第11話 最後の数日間


9時24分。

あの時と同じバスに乗り最後尾から2番目の窓際の席に座る。

バスは走り出し振動が体に伝わる。

向かう場所は決まっていた。

あの場所にきっと、彼女はいる。

根拠はなく全て直観だった。

結局僕は、昔も今も変わらない気持ちなんだ。

もう一度、あの頃のように話せたらそれだけで十分だと思った。

錆びついたポールと割れた青いベンチが置いてあるバス停に降り、畑を挟んだ砂利道を歩いていく。

あの時の雪原とは違い乾燥した土道で足取りは軽く、小走りで目的地を目指した。

やがて林の中に入り木漏れ日が周囲を照らしてくれた。

ユリカが出ていった日。

ずっと考えていた。

なぜ彼女は突然いなくなってしまったのか。

今なら分かる。

彼女は僕を守ろうとしたんだ。

ユリカの言葉がトリガーになり僕の記憶が蘇りそうになった時。

僕はあまりの痛みに部屋をのたうち回り狂人と化していた。

当然ユリカは僕の記憶が無くなっていたことなんて知らない。

でも、その時察してしまったのかもしれない。

そして苦しめている原因が自分だと思った時、優しい彼女が僕の為にいなくなってしまうのは必然だ。

僕の事を気遣ってくれた嬉しさと、同時に余計なお世話だと思った。

どんな痛みを伴うとしても、僕は君の事を思い出したかった。

それに彼女が死んでもなお僕に会いに来てくれたのなら尚更そう思う。

思いを巡らせているうちに目的の場所が見えてくる。

やがて林を抜け開けた場所に出る。

隙間を縫うようにして流れてくる川と沿いは石で埋め尽くされていた。

周囲を見渡すと人影が一つあった。

一際大きな石の上に座り込み、川のほとりを静かに見つめる少女。

僕は静かに近づいていった。

少女は僕の様子に気が付くこともなく、隣のスペースに黙って座った瞬間信じられないものを見ているかのように唖然としていた。


「・・・何でここにいるんですか?」


「それはこっちのセリフだよ。奇遇だね」


僕は冗談笑いをする。

でもユリカは怪訝な様子で僕から目を離し俯いた。


「私には近づかないほうがいいです。スミレ君の為にも」


「記憶なら取り戻したよ」


ユリカの声に被せるように言った。

彼女は面食らっていた。


「そんな・・・大丈夫ですか!?どこか苦しくないですか!?」


「大丈夫。どこも痛くないよ。だからこうして、君に会いに来たんだ」


ユリカの頭を撫で、そして両手で彼女の華奢な体躯を胸に抱き寄せた。

柔らかな髪が僕の頬をくすぐり甘い香りが包み込んでくれた。


「今まで忘れていてごめん。ずっとこうしていたかったはずなのに、せっかく会いに来てくれたのに・・・」


「いいんです、最後に私はあなたの姿が見られたらそれでよかったんです。だから今抱きしめてもらえるなんて、幸せすぎます」


「最後にって・・・これから一緒にいられるじゃないか」


「私はもうすぐ、この世界からいなくなるんです」


ユリカは僕の胸に顔をうずめる。

背中に回された腕の力が少し強くなる。


「多分もう1週間もしない内にいなくなる、だから会いに来たんです。それがどんな結果になろうともう一度スミレ君に会えたら、私はそれでよかった」


「1週間・・・そんな、短すぎる」


「私はもう死んでますから、十分すぎるくらいですよ。それに、スミレ君が何故か私の姿を見ることができて、こうして話すことができる。そうですスミレ君。私幽霊なんですから、ほんとは見えたらいけないものなんですよ。この状況自体ラッキーなんです」


彼女はおかしそうにくすくす笑う。

まさに彼女の言う通り、本当は見えたらいけない人が今目の前で笑っているのだ。

でもそんなことどうでもよかった。

ただ彼女と一緒に居られたら、僕はそれだけでよかったのだ。


「死んだのは君のせいじゃない。でも、たとえ幽霊でもいい。この世界のありふれた幸せを掴めなくてもいい。ただ、君の隣に居させてほしい。どこにも、行かないでくれ・・・」


離れたくないと言わんばかりに彼女を強く抱きしめた。

彼女だって好きで死んで彷徨っていなくなるわけではない。

でも僕はこんなわがままを言ってしまう。

それは願いのようなものだった。

こんなどうしようもない世界で1つでも奇跡が起こるなら、僕はなんだってする。

だからお願いだ・・・。


「スミレ君。痛い、痛いです」


僕の背中をポンポンと叩く。

慌てて我に返り腕の力を緩め、少しばかり距離を取る。

彼女と目が合い、困ったように笑っていた。

背伸びをして僕の頭をよしよしと撫でてくれた。


「そんな無理なお願いは聞けません。悪い子ですね」


悪戯に笑いかけ僕をなだめてくれた。

まったく、どっちが子供か分からないな。


「私も同じ思いだよ。君だけじゃない。できることならずっとスミレ君と一緒にいたい。でも、それはもう叶わない。だから・・・」


彼女は小指を立てた片手を僕の胸の前に突き出す。

照れた様子で彼女は続ける。


「私がいなくなるまで、ずっとそばにいてください。そして私がいなくなっても、決して忘れないで下さい。約束、お願いします」


僕は彼女と小指を交わす。


「約束する」


誓いを立て心に強く刻み込む。

フック上に曲げた指を優しく絡め、ユリカを見ると彼女も僕を見つめていた。

その時間だけで僕は満たされた気持ちになった。

人生で今この瞬間が幸せだと、心から思った。

そうして最後の数日間を迎える。

僕とユリカはボロアパートの6畳1間のワンルームに帰り、ユリカが出ていく以前と同様、こたつの部屋で過ごしていた。


「そういえば、何でユリカはいつも敬語で話すんだ?前は普通に話していた気がするんだけど」


「今のあなたは大学生。私は中学生のままです。なんだか変に緊張して敬語を使ってしまうんです」


「別に緊張しなくても、砕けた言葉でいいんだよ?」


「もう敬語が馴染んじゃいましたから、このままで大丈夫です。中学生みたいな人でしたら敬語も使わないんですけどね」


そのまま午前は部屋で過ごし、昼間は散歩に出かけ夜になるとまたユリカが料理を作ってくれてゆったりとした時間が静かに流れていった。

2日目の朝。

僕は何か引っかかりを感じ考える。

このままいつも通りの日常を静かに過ごすのも悪くはない。

でも、何か特別なことをしたいと思った。

このまま別れの日を迎えるのは物悲しいと感じたからだ。

カレンダーに目を配る。

今日は12月24日。

もうすぐクリスマスか。

何かイベントの一つでもありそうなものだけど。


「スミレ君、なんだかチラシがいっぱい来てますよ」


ユリカは用紙の小山を持ち机の上に置いてくれる。

例のクリスマスに備えて近所のお店のバーゲンセールやキャンペーンイベントのチラシで溢れていた。

その中でも一際目を引くチラシがあった。

それは12月25日クリスマスに行われる冬の花火大会だった。

<冬の空に咲き誇る大輪の花々>と題された表紙。

写真には色とりどりの打ち上げ花火が大量に夜空を照らしていた。

冬に花火なんてオツなことをするなぁ。


「ユリカ、これ行ってみないか?」


ユリカはチラシを見て呆然としていた。


「この川って、私達が小学校の頃集まっていたあの川ですよ」


僕たちが集まっていた川といえば一つしかない。

場所の記載を見ると確かに付近の住所だった。


「花火大会なんてやってたか?」


「地元のイベントで毎年やっていましたよ。私は窓からしか見たことないんですけど、その日は普段と違っていろんな所から人が押しかけてくるらしいです」


「そうなのか、全然知らなかったな・・・」


変わらず当時もインドア派だった僕は花火大会の存在など知るわけもなかった。


「それで、行くかい?思い出の回想も兼ねていいかもしれないぞ」


「そうですね。行ってみましょうか、私達の関係が始まった場所でもありますからね」


僕たちが出会い、そして別れを前にして導かれるようにまた訪れようとしている。

不思議な巡り合わせだ。

同じ部屋で寄り添いながらゆったりとした時間が流れ、いつしか僕たちは眠っていた。

静寂の中。

街は寝静まり、外灯と夜空の光だけが世界を照らす。

台所のキッチン水栓吐水部から水が一滴落ちる。

シンクのステンレス板はパンッという音は静かな一室に響き渡る。

数秒してまた一滴、一滴と落ちる。

音が鳴るたび僕の意識は静かに戻される。

深海に沈められ漂っていた僕の体は浮力で押し上げられいずれ海面へと顔を出していくように。

完全には起きていないが寝ている体勢が居心地悪く感じ、寝返りの一つでもうとうかと思った。

左に行こうと思えば机の脚に当たり行き止まりだった。

どうやらこたつの中で眠っているようだった。

だらしのない転寝。

いつものことだが。

右に動こうとしてリベンジする。

が、これもまた何かにつっかえた。

机の脚ではない、何か柔らかいもの。

のけようとつまもうとするが今度はさらさらで艶のある触感を手のひらが感じた。

触り心地がよくもっと味わいたくなって手のひらになじませるように触った。

なんだか鼻孔をくぐってくるような甘い香りもする。

これってまるで・・・。

いや待てよ。

僕ははっとしたように目を開ける。

寝ている横には僕の胸元で気持ちよさそうに寝ているユリカの姿があった。

眼下にある彼女の顔をまじまじと見る。

長いまつげは大人っぽさがあり色気を感じ、小さな鼻とキュッとした深紅の唇はかわいらしく子供の名残を残していた。

思わず見惚れて朝までずっと見つめていたくなる。

そう思った直後、彼女は僕の胸元に顔を埋めるように抱き着いてきた。

ドキッとして頭が沸騰状態になる。

何が始まったのかと僕の体は硬直する。


「・・・寂しいよ」


彼女は微かな声でそう呟いた。

胸の中で眠る彼女が儚げで、今にも消えてしまいそうな程弱弱しかった。

一体彼女はここに来るまでどれだけの苦悩や傷心があったのだろう。

僕なんかには到底理解できないが、何度も絶望の淵に落とされたのだろう。

ただ、何もしてあげられない自分が悔しかった。

ユリカの頭をそっと撫でる。

ゆっくりと、丁寧に指先を毛先に通し艶感を手に染み込ませるようにといた。

愛しい。

このまま会えなくなるなんて、虚しすぎる。

行き場のない心が募りもう胸が張り裂けそうだった。

彼女のことが、好きで好きでどうしようもない。

僕は彼女を抱き寄せる。


「好きだよ、ユリカ」


彼女のほのかな体温を感じながら眠りに落ちた。

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