第37話 二枚のチケット
皆で海に行ってから一週間。俺はアルバイト漬けの日々を送っていた。
夏休みということもあり、昼時はいつもより沢山のお客さんが来ていた。
「宮原くん! 五番テーブルの対応お願い!」
「はい!」
お会計の対応で手が離せない三浦先輩からの指示を受け、急いで五番テーブルへ注文を取りに行く。
素早く、かつ丁寧に注文を取って厨房へ戻る。
「宮原さん! 九番のオムライスです!」
「ありがとう、梅川さん」
他校の同級生で、ここでは少し後輩の梅川雨奈さん。かなりのドジである彼女は元々ホール担当だったのだが、あまりもミスが多いため先日キッチンに配属されてしまったのだ。どういうわけか、キッチン担当になってからは一度たりともミスをしていない。寧ろ、ベテランの人より手際が良いので皆驚いている。
時間を気にする暇もなく忙しく働いたためか、あっという間に上がる時間を迎えた。
「お疲れ様でーす……」
「本当にお疲れ様。三人の今日の時給特別に上げておくね」
店長が俺、三浦先輩、梅川さんにそう言った。
ぐったりとしながら三人で礼を言う。
「宮原さん!」
帰ろうと裏口のドアノブに手を掛けたところで梅川さんに呼び止められる。
「どうかした?」
「宮原さん、明日って休みですよね?」
「うん。もしかしてシフト代わって欲しいとか?」
「いえ、これなんですけど……」
彼女が出して見せたのは二枚のあるチケットだった。
「これって……!」
「はい! 夏コンのチケットです!」
夏コン──毎年夏に開催する全日本吹奏楽コンクールのことだ。
実は梅川さんとは元吹奏楽部という共通点があり、度々お互いの好きな曲をおすすめし合っては、感想を言い合う仲になっていた。
そういえば、もうすぐ県大会が行われる時期か。チケットに記載された日程を見ると開催日は明日だった。
「観に行くの?」
「友達を誘って行こうかと後輩に貰ったんですけど、明日シフト入れてたのすっかり忘れていて……誘う前に気付いたので二枚とも宮原さんにお譲りします」
「え、二枚も? 良いの?」
「はい。勿体ないので貰って下さい!」
そう言って彼女はぐいと二枚のチケットを俺の手の中に押しよこした。
「じゃあ遠慮なくいただくよ。ありがとう」
「いえいえ! あ、プログラム表だけ買って来て貰ってもいいですか?」
「もちろん。お安い御用だよ」
「お願いしますね!」
笑顔でそう言って梅川さんはバイトの制服のまま帰ろうとする。
「梅川さん、服! 制服のままだよ!」
「え? あっ、ホントだ! ありがとうございます」
焦って戻る梅川さんを目で見送ってから帰路に就く。
最近、彼女は仕事でミスをしないため忘れかけていたがやっぱりドジだな。
────────────────────
家に帰って今日の夕飯であるコンビニの弁当を食べながらチケットのことを思い出す。
吹奏楽の大会だし、興味ない人を誘っても退屈かもしれないな。かと言って、吹奏楽好きな知り合いなどいない。
茅秋は明日暇かな……?
ふと茅秋の顔が思い浮かぶ。
そういえば最近バイト漬けで連絡すら取れていない。俺から連絡をしようと何度もスマホを手に取ったが、理由もなく電話やラインをするのは何となく憚られた。けれど今回は理由がちゃんとある。
よし、誘ってみよう!
スマホの電話帳から茅秋の電話番号をタップし、耳に当てる。
『……もしもし?』
「も、もしもし、茅秋? 今大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ。……最後に会ってから一週間くらいなのに何だか凄く久しぶりな気がするね。あ、どうかしたの?』
「明日って暇? 実は吹奏楽の大会のチケットが二枚手に入ったんだ。良かったら一緒に行きたいなーって……無理かな?」
急な誘いだから用事があって無理なのではないか、あるいは吹奏楽に興味が無いから断られるか。そんなことが頭を過り、少し臆病な訊き方になってしまう。
しかし、茅秋は、
『行く! 悠くんと会えるなら用事があっても行くよ!』
と嬉々とした声音で快諾してくれた。
茅秋があまりにも早く即答したため、思考が追い付かず、言葉が出てこなくなってしまう。
『もしもし? 聞こえてる?』
俺が返事をなかなかしないからか、茅秋が心配そうなトーンで訊いてくる。
「ご、ごめん、聞こえてる。良かったよ、詳しいことはラインで送っとく」
『うん、分かった。誘ってくれてありがとう。あと電話も。声が聞けて嬉しかった!』
「お、俺も話したかったから。……じゃあまた明日」
『ふふふ! また明日ね』
そしてツーツーという電話が切れた音が聞こえてくる。
……き、緊張したぁ!! どうしてか分からないけど!
とても長いようで短い通話だったが、凄く幸せな時間だった。
告白してからというものの、何か枷が外れたかのようにどんどん茅秋のことを好きになっている。今まで何事もなく出来ていたことも彼女を相手にすると出来なくなってしまう……。
おっと、早く食って明日着る服考えないと!
茅秋に時間と場所をラインで送り、残った弁当のご飯を口の中に押し込んだ。
好きな人と好きなものを観に行くため、前日だというのにすっかり俺ははしゃいでいた。
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