B-2
私は適当に選んだ本を手に持ち、二人の周辺をうろつく。この二人、私の存在に全く気付いていない。辺りを見回したり、必要な資料を調べようとしたり、あれこれと試みているようだが、私とは上手い具合にすれ違っていた。私はしばらくの放浪の後、二人の近くの席に座ることにした。カバンからノートなどを取り出し、勉強している様を装った。
小声であるが、やはり聞こえてしまうものだ。耳をすませると、どうしても。
どうも、あの幼い子供たちは将来の働き方についての考察をしているようだ。ガキのくせに何を生意気なことをやっていやがる。私ですらよく解っていないんだぞ。そんな状況に放り込まれているんだぞ!
二人の会話は『人間と言う存在はこの先どうなるのか』というものにまで及んでいた。周りの大人たちは仕事が無くなっているらしい、とかなんとか語りながら続けている。
「クリエイティビティっていうのが重要らしいよ」
「それってどんなの?」
「クリエイトすること、だと思う」
「クリエイトって何だ?」
「栗を八つ集めるんじゃない?」
「なるほど!」
(なるほど! じゃねーよ! それは、あれなんだよ! 創作するって意味なんだよ! 大変なことなんだぞ!)
(何を馬鹿なことを言っている!? 子供かよ、お前らは!?)
(子供だった。私も、分類としては子供か?)
ノートにあれこれと書き込みながら、聞き耳を立てていると、ノートには思ったことが言葉となって並んでしまった。こういう事になってしまうのか。何にイラついているのかよく解らなくなったが、握ったペンから「ぽきっ」という音が出てしまった。
その内に、二人の会話は今日の授業の事に移っていく。何でも、片方が今日の授業中に急遽思い付きの解答をしなければならなくなったようだ。
「先生は何で僕にだけ聞いたんだろう?」
「さあなぁ。でも、悠の答えって面白いからなあ」
「そうなの?」
「うん。先生はそれを聞きたくて当ててるような気がするけど」
「ふうん。でも、僕としては困っちゃうなぁ」
「まあ、あれで教室が明るくなったからいいよ。良いことやったんだよ!」
「あっははは、はぁ……」
(そりゃ先生が困ってたんだよ! クラスの雰囲気が重苦しかったから、打開して欲しかったんだよ! 先生、お前のこと好きなんだよ! 気づけよクソガキ!)
「それに、俺もヒントを貰えたわけだからさ。なんだかんだ言って、プリントに書き込めそうなことが集まってきたし」
「うーん。そうだね」
(何を小さく頷いているんだ!? もっと誇れよ! そういう立場ってのは大変なもんだろ!? そっちのも巻き込んでしまえよ! どうなるのかを教えてやれよ! いっそ私がやってやろうかあ!!?)
私のノートには更なる罵詈雑言や苦悩が現れており、文字を追わずとも地獄絵図が現れているようだった。小さく息切れを起こしながら「ぺきっ」という音が出てしまった。私は一体何に取りつかれているのだろうか?
私が震えている頃に、背後の二人はアニメ談議を始めていた。
「アニメのオープニングってさ、何か本編と関係あるようで、関係無くない?」
「どういう意味?」
「バトル系のアニメとか沢山テレビでやってるけど、オープニングでの戦闘って本編に無いじゃん?」
「それは、そうかも……?」
「あれってどういう世界なんだろう?」
「まあ、そう言うのは考えなくてもいいんじゃないか? どこからも文句は来てないからああいうスタイルなんじゃない?」
「まあ、ねえ」
(何の話してんだよ! 週休五日はどうなったんだよ! 気になるだろ! 答えを出して私に教えろ!)
その後も話は続き、飛んでは跳ねて軌道を失っていった。
「最初のトイ・ストーリーにハクナマタタ流れてなかった?」
「何だっけそれ?」
「ディズニーの、ピクサーだっけ? アニメ映画のトイ・ストーリーと、ライオンキング」
「あー、最近公開されていたような気がするな」
「えーと、それとは別だと思う。結構昔のやつ」
(昔なんだよ! 西暦1995年くらいだよ! お前たちが生まれてない時の話だよ! ていうか、私も生まれてないんだよ! なんでそんな映画のこと知ってんだよ!? お前は一体どんな小学生ライフを送ってきたんだあぁ!?)
私の手元から「ぷきっ」という音が多数発生している。何故だろう? 私はこんな特殊能力を備えた人間だったのだろうか? それにしても、手が疲れた。ノートにも色々と書いてしまった。
「……」
じっと、見つめる。
(これは酷い)
私のノートには普段決して口にしないような罵詈雑言が現れていた。確かに酷いものだ。
(酷いんだけど……)
私は、更にじっと見つめた。
(これは……?)
酷いながらも何やら面白い事が書かれている。私はこんなことを思っていたのだろうか? あまり頭に描いたことは無いと思うが。
「ふむうぅ??」
自分で書いた酷い言葉に傷つきながらも、凝視して読み込む。文字はぐちゃぐちゃで全体が絵の様になっているが、読もうと思えば読める。読めない部分もある。そこは絵として見させてもらおう。これは一体何を意味しているのだろう?
「♪~」
「はっ!?」
私の耳に音楽が響いた。これは「もうすぐ閉館です」というメッセージだ。それに気付くと共に、最近には稀な集中力を発揮していたことにも気づいた。慌てて帰り支度を始め、席を立ち歩き出す。ふと、足を止め、さっきの子供たち二人の居た場所を振り返ってみた。
「いない」
もう帰ってしまったようだ。私は視線を前に向け、出口に向けて歩き出した。職員さんに小さくお辞儀をして、外へと出て行く。
不思議な体験をしたものだ。あの少年たちはどうなったのだろう? 課題のようなものを終わらせることは出来たのだろうか? 何だか心の中で酷い事を叫んでしまったような気がする。あっちは知りもしないだろうが、心苦しくなってくる。
「私は、どうすればいいの?」
七月の夕方は明るい。そんな夕焼け空に向かって言葉を吐き出した。
私の家の近くにはコンビニが存在している。そこで私はアイスコーヒーとお菓子を買い、イートインスペースでくつろがせて貰っている。ついでに先程のノートをよく見ているわけだ。
「ほおー」
自分で書いたにしては面白い。もっとよく見たくなった。もっと知ってみたくなった。何かを探ってみたい。そのぐちゃぐちゃとしたごちゃごちゃのノート数ページを文字列に変換してみるのもいいかもしれない。私はコーヒーを啜り、お菓子を口に入れた。
「美味い」
こんな事だけでもいいんだろうな。何でこう、人の関係性は複雑なんだろう?
私はコーヒーのカップをゴミ箱に捨て、コンビニから歩き出した。もうすぐ自宅が目に入るほどの地点で、私の携帯電話が震え出す。取り出して画面を見る。
「うぉ」
驚きつつも通話を始めた。
「もしもし」
「もーしもーし」
「ちーちゃん?」
「うん。そう」
「どうしたの?」
「いや、何となく話したくなって」
「いいよ。何?」
「その、何か私たち最近ギクシャクしてたじゃない?」
「そうだっけ? そうだったかも」
「そう。だから、その、ごめんなさい」
「えーと……」
「あの、そっちの話も聞きたいんだ」
「話って言われても」
「いや、何かこう、そうしないといけないように思って」
「えーと、じゃあ、また明日会おう。明日も短縮授業でしょ?」
「うん」
「じゃあ、お昼でも食べようよ」
「うん。いいね」
そのまま、アハハというような笑い声を二人で交わした。もう切ろうかと思った時、私の胸にはちーちゃんに聞いておきたいことが浮かんできた。
「ねえ、私たち、最近何でぎくしゃくしてたんだっけ?」
「その……よく覚えてないんだけど私たちが交わしたくだらない話の幾つかが授業に持ち出されちゃったからじゃ無かった?」
「そうだっけ?」
「うん。最近の日本は働き方がどうのこうのっていう話から、私が何か意見を言わなければならなくなって」
「あー、そうだったかも。私、最近ぼーっとすることが多くて。忘れてた」
「じゃあ、このまま忘れてよ。週休五日なんて言葉は口が滑ってしまったことにしたい」
「あーははは」
「あはは」
「ところで、それってもしかして私から出た言葉なの?」
「そうだよ」
「じゃあ、また明日」
「うん」
電話を切り、懐にしまい、自宅の玄関に手をかけた。こんなものだったんですよ。少年、私もあんたと同じだね。またどこかで会えたらいいな。
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