第10話 忘れないで


車窓からは同じような形のビルが立ち並んでいた。

表面のアイボリー色の壁は冷たい感じがした。

駅を通り過ぎていく度冷たい都会からは離れていき山や畑といった田舎の風景へと変わっていく。

私とナルミは電車に乗っていた。

無賃乗車だが怒る人は誰もいない。

もう1時間半は乗っているが中々目的地につかない。


「もう少しだから!多分!」


さっきも聞いた気がする。

私は少し目を閉じた。

しばらくして肩を揺さぶられ、私は目を覚ました。


「ユリカ!次の駅だよ!」


「・・・ぅん」


頭がボーとする。

いつの間にか眠ってしまっていた。

辺りを見渡すと乗客は私達だけしかおらず、外はもうオレンジ色の夕日が照らしていた。

電車に乗ったのがお昼前ぐらいだったから。

もう5時間近くは乗っているのかな。

電車はやかましい金属音を立てながら停車し、両開きのドアが開く。

ナルミは私の手をつかみ外へと引っ張った。

明るく笑い、久しぶりに家族に会えることが楽しみで仕方がなかったらしい。


「待っててね!みんな!」


彼女ははしゃいで駅の外へ飛び出していった。

明るい髪をなびかせ風を切って走る彼女の背中を追いかけた。

後から思えば、会わなかった方がよかったのかもしれない。

夜19時。

私とナルミはある飲食店の入り口前に立っていた。

赤い垂れ幕が張ってありその中に木引き戸が設置されていた。

電球色のアップライトが複数設置され和風庭園のアプローチを照らしていた。

ここでナルミが通っていた高校の同窓会が行われるらしい。

中に入り見覚えのある人をナルミが見かけ追いかけていった。

隅っこの余った席に座り段々と人数が揃い乾杯が行われた。

席を見渡しナルミの顔は明るくなっていく。

懐かしい顔ぶれがたくさんあり、それと同時に当時の思い出を思い出したのだろう。

会話に入れないのをもどかしそうにしていた。

ナルミの話題も出てきて、それぞれが悲壮感や口惜しい思いを漂わせていた。

ポツポツと思い出話をし、彼女との思い出を振り返っていた。

どんな人だったか、こんなことをした、あんなことがあったなぁと。

部屋は重苦しい空気になり行き場のない思いで溢れ、場の雰囲気は静まり返っていた。

まるでお通夜のように。

同窓会にはとても見えなかった。

ナルミも複雑そうな、思い詰めたような表情をしていた。

話題に上ったときは少し嬉しそうにしていたが今はもう損失感で満たされていた。

少しして話題は変わり、同窓会のテンションは徐々に上がっていった。

卒業、就職、結婚。

新生活を控えた彼らは未来への期待で溢れていた。

野心溢れるもの。

ありきたりな幸せを望むもの。

既に人生に絶望しでも諦めないと這い上がろうとするもの。

それぞれが強く、勇ましい若者をやっていた。

彼らを見ていると私の人生とどうしても重ねてしまい虚しい思いをしてしまう。

私もあんな未来があったのかもしれない。

どこで道を間違えたのかな、と。

目の前の彼らは輝かしく、永遠に手に入らないものを持った遠い存在だと思った。

横のナルミを思わず見てしまう。

彼女の表情を見て察してしまう。

彼らの未来を祝福しているような、妬んでいるような、自分を卑下しているような。

おそらく私と同じ気持ちを抱いているんだと思う。

いや、それ以上か。

自分には叶えることができなかった様々な可能性が、彼らにはある。

間違いなく傷ついただろう。

友達として幸せを願わなくてはいけないのに、妬みの心を捨てきれない。

ここまでもどかしく悲しいことがあるだろうか。

彼らの笑顔は彼女にとって心を蝕む牙みたいなものだろう。

ナルミに帰る?と助け船を出したつもりだったが彼女は拒み、最後まで彼らの同窓会に立ち会った。

飲食店から出る。

ナルミは一人の男性をずっと見つめていた。

その男性は女性と手を繋ぎ、そのまま夜の街に消えていった。


「あの人、生きてる前は私の彼氏だったんだ。高校を卒業してからは私が大学に行って彼は地元で就職。それからは遠距離恋愛。私が死んでからどうなったのかなって思ったんだけど・・・」


あの様子を見ると今日の同窓会で新しい出会いがあったのだろう。

ナルミの話題になった時悔しそうにしていた割に切り替えが早すぎる。

本人が見ているのも知らず、未だに思いを寄せているナルミにとって残酷な光景だ。


「さようなら・・・」


ナルミは涙を拭い、彼が行った道とは反対の方向へと歩いた。

私は何も言えなかった。

下手に励ますと逆効果になるし、私が分かったような口で言っても彼女の感情を逆なでするだけだと思ったからだ。

そんなことを考えてしまう私を、本当に情けないと思う。


「次は実家にいくね」


重い足取りで私達は歩を進めていった。

やがてアルミサイディングで覆われた2階建ての家の前で立ち止まる。

青色のスレート瓦が特徴的だった。

ここがナルミの実家らしい。

家族は父、母、妹の3人がいて妹は高校受験の勉強に励み両親は傍らでサポートしていた。

妹はずっと部屋に引きこもって夜通し勉強をし、時折思い出したように青い蝶々が装飾してあるネックレスを手に取り眺めていた。

そのネックレスを胸に当ていつしか泣き崩れた。

話を聞くと、生前ナルミが肌身離さず着けていたネックレスらしい。

死後、妹が預かってくれたのだろう。

妹にとっては他ならない姉の形見だった。

ナルミは首に手を当て、彼女の頬にも涙が伝っていた。


「ごめん・・・ごめんね」


彼女は妹を背中から抱きしめた。

しばらくして妹はそのまま泣き疲れたように机の上で眠ってしまった。

ベッドに置いてあった毛布を妹の肩にかけ、ナルミは妹のおでこにキスをした。


「死んでも愛してるからね」


そうして部屋を後にした。

父は書斎で仕事に励み、母は仏壇に置かれたナルミの写真を眺めていた。

父親の方は仕事が忙しそうで直向きにパソコンと向き合いキーボードを叩いていた。

母親はただ無表情で固まっていた。

何をするでもなく、その場から動く事は無かった。

ナルミは泣きながら謝り続けていた。

私はただ黙って彼女の背中をさすってあげた。

最後にナルミの部屋に行き3冊ほどの日記帳とノートパソコンを持って実家を後にした。

出た後もナルミは泣いていた。

私はただ側にいること。

それだけしかできなかった。

私たちは歩いた。

どこまでも歩いた。

何を話さず。

ただ無言で、夜道を歩いた。

やがて竹林に入り、風が強くなった。

木と葉の間から月の光が漏れ道を照らしてくれる。

どれだけ歩いたのか分からないが、私達は断崖絶壁の崖についた。

海に面しており波が激しく波打っている。

ナルミがようやくこちらを振り返る。

その顔は屈託のない笑顔だったが目の周りに泣いた痕が刻まれていた。


「ここは私の秘密の場所なんだ。嫌なことがあった日にはここにきて叫んでたよ。ユリカにもそんな場所があったりするのかな?」


私は心底驚いた。

いろんな人に悔やまれるくらい輝かしい人生を送っていた人が私と同じように自分だけの居場所を作って行き場のない心をぶつけていたなんて。


「あったよ。私にも秘密の場所が」


「そう。やっぱり私達って似てるよね!性格とかじゃなくて、そういう安静な場所を求める感じが!」


「・・・私も、そういう所は少し似てるなと思った」


「そうだよね!やっぱゴーフレだね!」


出会ったときは真逆の存在だと思った。

生前彼女は光の世界で生きていて私は闇の中で溺れていた。

それは事実だ。

でも所属や背景ではなく自らの弱さを隠し辛い思いを押し殺し生きていく、自己犠牲のような生き方。

なんとなく似ているなと確信はないがそう感じた。


「私、本当は弱いんだ。子供のころからそう。一人では何もできなくて、怖くて。だから周りを固めることに専念したんだ。周囲に誰かを置くことで自分という存在を隠しながら生きる。しょっちゅう思ったよ。これは本当に自分なのか?他人に沿って生きているだけで本当の自分はどこにいるのかって」


彼女は空を見上げる。

風が吹き彼女の明るい髪をなびかせる。


「でも死んで一人になってわかったよ。私は嫉妬と妬みで溢れた嫌な奴だって。私がいなくなって寂しがっているようでみんな変わらず生きているし、少し時間が経てばもう私のことなんて忘れてるよ」


「そんなことないよ。さっきご家族を見た時本当に辛そうにしていたじゃない。きっとこれからだって・・・」


「やめてよ。そんな気休め」


ナルミは私の言葉を静かに制した。

両手を握り、肩を震わせていた。


「みんな私の死を引きずってそのまま不幸になってしまえばいいって思っちゃう。私と同じように死んでほしいって思ってしまう。幸せになんてならないでって!私を退けて幸せになるなって!私の事を永遠に忘れないでって!そんな自分勝手なことを、思っちゃうのよ!」


彼女は顔をしわくちゃにし悲憤な表情でこちらを見る。

その後はっと正気を取り戻して邪念を封じ込めるように体を丸くする。

少ししてこちらに向き直る。


「ごめん。八つ当たりして。そう、こんな感じで嫌なやつなのよ。私は」


何も返すことができない。

委縮してしまい体を動かすことすらできなかった。


「本当に、こんな私の為にここまで付き合わせてしまって本当にごめんね。ユリカには感謝してる。でももう、限界なんだ」


彼女は崖側に歩いていく。

嫌な予感が頭をよぎる。


「ここから飛んだら死ねるのかなぁ。あ、もう死んでるのか。でももう、この世界から本当にいなくなりたい。次目覚めたときは、別の世界に行きたいな」


飛び降りようとしている!

私は彼女の手をつかもうとするがわずかに遅かった。


「ありがとう。ゴーストフレンド。また会えたらよろしくね」


そうして彼女は崖下の中に消えていった。

私は膝から崩れ落ちる。

下を覗くと岩場に波が打ちそこに死体らしきものはなかった。

幽霊が自殺するとどうなるのか。

四十九日間彷徨えなかったら。

その答えが分かるのはナルミだけだった。


太陽がわずかに姿を現し空は薄い青色で覆われた。

冷たい冬風が吹き駅のホームは凍えるほど寒かった。

始発電車がしばらくして到着し、温まった車内に逃げるように転がり込む。

モケットに覆われた椅子に座り昨夜の出来事を思い出す。

ナルミは自分の価値を知ってしまったのだろう。

自分という損失で世界にどれだけの影響を与えるのか。

結果、変化しているようで何も変わっていなかった。

ナルミは知人と会いに行く前どんな想像をしていたのかは分からないが、様子を見る限り彼女のご期待には沿えなかったらしい。

彼らはナルミの死を悲しんでいるように見える面もあったが新しい幸せを見つけ出し、掴みかけていた。

ナルミにはもう叶えることのできない幸せを。

それらを見せつけられ、彼女は耐えられなくなったのだろう。

人が自ら命を絶つ理由は様々だが彼女は自分の身を守るために作り出した多くの人間関係が自分の首を絞めていった。

人が世界に絶望するには充分すぎた。

私がこの世界に居られるのはあと1か月といったところだろうか。

ようやく見つけたと思ったこの世界で唯一認知してもらえる相手を失った損失は大きかった。

私一人で、このどうしようもない世界を傍観しなくてはならない。

とてもつまらないと思った。

でも私は、彼女の死を悲しむつもりは一切なかった。

これからどうしようか。

適当な電車に乗り込み、車窓から外の景色を眺めながら考える。

走っている鉄橋の下を通っている川。

河川敷に堤防に敷かれた草むらと天端の舗装された道路。

その景色から記憶が呼び起こされる。


「ここ、どこかで見たことあるような・・・」


それもそのはず。

ここは私の生まれ育った故郷なのだから。

かなり紆余曲折したが帰って来れた事に安堵する。

私は電車を降り、駅に立った時懐かしいような感覚に陥った。

毎日通っていたはずなのに、おかしいな。

駅から30分程歩き名前も知らない川に辿り着いた。

それは私の数年前の記憶、初恋の相手と初めて話した場所だった。

今日は青空に少し雲がかり太陽はわずかな光しか地に降り注がない。

晴れでも曇りでもない中途半端な天気。

一見してつまらない景色と思われ、道行く人は目もくれないだろう。

でもそれが夕方になった時。

太陽が沈みかけ辺りが暗くなっていく時。

それは魔法がかかったように神秘的な景色に変貌する。

雲の切れ間や橋から光が漏れ、太陽の光は光の線となり放射状に大地へ降り注ぐ。

その光が川やヨシの穂に反射し輝きに満ちた世界を作り出す。

2人でベンチに座って見つめる毎日が好きだった。

私と彼だけの秘密の場所。

もう二度と叶わないんだろうな。

そう思うと、心が締め付けられるような感覚がした。

心臓を握られているように呼吸が上手くできず息苦しかった。

彼への愛しい思いで溢れ、私は立っていられなくなりその場に座り込んだ。

あの時に戻りたい。

また二人でこの場所で過ごしたい。

彼に、会いたい。

それから私は決意した。

彼に会いに行こう。

ナルミの様に傷つくだけかもしれない。

彼には私が見えないし、干渉することは叶わない。

それでも、純粋に会いたいと思った。

例えコンタクトが取れなくても。

この世界の最後の瞬間に。

彼と会えたら。

見ることができたら。

あの時の気持ちを感じることができたら。

それだけで十分幸せだと思った。


私は彼の実家を知っていた。

昔行ったストーキング行為の成果だ。

寄棟屋根の平瓦で凹凸のある白い外壁は小さなお城の外観を連想させた。

玄関ドアのプッシュプルハンドルを押すと扉は開き、呆気なく中に入ることができた。

彼の部屋を探し、場所はすぐにわかった。

2階個室の開き戸にそれぞれネームが掛けてあり、スミレと書かれてある扉があった。

施錠はされておらず、中に入る。

部屋の中は閑散としていた。

極端に物が少なく生活している痕が一切なく、唯一学習机の上に大学のパンフレットや不動産の手続きをした控えといった個人情報のもろもろが置いてあるくらいだった。


「大学・・・考えるの早いな」


中学生で大学を調べているのは将来に真剣で尊敬できると思ったが、そこに通う為の賃貸アパートの手続きを進めるのはさすがに準備が早すぎるのではとさすがに怪しく思った。

他にも置かれた書類に目を通し、私は状況を察した。


「彼はもう、大学生なの・・・」


とても信じられなかった。

書類の西暦を確認すると、私が死んでからもう6年間も経っている計算になる。

その間私は誘拐されていたのだろうか。

覚えている記憶と照らし合わせても、その期間は腑に落ちなかった。

これは後から考えた私なり考察だが、私が誘拐され殺された時。

その直後は世間では行方不明として処理され、それから6年後に私は遺体となって発見される。

行方不明は死へと切り替わり、人々に知られることで49日間のカウントダウンが始まる。

なんの理屈もないが、そういうことではないかと私は思う。

制服姿の中学生のままなのは単純に殺された時が中学生の時で、それから私の時間が止まっているからなのか。

永遠の中学生なのだろう。

彼の個人情報の記された書類を持ち出し、そこに記載されたアパートを目指した。

駅に着いたはいいがどこの駅に行けばいいのかわからなかった。

土地勘が全くないため住所を言われてもピンとこなかった。

その時甲高く耳障りな声が聞こえてきた。

金髪に黒い肌。

いたるところにキラキラした装飾品を身に着け、短いスカートを穿き大股で駅を歩くギャルがいた。

大声で電話して周りの迷惑を顧みるようすもなかった。

自分が世界の中心とでも思っているのだろうか。


「あ、そうかスマホ」


私はその女からスマホを奪い取り通話をオフにした。

アプリ内を見る。

SNSや写真加工アプリをのけ地図アプリを見つけ出す。

これを使えば。

私は携帯の持ち主を見る。

仏頂面で改札口の方へ向かっていきそのまま姿を消していった。

私の行った行為はなかったことにされる。

家に帰ったとき彼女は携帯をなくしたと騒ぎだすんだろう。

少しすっきりした私は携帯で住所を検索してそれに従い電車に乗る。

電車での移動中妙に心臓がバクバクした。

まだ会ってもいないのに。

今緊張してどうするんだ。

私が想像している人とは違っているのかもしれない。

思い出の中で彼が美化されて私にとって都合のいい記憶が作り出された可能性もある。

不安と期待、そして押しつぶされそうなくらいの謎の重圧が体に伸し掛かる。

それでも会いたい一心で私は彼のいる場所を目指した。


都会のはずれ。

そんな感じの街だった。

様々な企業のオフィスビル、娯楽施設に観光スポットなど。

一通りそろっているようで全て何かにかぶれているような。

いいとこ取りをしたツギハギの街といったところか。

私はビルの隙間を縫って歩き、バスに乗り、そして白色のモルタルで仕上げられたボロアパートに着いた。

ここに彼はいる。

既に時間は夜の21時を回っており、部屋には電気がついていた。

1階と2階に2室ずつ配置されており、その内2階の1室だけ電気がついていた。

掃き出し窓を挟んだ室内に人影が写る。

不思議なくらいはっきりとその人の姿をとらえることができた。


「あ」


すぐにわかった。

間違いない。

すこし天然が入っただいたいストレートの髪。

焦点があっているのか分からない虚ろな目。

小さな鼻に乾いた唇。

彼だ。

ずっと会いたかった。

頭の中にずっといて、いつだってそばにいてくれた。

6年ぶりなのに、全然そんな感じがしなかった。

私は道路に身を乗り出し彼の姿を眺めていた。

その時彼は窓越しに私の方向を見てきた。

怪訝そうな顔で、何か不振がっているような身振りを見せた。

何かあったのだろうか?

でも明らかに私の方を見ている。

まさか。

私の姿が見えるわけがない。

そう、その時は思っていた。

このまま部屋に侵入して近くで見るのもいいが。

窓越しに彼を見つめるのもなんだか愛しく感じた。

今は彼を遠くで感じていたい。

なんとなく見られている気がして恥ずかしくなり、私は近くにあった電柱の後ろに隠れ彼の部屋を眺めた。

身を隠して覗くこの行動。

まるでストーカーみたいだなと。

6年前に彼の後をつけていたときの様に。

私は今でも彼に惹かれていた。

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