第48話 美冬は止まらない

あちこちの屋台からソースの香ばしい香りや綿飴の甘い香りが空腹感を一層促進させる。

花火大会の会場である地元で一番大きな公園で俺は一人、道行くカップルを見ながら一緒に祭りを回る約束をしている澪を待っていた。

折角だから早めに来て色々な屋台を回りたいと言っていた当の本人は待ち合わせの時間から三十分も遅刻しているのだが……。


いい加減待ちくたびれたところで澪から電話が掛かってきた。



「もしもし、澪か? 今どこに居るんだ? もう三十分も……」


『もしもし、お兄ちゃん? ごめん! 私学校の友達と行く約束してたのすっかり忘れてて……』



次第に小さくなっていく澪の声からは心からの反省が感じられる。

恐らく澪は、俺が茅秋と祭りに行くもののと思っていたのだろう。そのこともあり、ぼーっとしている時に約束していたのだ。

とにかく、友達と約束していたのなら仕方がない。寧ろ、約束を忘れて行こうとしていた相手が兄である俺で良かった。



「分かった。帰りは気を付けて帰ってこいよ」


『うん……ホントにごめんなさい……』


「気にするな」



そう言って電話を切る。


さて、男子高校生が一人で祭りを回るのは可笑しな話だ。茅秋も打ち上げ花火が始まるまでに到着出来るかは怪しいところ。

帰るという選択肢が頭に過ったとき、背後から肩をつつかれる。振り向くと、そこには意外な人物が立っていた。



「こんばんは、悠さん。偶然ですね」



目の前で小さくカーテシーをして見せたのは、鮮やかな赤や青の花が描かれた白い浴衣に身を包んだ美冬ちゃんだった。

つい先日、父の方から婚約の破棄を願い出てもらったことは当然彼女も知っているはず。彼女は俺へと一方的に想いを寄せてくれているということもあり、正直なところ、もうこのまま会うことがなければとさえ思っていた。



「ぐ、偶然だな! 美冬ちゃんも花火見にきたのか?」


「そうなんです。でもつい先程、一緒に見るはずだった友人から熱で寝込んでるとの連絡がありまして、途方に暮れていたのです……」



なるほど、美冬ちゃんも俺と同じような状況か。



「しかし、棚から牡丹餅とはよく言ったものですね! こんな所で愛しの悠さんに会えたんですから!」



そう言って彼女は俺の右腕に抱き着いてきた。



「ちょっ……! 美冬ちゃん!!」



振りほどこうとするが、彼女の華奢な体つきからは想像もつかないほど力強くホールドされていたため抵抗出来ない。

困り果てた俺はせめて目を合わせ、もう曖昧な関係は終わりにしなくてはならない事を伝えようと口を開くと、



「離しませんし、離れません……」



美冬ちゃんは俺に言っているのか、あるいは自分に言い聞かせているのかは分からないが、弱々しく小さな声でそう言った。

彼女は分かっていたのだ。もうこうやって馴れ馴れしく会話やスキンシップなんて出来なくなってしまうことを。

そんな様子を見て俺は、自分のせいなのに心が痛んだ。俺なんかを好きでいてくれている年下の少女を裏切ったのだ、当然の事だろう。


何も言えず、茅秋への罪悪感に苛まれながら美冬ちゃんの方から離れるのを待っているとしばらくして彼女は顔を上げた。



「お願いです。このお祭りを一緒に回ってくれませんか……? そうして頂ければ、もう悠さんのことを諦められると思いますので……」



涙を浮かべた彼女を見て、俺は断ることが出来なかった。



「……分かった」


「本当ですか!?」



俺の言葉を聞いた美冬ちゃんは花が開くように笑顔になったが、俺は遮るように口を出す。



「ただし、守って欲しいことがある」


「……分かりました。何でも聞きます」



彼女は真剣な眼差しになる。



「まず、手を繋ぐとか恋人っぽい行動はダメ。あくまで、友達として振る舞って欲しい」


「……分かりました」



美冬ちゃんがあからさまに落ち込んだ表情で頷く。申し訳ない気持ちもあるが、今の俺は茅秋最優先。はっきり言って置かなければ。



「それと、もしかしたら後で茅秋が来るかもしれないから、茅秋から連絡が入った時点で一緒に行動するのは終わり。暗くなって危ないだろうから家の人に送ってもらってくれ」


「……はい、分かりました」


「ごめん、ありがとう」



流石に酷だったかな……。美冬ちゃんの表情が完全に曇ってしまった。



「さ、早く回らないと屋台全部見れなくなるぞ!」


「はい!」



折角楽しい祭りに来たのだ、いつまでも暗い感じでいるのは勿体無い。

俺ははぐれないように浴衣の美冬ちゃんの歩幅に合わせて歩き出した。



「何か気になる屋台とかあるか?」


「そうですね……あっ、あれは何でしょう……電球?」



彼女が指さした先にあったのはキラキラと色を変えながら光っている大きな電球が沢山並んでいた。電球ソーダというらしく電球の中には炭酸飲料が入っているのだろう、気泡が電球の光で反射して見え、かなり幻想的だ。



「喉乾いたし、あれ買うか?」


「はい!」



本来ならばここは男の俺が「買ってくるから待ってて」とでも言うべきなのだろうが、この人混みの中に美冬ちゃんを一人にする訳にもいかないので俺達は一緒に列に並んだ。

人気のもののようで、女子高生が光る電球を片手にスマホで写真を撮っている。


他愛ない話をしていると存外早く順番が回って来た。



「二つ下さい」


「あいよ! 二つで千四百円ね」



げっ……値段見ないで買ったけど意外とするんだな……


俺は何気なく二千円を出し、支払いを済ませる。

二つの電球のうち一つを美冬ちゃんに渡すと、彼女は困った表情を浮かべた。



「どうした? 人混みに酔った?」


「いえ……その、お金……良いんですか?」



……そんなことか。別に奢るくらい恋人同士じゃなくてもやるし、年上の俺が出すのは当然だろう。



「お金なんて気にしなくて良いよ。俺の暇潰しの相手をするお礼として受け取って」


「わ、分かりました。ありがとうございます……!」



ぺこりと頭を下げ、お礼を言い、嬉しそうに貰ったキラキラと光る電球に目を向ける。

ぐいぐい距離を詰めてくる割にとても律儀なところは彼女の良いところだ。



その後も打ち上げ花火の時間まで美冬ちゃんが気になった屋台を中心に回った。



美冬ちゃんが射的に夢中になっている間にスマホに目を落とす。


茅秋から連絡来ないな……。


やはり、来れないのだろうか? でも真面目な茅秋に限って連絡無しにキャンセルすることは考えにくい。きっと、一刻も早く用事を済ませようとしているから連絡する暇もないのだろう。



「やりました! 悠さん、見てください!」



ぼーっとしている俺に美冬ちゃんは射的で手に入れた景品だと思われる、手のひらサイズの猫のぬいぐるみを見せびらかしてきた。



「凄いな。俺、射的で景品取ったことなんて一度もないぞ」



褒められた美冬ちゃんは満足そうに次の屋台へと軽やかに歩き出す。


花火の時間が近付くにつれ、スマホを見る回数が増えていった俺に流石の美冬ちゃんも気になったらしく、



「茅秋さんから連絡来ないんですか?」



りんご飴を舐めるのを止め、横から時計のみが表示された俺のスマホを見てきた。



「ああ、花火まであと一時間もないのに……」



茅秋に何かあったのではないか。もしかしたら連絡をする前にどこかで事故にあっているのではないか……そんな、良くない思考が俺の頭を駆け巡る。



「……ゆ、悠さん!」



突然美冬ちゃんが大きな声で名前を呼んでくる。

恥ずかしいそうに、でもどこか遠慮がちに俯きながら、



「もし……このまま茅秋さんが来なかったら……私と花火を見てくれませんか!?」



目を潤ませて、必死に懇願する姿に俺は断ることは出来ず、



「分かった。でも茅秋が来なかったらな?」


「はい! 構いません! 一パーセントでも可能性があるのならそれを信じます!」



俺としてはその一パーセントは引き当てたくはないな……。





────────────────────


虚しくも、打ち上げ開始の五分前になっても茅秋から連絡が来ることがなかった。



「楽しみですね!」



沈んだ気持ちの俺とは対照的に、嬉々とした美冬ちゃんが公園の入り口で配っていた団扇で扇ぎながらまだ何もない真っ暗な空を見上げて話す。


ここまで来たら諦めるしかない。こんなに楽しそうな美冬ちゃんを直前で裏切るのも残酷な話だ。


俺は見続けていたスマホの画面を閉じ、ズボンの尻ポケットに入れた。




カウントダウンが始まり、会場のざわつきが加速する。

──3! 2! 1!


ヒューーー……ドーン。


真っ暗な空に美しく光の花が開いた。

次々と大きな音と共に開かれる花々に、俺を含めた会場の皆が目を奪われた。


そんな中、隣の美冬ちゃんに肩をつつかれたことに気付いた。彼女は何か話しているが花火の音にかき消され何も聞こえない。

何とか聞き取ろうと顔を近付けると、いきなり首に手を回され、ゆっくりと顔を近付けてくる美冬ちゃん。突然のことに頭が真っ白になる。すると、横でドサッと何か落とすような音が微かに聞こえた。

その音で正気に戻った俺は美冬ちゃんの肩を掴んで押し離し、その方向に目をやると、そこには茅秋が立っていた。


茅秋は抜け殻のように放心し、手から鞄が離れ、地面に落ちていた。

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