1.アズールの日常


 その少女の朝は早い。


 まだ日が昇っていない時間。


 しかし、その銀髪の少女は大きな伸びと欠伸をして寝台を降りた。


 歳は15ほどだろうか。特徴的な色の髪と立ち姿、そして蒼空の色の瞳が凛々しく美麗である。


 少女はまず、寝台の横にある皿に魔法で水を注ぎ、顔を洗う。


 次に木製の机に向かい、紙にインクを走らせる。日付が書いてあるから、日記だろうか。


 書き終えると靴下と靴を履き、シュミーズの上から濃い青のステイズを着けた。貴族の娘はコルセットを付けてスカートを膨らませるが、彼女達はそうではないようだ。


 白のポケットを腰に巻き付け、白のペティコートとステイズと同じ色のペティコートをその上から取り付ける。


 最後に肩甲骨あたりまである銀髪を頭の高い位置で一つに纏め、エプロンを付けた。


「……よし」


 日はまだ昇らない。


 窓ガラスに写った姿を確認し、少女は部屋から出ていった。


「母さん、レナ。おはよう」


「おはよう、アズール」


「おはよーございます!」


 長い廊下を通り、少女が向かった先にあったのは広い食堂。


 そこに併設されている調理場にいるのは、明るい茶髪を三つ編みにし肩に流しているおっとりした女性。幾つかのパンを籠に入れている。


 木製のテーブルを布巾で拭いている栗色の髪の少女は、銀髪の少女と同じような髪型をしている。


「アズール、今日の分はもうできてるわ。レナ、スープはできてる?」


 調理場にいた女性がアズールと呼んだ銀髪の少女に、パンを入れた籠を差し出す。パンには新鮮な野菜とチーズ、ハムなどが挟んである。


「準備できてますよ。ルーシー様、今日のパンはなんですか?」


 テーブルを全て拭き終わり、調理場に身を乗り出したレナが、カウンターに置いてあった魔法瓶を取りながら籠を覗き込む。


「クルミパンよ。はい、ティメオ達に渡す分」


「スープはコーンスープです」


「うん。行ってくる」


 魔法瓶も入った籠を受け取ったアズールは、食堂の表扉から出て、扉にかかっている札をFermerクローズからOuvrirオープンにする。


 一呼吸おいた後、薄暗い通りに駆け出した。


 と言っても、彼女の最初の目的地は食堂のすぐ横にある。


 大きな花と太陽の看板が目印の食堂の隣にあるのは、盾の前で剣と槍が交差する看板。


 早朝の冷たい空気と石畳の上を走る軽やかな音を感じながら、アズールはその建物の中へ入っていった。


「クロエ、おはよう」


「おはよぉーございますぅー」


 冒険者達が集まるその建物の名は冒険者ギルド。


 その受付嬢で、ケット・シー族であるクロエは眠そうな声でアズールに挨拶を返した。


 猫のような耳と尻尾を持ち、夜が活動時間のケット・シー族と言えども、そろそろ眠くなってくるのだろう。濃いローズの瞳がそれを表している。


「アズ、もう開いてるか?」


「みんな依頼お疲れ様。もう開いてるよ」


 夜の依頼を終えた冒険者達がアズールの周りに集まり、次々に今日の食堂のメニューを聞く。彼らの夕飯はこれからなのだ。


 アズールはもう慣れたものだと、それに答えていった。


「クロエ、また来るね」


 一通り終え、食堂へ向かう冒険者達と共にギルドから出る。


 しかし、アズールは食堂には戻らず、大きな道─北大通りを北に向かって駆けながら


「ヒュッ」


 と口笛を吹いた。


 すると、どこからかアズールの髪と同じ色の体毛のグリフォンがやってくる。


 鷲の頭と翼、獅子の身体、蛇の尾を持つグリフォンだが、その彼女と同じ色の瞳はとても柔らかい。


 通りを埋め尽くすほど大きいというのに、その翼から起こる風は魔法で制御されておりとても静かだ。


「リィア!」


 アズールがその名を呼びながらグリフォンに飛び乗る。


 主が乗ったのを確認すると、リィアは上昇した。この街─光の都ルセイアが一望できる高さまで。


 ルセイアは、パレ島という浮島の上に造られた都市である。


 北東から南西にかけてサン川が流れ、それの中洲に聳え立つシュロス宮殿を中心に、東西南北に大通りが走っている。


 サン川の水は王都中の水路を巡って、そこに住む者たちを潤す。ルセイアの別名が"水の都"なのもこうして空から見ると納得できるものである。


 ルセイアの東にあるネジュ山から陽が差し込んだ。


 高価な原料で造られた宮殿が照らされていく。


 南の国からもたらされた大理石。北の山脈から取れた金箔。東方からやってきた碧や翠の宝石たち。


 宮殿そのものも、この地方に古来から伝わる技法と様々な国の建築士達の技と知恵が集まってできた。

 そのため、豪奢で華美だが、威圧感や嫌らしさを感じない洗練されたデザインである。


 どれも、この国─ライヒ王国が交易の要であることを表すものだ。


 ようやく訪れた一日の始まりを告げる荘厳な鐘の音と共に、今度は北の空から複数の影がやってきた。


 アズールはその影達に向かって手を振る。


「ティメオー! お疲れ様」


「アズール!」


 飛竜ワイバーンに乗り、黒光りする鎧を纏った竜騎士達がアズールに気づき、近づいてきた。


 その隊長らしき男が嬉しそうに、冑を取りながらアズールに話しかける。彼は金髪碧眼の美丈夫だ。


「いつもありがとう」


 王宮では"氷雪の竜騎士"と呼ばれるティメオだが、彼女には陽だまりのような笑顔を見せる。


「私は何もしてないよ。時間がある時に母さんやレナに言って」


 そう言ってアズールは彼にパンが入った籠を渡す。


 夜の見回りが主任務の竜騎士達が王宮に帰る頃には、騎士寮の食堂は閉まっている。


 任務の後、腹が減ってしかたがないと嘆くティメオのためにルーシー達が毎日朝ごはんを作っているのだ。


 さすがに竜騎士達が通りに降りるのは大変なため、それを届けることがアズールの役目だ。


 パンに挟んである具材の下ごしらえをしたりはするが、パンを作るのはいつもルーシーだ。スープを作るのはレナである。


「ああ、また行くよ。じゃあ」


「うん。おやすみ」


 アズールは騎士一人一人に、飛竜一匹一匹に声をかけ、彼らを見送った。


 眼下の街では人々が活動を始めている。


 貴族達が住まう東区では使用人達が。


 ルセイアの入口で商業区である南区では商人達が。


 工房が集まる西区では見習いの職人達が。


 冒険者と多くの住民が住む北区ではそのほとんどの人々が。


 石畳の上に、パレ島と他の地域を結ぶ階段の上に、宮殿の塀の上に、人々が繰り出していく。


 静まり返っていた街が賑やかさを取り戻していく。


 彼女はそんな街を見るのが大好きだった。


「よし、今日も頑張ろう」


 先端が尖った耳にサイドの髪をかけながら、アズールは北区にある食堂に戻る合図をリィアに出した。









「おーい。来たぞ」


「あ、ジョシュア様、ミシェル様」


 毎日12回鳴る鐘の音が5回目の時を告げる頃、アズールが暮らす食堂─ソレイユに茶髪青目の少年少女がやってきた。


 接客をしていたレナが対応に行く。


「母さんならいつもの部屋にいるよ」


 調理場で食材の下拵えをしていたアズールも顔を出し、食堂と彼女達の生活の場を繋ぐ扉を指さした。


「わかった」


「お昼はどうする?」


 質は良いが見た目は庶民と何ら変わりのない服を着た2人は、アズールの作る料理が好きらしい。


「ここで食べて行きますわ」


「了解」


 少し緊張した様子の兄妹を見送る。


 彼らはルグラン男爵家の長男と長女なのだが、当主の父は仕事にかかりきりで商人出身の母は貴族の作法を知らない。


 そのため、元伯爵令嬢のルーシーがマナーの教師をしているのだ。


 何故ルーシーが彼らに教えているかと言うと、ルーシーはルグラン男爵家に嫁いだが子供ができなかった。しかし、当主は昔馴染みの女と浮気し子供を何人ももうけていた。


 その事にショックを受けたルーシーは離縁し、ここで趣味であった料理をして生活していたのだが。


 ある日突然、当主がここにやって来て浮気相手の子に貴族としてのマナーを教えて欲しいと言ったのだ。最初は渋っていたルーシーだが、子供に罪はないとそれを承諾。2日に一度くらいの頻度で彼らはやってくる。


 ルーシーが嫁いですぐの頃に拾われた孤児のアズールからすれば複雑だろうが、彼女は快く彼らの世話をする。ジョシュアから嫌がらせを受けていた元男爵家侍女のレナもだ。


 今日の昼はボンゴレにしようかと2人は笑顔で話していた。


「アズもレナも彼奴ら嫌いにならんのか? 結構酷いことされたんだろ?」


 食堂を訪れていた冒険者の1人が口を開く。


「んー、どうだろ。一応仲直りはしたよ」


「そうは言ってもよォ……」


「孤児の私が貴族として暮らしているのが許せなかったんじゃないかな。自分達が貴族の子なのにって」


 15歳くらいに見えるアズールの実年齢は12歳。その歳なのに達観していると周りによく言われている。


 今もアサリの選別をしながら話の受け答えをしている。表情を見ても、特に何とも思っていないようだ。


「ジョシュアがレナを虐めてたのは、ほら、好きな子には悪戯したくなるってやつ」


「それはさすがにないです」


 アズールの言葉を即座に否定するレナ。レナはルグラン男爵家の人達をあまり好きではないが、ジョシュアを特別嫌っているのではない。


 いつもレナの仕事に文句をつけるのに、たまに花や菓子をくれたりするのが気に入らないそうだ。


 ジョシュアの好意はわかりやすいのに、とアズールは苦笑しながら次の作業を進める。


「ま、お前さん達が気にしてないならいいけどさ。最近、近隣の村で人攫いが多発してるだろ。ここだけの話だが、ベルトラン派の貴族が関与してるらしい」


 ルグラン男爵家は第二王妃の生家であるベルトラン侯爵の派閥に属している。


 冒険者の話をもう少し詳しく聞きたいと思ったアズールだったが、彼はもう次の依頼をやるらしく、金を置いて出ていってしまった。


「人攫いが増えていることは知っていましたけど……」


「可愛い子が狙われるんだってね。気をつけなよ、レナ」


「私よりアズール様の方が可愛いですよ?」


 ルグラン男爵家でアズールの世話をしていたレナは未だに彼女のことを様付けで呼ぶ。


「私は対抗できるけどさ」


「そういうことですか」


 アズールの冒険者ランクはE〜Sまでの中でC。しかし、国王から直々にグリフォン使いとして認められた彼女の強さはそれにとどまらない。


「じゃあ、アズール様が守ってください」


「いいよ。あ、師匠の所行ってくるから、後よろしく」


「はーい」


 エプロンを外し、出かける準備を始めるアズール。


 彼女が持ち物を確認している途中、新たな客が食堂に入ってくる。


 調理場はレナに任せているから、接客しようと、アズールはその2人組の客を席に案内した。


「こちらへどうぞ。ご注文はどうしますか? 今日のランチはボンゴレです。他にもクルミパンとかあります」


「ああ……ボンゴレ2つで」


「はい。少々お待ちください」


 冒険者の中にはならず者とそう変わらない者も多い。アズールが案内した2人もそんな雰囲気だ。


 これは注意しないとと思いながら、その後から次々とやってくる客の相手をするアズール。


 そのため、フロアを歩き回っていた彼女の耳に─人一倍よく聞こえる耳─先程の2人の会話が入ってくるのは当然のことだった。


「……首尾はどうだ?」


「いいかんじだぜ。いくら獣人族最強のフェンリル族でも子供だし魔力が尽きかけていたからな。楽勝だったぜ」


 その言葉に、客にバレないように眉を顰めるアズール。


 フェンリル族とは狼のような耳と尻尾を持ち、ルセイアの東にあるネジュ山に住む種族である。


 彼らと周辺各国の間には、ネジュ山不可侵という協定が結ばれており、彼らはそこから出てくることはほとんどない。


 それゆえ、ルセイアの民であってもフェンリル族は御伽の存在だった。


 それを、あの2人組は捕まえたというのだろうか。


 もちろん、バレたら大罪である。


「いやーしかし、ネジュ山の入口がそのまま迷宮ダンジョンの入口だとは思わなかったぜ。報酬上乗せしてほしいわ」


「よく無事だったな……」


 地脈の濃い場所に唐突に現れる迷宮ダンジョン。その中には魔物がひしめいており、そのボスの強さは異常ともいえる。冒険者同士がパーティーを組んだり、騎士団が探索団を編成して突入するくらいだ。


 彼はそんな危険を冒してまでフェンリル族を攫いに行ったということだ。


「ボス部屋の奥に小部屋があってよ。そこにいた子供を連れてきたんだ。攻略しちまったらバレっからな」


「気配遮断魔法の得意なお前が真正面から戦うなんて思っていさ」


 その辺の会話まで聞いたところで、アズールはそろそろ時間がやばいと接客を中断する。


 レナに2人組に注意しろと伝え、荷物を持ってアズールは食堂から出かけて行った。


「あの銀髪……いいな。数年後が楽しみだ」


「オレは今でもいいぜ? 攫うか?」


「貴様の性癖などどうでもいいが、攫う価値はありそうだ」


 2人組の下賎な会話ももちろん聞こえていたため、物凄く嫌そうな顔をしながらだったが。










 シュロス宮殿は一階部分が東西南北の大通りの交差点になっているため、庶民でも通ることが出来る。


 さらに、貴族、商人、職人、庶民が交わるところでもあるため、情報が常に行き交う所でもある。


 南区に住んでいる"師匠"の元へ行くためにそこを通るアズールも、情報収集は欠かさない。


 流行りの服、料理、踊り、他国の情報も入ってくる。


 ただの通行人のようにそこを通り過ぎていくように見えるが、その耳は多くのことを拾っていく。


 その中でもアズールは人攫いの情報がないかと耳を研ぎ澄ませるが、有力な情報は入ってこない。


 さてどうしたものかと考えている彼女に


「アズール! ダニエルのとこか?」


「ジーク」


 貴族の住む東区へと続く道の方から3人の少年が手を振りながらやってきた。


 淡い金髪にグリニッシュブルーの瞳の少年はジーク。特筆することの無い金髪碧眼の少年はエドガー(しかし、3人の中で1番背が高い)。白髪赤目のアルビノはアレン。


 彼らはアズールと同い年の友人である。


「そうよ」


「アズール、人攫いの噂が絶えないから気をつけて」


 身体は大きいのに小心者のエドガーは、アズールが強いと知っていてなお、彼女の心配をする。


 相変わらずだと苦笑しながら、アズールは同じくらいの身長のエドガーの頭を撫でる。彼女もかなり背が高い。


「大丈夫」


「で、でも……」


「実は……」


 アズールは3人に顔を近づけ、声のトーンを落とした。3人は驚きながらもそれに合わせる。


「人攫いの実行犯らしき2人組がソレイユにいた。レナに注意してるよう言ってあるけど、気になるから見ていてくれない? ジョシュア達のレッスンが終わるまでまだ時間があるの」


「……わかった」


 この中で1番しっかりしているアレンが頷く。エドガーとジークの顔には疑問がありありと浮かんでいるが、アレンがいるなら大丈夫だろうとアズールは判断した。


「それじゃあよろしく」


「ああ」


 あまり有力な情報を得られなかったが、レナのことを彼らに任せることができたのはよかったとアズールは思う。


 レナは決して戦闘能力が低いわけではないのだが、何せ危機感がなさすぎる。ならず者に襲われかけたことも二度や三度ではないのだ。




 帰ったらレナと話そうと思いつつ、アズールは目的の場所まで辿り着いた。


 南区からルセイアにやってきた人々が最初に目に入る場所にあるカフェ─プルミエ。


 この地方の古い言葉で"最初"を意味するそのカフェ兼バーのマスターが、アズールの"師匠"である。


「師匠。持ってきました」


 木と暖かい色の照明が優しい店内に佇んでいた40代後半の男性。灰色の髪をオールバックにしていて、その瞳は開けているのか閉じているのかわからないほど細い。


「そうか」


 その男性はアズールが持ってきた籠の中身を確認し、彼女に目線で礼を伝える。


 いつもならば、こうしたらアズールは店に戻るのだが、今日の彼女には男性に聞かねばならぬことがあった。


「ダニエル師匠。人攫いのことについて、何か詳しい情報を掴んでいたら教えて欲しいのですが」


 アズールは声の届く範囲に人がいないことを確認し、師匠─ダニエルに聞いた。


 大通りの交差点と同じく、ここでも様々な情報が入り交じる。特に、夜の店での情報は貴重なものだ。


「……奥に来なさい」


「はい」


 ダニエルは店員の1人にこの場の仕切りを任せると、アズールを連れて店の奥へ向かった。


 案内されたのは、アズールが昔世話になった部屋だった。小さな窓が1つついているだけの閉鎖的な空間だが、壁紙や置いてある家具のおかげで暗い雰囲気ではない。


 懐かしさを感じていると、ダニエルに早く座るよう促される。アズールは固めのソファーに座った。


「……初めに聞こう。お前、この"件"に本気で関わるつもりか?」


 テーブルを挟んで向かい側に座るダニエルの言葉に、アズールが怪訝そうな顔をする。


 言葉以上に、ダニエルの発する威圧感が凄まじい。


「何が起こってるんです……?」


「私の質問に答えろ」


 アズールは深くこの事件に関与するつもりはなかった。ただ、食堂に来た人が人攫いなら、母やレナを守るために情報が必要だと思ったのだ。いざと言う時に証拠を突きつけて騎士団に渡すために。


 しかし、ダニエルの言葉は、頻発している人攫い事件に何らかの深い意味があることを示す。


 それも、わざわざ子供のアズールの手を借りることを計算しているくらいの。


「母さんやレナを守るためです。解決のため全力を尽くします」


 ダニエルの細い目を見つめる。


 彼はフッと軽く笑った。


「ありがとう。では、これから話すことは内密に」


 そう言ってダニエルが懐から取り出したのはギルドカード。ダニエルはAランク冒険者のため、紫色の入った透明のカードである。


 そのカード1つあれば、わざわざ冒険者ギルドに行かなくても依頼の受注などができるようになっている。


 夢で見る世界の"スマホ"みたいだな、と思いながらアズールもポケットから緑のカードを取り出す。ちなみに彼女はCランクだ。


 ダニエルは依頼の発注受注を確認した後、眉間の皺を増やして話し始めた。


「実を言うと、私も大したことは知らん。しかし、フェンリル族の子供が攫われたことは知っている」


「それは私も食堂で聞きました。実行犯らしき男が来ていたもので」


「そうか……アズール、フェンリル族の容姿は知っているか?」


 もちろんだ、とアズールは頷く。フェンリル族の話は童話にしか出てこないが、そこのフェンリル族は誰もが灰色の髪にアイスブルーの瞳で描かれている。


「私の使い魔の報告では、攫われたフェンリル族は、紺碧の髪に白銀の瞳を持っていたそうだ」


 ダニエルの言葉にアズールが首を傾げる。今は血が交じっているので一概には言えないが、髪と瞳の色、身体的特徴は種族ごとに違う。


 例えば、東の端に住むオニ族はみな黒に近い色の髪と瞳を持っていて、頭には角が生えているそう(アズールは実際に見たことは無い)。


 ネジュ山から1歩も出ないフェンリル族では、他の種族の血が入った可能性は低い。


「突然変異種、ですか」


「いや、違う」


 アズールが考え至ったことをダニエルは即座に否定した。


 アズール自身が先祖返りという名の突然変異種であるので、自分と同じ境遇なのかと考えるのは当然なのかもしれない。しかし、ダニエルはそのような考えでは甘いと、黙ってアズールの回答を待つ。


「神の子、ですか」


 不可侵領域であるネジュ山に入れるのはフェンリル族と"神"のみ。神ならば、フェンリル族と子を成すこともできる。


 さらに、神は血縁関係と見た目があまり関係ないらしい。実際に見たことがあるわけではないので、伝え聞くことばかりだが。


 アズールは記憶を辿り、紺碧と髪と白銀の瞳を持つ神を探す。しかし、そのような外見に当てはまる神は彼女が知る限りではいなかった。


「私も神の子だろうと考える。しかし、その神が誰なのかわからない」


「私もです」


「神の子であろうがなかろうが、人攫いは犯罪だ。アズール、頼めるか?」


 ダニエルの瞼がうっすらと開き、氷のような瞳がアズールを見つめる。


「もちろんです」


 6年前、ルセイアを震撼させた事件をほぼ1人で解決し、国内屈指の戦闘力を誇る少女─王の隠密シュエットの一員、アズールは静かに微笑んだ。



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