第3話  光くんと光ちゃんの関係

 お互いニヤニヤしながらデートから帰ってくるのは別に珍しいことじゃないので何も言わなかったけれど。お互いに夕食を食べてくるもんだ、と思い込んでいたのはさすがにうっかりしすぎた。

「ないね。二人分はないね。」

「だろうね。今朝確認したもんね。」

どちらともなく冷蔵庫を覗き込みながら溜め息を吐いた。まだ、遅い時間ではないにしろ、早い時間でもない。

「買い物、行くか。」

「はーい、行きまーす。」

ピョンと勢い良く跳ねるように立ち上がると、彼女は部屋に戻り、それから玄関に歩いていく。今までにない動きだ。

「あと、他になんか買うのあるか。」

「ある。メモしておいた。」

あぁ、なるほどね。それを取りに行ったんだ。なんて納得してバタンと冷蔵庫を閉じて立ち上がる。ひんやりとした空気が足元を滑って部屋の中に広がっていった。

「今、帰ってきたから戸締りは大丈夫だな。」

「おう、おう、いってきまーす。」

出かけるの本当に早いな。笑いながら、俺も帰宅したままの格好で外に出た。ついさっきまでとは違う、夕方の匂い。

「ちゃっちゃと買って。ちゃっちゃと食べよう。」

「何にするかなぁ。すぐできるとしたら、鍋系か。」

「鍋系な。あと、ビールと明日の朝飯か。」

「おやつとアイスとおつまみも。」

彼女と俺は歩幅が違うから、彼女はいつも半歩ほど遅れてついてくる。比奈と歩くときは時々確認して合わせるけど、彼女に合わせたことはそういえば一度もないかもしれない。なんて不意に思った。

「ひかるは本当に、偏食だな。子どもめ。」

「違うってば。定期的にカロリーを摂取しないと体が動かなくなるの。」

「はい、うそー」

斜め後ろをぴょんぴょんと跳ねるくせっ毛が速くなったり、遅くなったりしながらついてくる。

「違う違う。嘘じゃないってば。」

必死に言いながら、俺の袖を掴んだ。彼女がいつも掴むから、俺のコートの後ろの袖は左右で長さが違う。彼女はそんなことはないっていうけど、絶対伸びたんだ。

「そんなことばっかり言ってるから、お前最近お腹が、」「ずわぁーーっ!!こう、うるさい!!」

「いえ、姫さま。確かに、お腹が。」

笑いながら、少し膝を曲げて彼女のお腹に手を伸ばす。

「おだまり!!おだまり!!」

「ですが、姫様。」

笑いながら、確かに最近ちょっと気になりはじめた、お腹に触ろうとしてくる彼の手を必死にブロック。なんてしている間に家から十分ほどの距離にあるスーパーに着く。だいたいいつもこんなだから、すれ違ういつものおばさんとかおじさんは、今日も仲良しだねぇなんて暢気な笑顔だ。おからドーナッツの販売車のおばちゃんは、またケンカ?なんて笑ってドーナッツを一つくれた。車の上からだから、彼に取ってもらわないといけない。きっとおばちゃんはわかっててしている。だから、彼のほうに渡す。

「ありがとうございます、ほら、ひかる。」

「どうも。」

彼は笑顔で受け取って、当然のように半分にして大きい方をくれる。彼のほうがどう考えても口も胃も大きいのに。やっぱり彼は優しいんだ、口に入れたドーナッツは私たちの口をもそもそにしただけで腹の足しにはならなかった。それでも、もしかしたらおやつになるかもしれないから、と私が言って買った。

 入った途端にする良い匂いにお腹がぐぅーっと鳴る。この時間のスーパーはとても危険な場所かもしれない。そこかしこで作られた試食はどれも美味しそうで食べたくなる。一人だったら危うくすぐに財布が空になるところだったと思い、けれど一人だったらこの時間にここにいる必要もなかったのか、とも思う。

「何、買うんだっけ。ひかる、メモ。」

「うん、これ。」

「あーっと、結構あるな。」

「赤字で書いてあるの以外は週末とかでもいい。」

「まぁ、でも今せっかくきたんだから。いいよ、買っちゃおう。」

かごを入れたカートを押して、歩き出す彼の後ろを少し遅れてついていく。彼は足が長いから、歩く速度はいつもばらばら。途中で寄り道をする私はいつも置いていかれて、だけど彼はどこかで待っていてくれるから特に困ったことはない。平気だ。

「ひかる、これはいらないだろう。」

「えー・・いるよ。そのうち食べるかもしれない。」

「いらない。」「いるもん。」

たかが、チョコチップクッキーくらいでなにをそんなにカリカリと。彼は本当に面倒な奴だ。溜め息を吐いて彼は長い手で私のチョコチップクッキーを棚に戻す。

「こっちにしろ。こっちなら、安いしたくさん入っているし、」「だって、それまずいんだもん。」

お前なぁ、笑いながら彼は私の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。せっかく昼に梳かしたのに、思ったけどどうせさっき歩いていたときあたりで崩れていただろうからいいか。

「これで我慢するなら、今日の晩飯はすきやきにしてもいい。」

「・・・・高い肉入り?」

「う・・おう。任せてとけ!!」

「わかった。じゃぁ、まずいほうでいい。」

妥協したのは私なのに、彼はなぜか悔しそうにクッキーを見つめていた。 

 彼女は本当に子どもみたいだ。大人になると忘れてしまうような感情の変化を彼女はいつまでも大事に持っている。

大人はチョコチップクッキーでこんな風に拘れない。

高い肉とチョコチップクッキーは同じ天秤には乗せられない。

彼女は大人になることをやめてしまった。

「こう、春菊はだめだ。高い!」

「どれ。俺が見るよ。」

「まって。まって。それはやめた方がいいな。」「なんで。」

「め、が、く・・腐る?」

彼女は大人になれない子どもになってしまったのだ。

何があったのかは知らないけれど、きっとあの日、あの瞬間にピーターパンと一緒に夢の国に大人の種を置いてきたに違いない。

「腐らない。・・はい、あった。春菊高くなーい。」

「あぁ、もう!!こうのばか。」

買い物が好きな彼女は野菜売り場が嫌いだ。彼女の中でスーパーにあればいいのは、お菓子類だけだ。それでも料理は上手なのだから小さい頃の環境というのは人の人生において大切なものだと思う。そうじゃなければ、彼女はきっと大変な大人になっていたに違いない。

「機嫌直せよ、厚揚げ入れる?」

「入れる!!じゃぁ、もってくる!!」

「じゃぁ、俺は肉見てくるから。他のもよろしく。」

ぱたぱたと走っていく彼女の背は小さくて本当に子どもみたいだった。

 店を出るともう、薄っすら暗くて。電柱の電気が点こうかどうしようか迷っているみたいにチカチカしていた。

「奮発したねぇ。お腹空いたねぇ。」

「そうだな。誰かさんのせいだな。」

暗い中、買い物袋を持って歩く。歩く足に合わせて揺れる手。振り子のように前と後ろを繰り返す買い物袋。

「あぁ、暗い。もう、これが黄昏時ってやつ?」

「そうだなぁ。まだ、そこまでじゃないかもしれないなぁ。」

空を見て視界に入る触れ合いそうな影。まだ薄い灰色の二人の分身。揺れて当たって流れて溶けあう。俺と彼女の影。歩く速度は違うから彼女が少し後ろなのに影は並んで歩いている。俺と彼女の距離。

「こう。あんま振り回すと袋の中身飛んで行くよ。」

「あぁ、そっか。大事な大事な今日の食材だもんな。高い肉だもんな。」

「そうだよ。二人の生活生命線だからね。」

「あははっ、なんだそれ。」

笑いながら彼女を見る。楽しそうに細められた目が俺を見た。ふざけてごちんとおでこに頭突きをした。いて、なんて言って彼女も笑う。何があるでもないこの時間が幸せだと思った。手の中に幸せが満ちているこの瞬間がずっと続けばいいのに。

「楽しみだなぁ。高い肉とまずいチョコチップクッキー。」

「本当に、高かったんだからな。もう、これからしばらく無駄遣い禁止なくらいたかかったんだからな。」

「わかってまーす。節約します。節水しまーす。節電しまーす。」

「本当だぞ。トイレのドアはちゃんと閉めて、風呂の水の出しっぱなしはやめろよ。」

言っているうちに彼女がめんどくさそうに遠くを見始めた。これはふらりとどこかに行くときのくせだ。逃げられないように腕を掴んで引き寄せた。

「ひかる、ちゃんと聞け。」

「やーだ。わかってるってば、」

言ってることが滅茶苦茶だ。全くなんて思いながら掴んでいた手を離す。いくら春先でもまだ寒い夕方、触れた温度が温かく放れ難い気がした。彼女も俺のすぐ近くで買い物袋の中を覗きこんでいた。

「今日も湯たんぽ必要だな。」

「うん。お願いね、こう。」

「りょーかい。」

目の前に見えた家の鍵を彼女が俺のポケットから取りだしている。顔のすぐ下に彼女のつむじが見えた。俺と同じ香りのシャンプーの匂いが、した。

「右、だぞ。」「うん、あった。あった。」

見つけ出した鍵を俺の目の高さにあげて、確認する。そんなことしなくても合っているに決まっているのに。彼女はよくわからないところが真面目だ。冷えてきた体が家に入りたがっている。彼女の背中を押して我が家に向かう。

「ひかる、飯作っとけ。俺が、風呂の準備しておくから。」

「アイアイサー。布団も敷いといてくれ。」

そう言って彼女を向いて笑ったそのとき、視界の真ん中に、比奈が映っていた。


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