから?

オスとメスだから?

「そうです。自然界においてオスとメスの友情などありません。相手を異性として見る以上は、そこには恋愛感情があるはずです。そんなのは、友情ではありません。」

「・・・じゃぁ、何なんですか?友情ではないなら、」

俺が彼女に抱くこの感情は何だというのか。

彼女が俺に向けるあの感情の名前は。

「・・・それは、たぶん。下心、ではないでしょうか。」

「し、」

下心、なんですって。

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