第9話 ゴーストフレンド

中学に上がり初めての冬。

唐突に私の日常は奪われた。

覚えているのは肌寒い夜の路地を一人で歩いていた時。

その景色を最後に目を覚ました時には見たこともない部屋に閉じ込められていた。

電球色の蛍光灯で照らされ部屋一面には樹脂畳がフロアの上に並べてありローテーブルの上にある複数の食器や箸は家庭を連想させた。

私以外にも人が横たわっており、制服姿の少女たちが肩を震わせていた。

身動きを取ろうとしたが両手と両足には手錠を掛けられ口の中には物を敷き詰められ声を発せず、行動を許されることはなかった。

ここは一体どこなのと頭の中の理解が追い付かない。

その時目の前の開き戸がガチャリと開かれガリガリで骸骨のようなおじさんが部屋の中に入ってくる。

私は思わず目を合せてしまい、おじさんはにやりと嬉しそうに笑って近づいてくる。

仰向けの状態から覆い被さられ舌なめずりをしている。

私の服の中に手が入ってきたことに気付いた時には正気でいられなかった。

体全体で拒否反応を起こしおじさんを突き飛ばす。

それが逆鱗に触れたのか。

おじさんは強引に私を押さえつけあらゆるところを強姦してきた。

その度に私は抵抗する。

それも虚しく力は遥かにあちらの方が上だった。

でも大事なことは最後まで守り抜くことができた。

私には彼氏がいた。

彼の為に、こんなやつに渡すわけにはいかなかった。

やがて男は諦めたのか。

一度部屋を出ていき鋭利な道具を持って帰ってきた。

その時の絶望感を今でも覚えている。

多分ここで、私は死んだ。

そして私は目を覚ます。

見覚えのない山奥で寝そべり転寝しているように思えた。

ゆっくりと起き上がり、ボーとしていると思い出したように私は自分の体を確かめる。

頭、顔、その他四肢などを確認しどこにも怪我や痛みがないことに驚く。

あれは夢だったんだろうか。

現実味を感じたがそれが夢だったらどんなに良かっただろう。

しばらく私は何も考えたくなくて大木に寄りかかり無心で過ごす。

少し落ち着いたら立ち上がり、出口の分からない山をとりあえず下っていく。

やがて路地に出て町並みを歩いていく。

見たこともない景色に戸惑いよそ見をしながら進んでいく。

すると路地を曲がった先に忙しそうなサラリーマンが走ってきた。

お互いかわすことができずそのまま衝突して倒れこんでしまう。


「す、すみません!」


私はすぐに立ち上がり慌てて謝罪する。

思ったよりも掠れた声が出て喉がはれ上がったように痛かった。

だがサラリーマンはすぐに体制を戻しこちらに目もくれず何もなかったように歩き出す。

不愛想な人。

謝罪の一つでもしてくれらいいのに。

でも、そこで私はある違和感に気付く。

立ち話をしているおばさん達、ランドセルを背負い走る小学生、出勤途中のサラリーマン。

彼らは私の事を一切見ていなかった。

いや、まるで見えていないようだった。

もしかしたら。

私はおばさん3人組が向かい合って会話をしている輪の中に飛び込む。

輪の真ん中。

全員が私を視界に入れざるを得ない状況だ。

それでもおばさん達は会話を滞らせることなく何事もなかったように話し続ける。

間違いない。

彼らには私の姿が見えていないのだ。

あたかも透明人間になったように、私は誰にも認知されなかった。

その場から逃げるように公園に駆け込んだ。

状況の理解が追い付かず、頭の中の情報を整理したかった。

トイレの蛇口をひねり水を出し、顔を洗う。

水分を拭いとるものはなく犬のように顔をぶるぶるふるわせ水分を弾き飛ばした。

ふと、鏡に目を向ける。

そこに私の姿は映っていなかった。

更に状況を理解する。

あれは夢ではなかった。

私はあの男に連れ去られ、あの場で殺された。

だから今の私はこの世を彷徨う幽霊になったわけだ。

周りの人間が見えていないのも鏡に映らないのもそのためだ。

実態を持たない。

この世には存在してはいけない。

だから私がこの世界をどれだけかき回そうともなかったことにされてしまう。

なぜならそれが起きてはいけないことだから。

現象や事象として処理され人々の記憶には刻まれない。

でも、私には一つ心当たりがあった。

その心当たりを容認すれば、この状況を呆気なく受け入れることができるだろう。

遠い昔の記憶。

生まれて間もない、言葉を断片的に覚えてきた時期。

その時私には見えてはいけないものが見えていた。

それが幽霊だった。

私が出会ったのは白髪をはやし丸眼鏡をかけた優しそうなおばあちゃんだ。


「おばさんだあれ?」


周りには私が何もない壁に話しかけているようにしか見えないだろう。

おばさんは笑って返してくれる。


「私は幽霊だよ。この世を彷徨っているんだ」


「おばさんゆうれいなの?すごーい!はじめてみた!」


私は無邪気にはしゃぐ。

普通は怖がると思うが、我ながら肝が据わった子供だったと思う。


「私たちは永遠にこの世を彷徨っているわけではない。死んでから四十九日間。閻魔大王様からの審判が下ってから執行されるまでの期間の事さ。その間はこの世を彷徨って別れの準備をすることになっているんだ」


「それがすぎたらどうなるの?」


「さぁね。天国に行くのか地獄に行くのか。そもそもそんな場所はなくて無の世界が待っているのか。誰も行って帰ってきた人はいないからわからんねぇ・・・」


「・・・こわく、ないの?」


おばあちゃんはしわしわの顔で笑い私の頭を優しくなでる。


「大丈夫だよ。あの世で私はおじいさんに会えるんだから。大切な人に会えると思えば、怖くはないよ」


遠い場所を見つめるおばあちゃんはむしろその場所に行きたがっているように見えた。

きっとこの世界に未練はないのだろう。


「この世界は一人では生きていけない。誰かと支えあいながら、前に進んでいくものなんだよ。お嬢ちゃんも早くそんな相手と出会えるといいねぇ・・・」


おばあちゃんの瞼の隙間から輝くものが見えた。

きっと怖かったのだろう。

まだ見たことがない世界へ旅立ってしまうことが。

でも、大切な人が待っていると信じて疑っていなかった。

私はその人を見て虚しく感じた。

何があるか分からない。

もしかしたら本当に何もなくて、待っているのは無なのかもしれない。

それでも信じることで自分を言い聞かせ、その時を待っているおばあちゃんの姿が。

すごく悲しいことのように思えた。

私に言ってくれたアドバイスが思いを託されているみたいで。

人生という旅の意味を、見い出せずに終わっているみたいで。

それから四十九日は過ぎおばあちゃんは姿を消した。

どこに行ってしまったのか分からないけど。

大切な人に出会えましたようにと。

届かぬ願いを募らせるばかりだった。

その日を最後に幽霊を見る事は無かった。

純粋な子供の目だからこそ見えたのかもしれない。

子供とは不思議だ。

過去を一つ思い返すと芋づる式でいろんな記憶を思い出してしまう。

例え関連性のない記憶でもそれは思い返される。

 

小学生の頃。

私は孤立していた。

なぜなら嫌われていたからだ。

私が行動すれば周りは混乱し、問題が発生する。

その度に私は罵声を浴びせられ次第には暴力も受けるようになっていた。

助けてくれる人は誰もおらず、自分を押し殺して生活することにした。

この世界に私の居場所なんてどこにもないと思っていた。

そんな毎日の中、救われた一日があった。

私は毎日教室の席に座り、一人本を読み自分の世界に逃げ込む。

他人を干渉させないために一切の意識をすべて読書に当てていた。

その時。

私の上履きに何か当たった。

拾ってあげればいいのだが、その場で動けば周りの注意をひいてしまうかもしれない。

そんな訳も分からない理由で当時はよく悩んでいた。

どれだけ目立たず生きていけるかに神経を注いでいたからだ。

落とした持ち主も中々拾いに来ない。

スカートの下に落ちたから拾いづらいのか。

ようやく察して私は座ったまま上半身を椅子の下に覗き込み、そこにあった使い古された消しゴムを拾った。

体勢を戻した時には目の前に男の子がいた。

髪は前髪が眉毛の辺りまで伸びもみあげは天然が入っているのかカールしていた。

薄いまつげに狼のように相手をにらむような目。

小さい鼻に少し潤いのない乾いた唇。

黒いパーカーと紺色のジーンズをはいた彼は悲しそうな、思いつめられひどく張り詰めた表情をしていた。

私は無意識に彼の顔を数秒間見つめて静止してしまう。

はっと気づいたように手に持った消しゴムを差し出した。

彼はゆっくりとした動作で受け取り、軽く会釈をして席に戻った。

彼は、周りとは違う。

感じ取る雰囲気や感情がネガティブのそれだったのだ。

人間は周りの事を考えず自己の利益ばかり求める快楽主義ばかり。

言いたいことがあってもそれを押し殺して生きていき、否定的な意見は全員で批判を始め人格を否定される。

そういう集団的思考の人間。

私の目には有象無象にしか映らなかった。

でも彼にはそんな集団とは違うものを感じたのだ。

もしかして彼なら、私の気持ちが分かってくれるのかもしれない。

本当の自分をさらけ出すことができず、日々の生活の圧迫感で押し殺され息苦しい思いをしながら生きていくような。

そんな行き場のない虚しい感情を。

もっと彼を知りたいと思った。

他人に興味を持つなんて。

今まで感じたことがないような不思議な感情だった。


まずは彼と接触しよう。

話しかけないと事は進まない。

かといって学校内で話しかける真似はしたくなかった。

周囲の人間に目撃されると後々面倒だからだ。

唯一の救いは彼が私と同じように誰とも関わりがなかったことだった。

いつも一人だから誰もいない場所にさえ行けば二人っきりになることができる。

その瞬間を私は狙っていた。

学校の時はまず無理。

休日中にぱったり会うことも難しいだろう。

様々な可能性を吟味した結果放課後しかないと思った。

その時からだろう。

私が彼をつけだしたのは。

接触は難しくなかった。

彼は河川敷に入っていき草むらの中に消えていった。

あんなところに何の用事があるんだろう。

私も彼の後を追う。

自分の身長より高い草むら。

手でのけて歩いていくのも一苦労だった。

意外と長くがむしゃらに奥に進んでいく。

彼の姿が見えなくなり進んでいる方向で合っているのか不安になる。

無限に続くと錯覚した草むらを抜け開けた場所に出る。

夕日が目の前にあり、そこに照らされた川と草の穂が光を帯び神秘的な景色になっている。

そして私の追ってきた彼はベンチに座っていた。

どうやって話しかけようかといった悩みは目の前の景色によって吹き飛んだ。

むしろありのままの心が全面に出てきて感情をさらけだしてしまう。


「わー!なにここ!すごく綺麗な場所だね!」


彼は私の声にびっくりしたようにすぐに後ろを振り向く。

声の主を見た瞬間更に驚いていた。

それはそうだろう。

普段教室で黙り込んでいる上みんなから避けられている奴だ。

そんなのが急に後ろに現れなれなれしい口調で話しかけられたら誰だって驚くだろう。

でも一度出た感情は歯止めが効かず最後までそのテンションを押し通してしまう。


「ここはスミレ君のお気に入りの場所なの?」


ついには心の声がそのまま漏れスミレ君と呼んでしまう。

理性が半壊してしまったのだろうか。


「どうして、君がここにいるの?」


「うーん、それはね・・・つけてきたんだよ」


ストーカー宣言をする。

その後は私の変なテンションでなんとか会話は続いたと思う。

すごく恥ずかしかったけれど。

最初にありのままの姿を見られたことで取り繕う必要がなかった。

彼も最初は警戒していたものの段々と心を開いてくれたのが分かった。

お互いが理解し合い共感できるような関係になることは難しくなかった。

それは私にとって大きな心の救いになった。

家に帰れば母に暴力を振るう父が待っていて、学校に行けば集団で虐げられる。

そんな廃れたボロボロの心を唯一救ってくれる場所ができた。

それは彼も同じだったようで、どこか似ている私たちは日に日に関係を深めていった。

それからその場所でどんな会話をしたのか、具体的には覚えていないがたわいもない話で笑いあい、現状の置かれた状況を確認しあったり互いを励ましあったり。

そんな時間が大好きだったことを覚えている。

いつしか私たちは恋人になり、満たされた時間を一緒に過ごした。

でも、幸福は長く続かなかった。

前兆もなく唐突に終わった幸せ。

今はただ、彼に会いたくてたまらない。

過去の回想を一通り終える。

私は公園のブランコに座りギコギコ小刻みに動かす。

目の前の砂場で遊んでいる3人組の子供たちを見て、私にあんな瞬間はなかったなと比較して劣等感を感じてしまう。

その時。

すぐ近くでギシッと音がした。

音の方向を見ると大学生くらいの女性が私と同じようにブランコに座っていた。

セミロングの茶髪はふわっと柔らかく纏まっており目鼻立ちは綺麗に整っていた。

その女性はまっすぐに私を見て驚いたような表情をしていた。

私も何が起こっているのかわからなかった。

私達は互いに見つめ合い、一つの可能性にたどり着く。


「あなたも彷徨っているの?」


女子大学生が口を開いた。

そのか細く掠れた声は彷徨っている辛さを物語っているように聞こえた。


「はい。同じですか?」


「えぇ。少し前に死んで、それから彷徨っているわ」


「つまり、幽霊同士ってことですね」


「そうね」と相槌を打たれ、彼女はクスッと笑う。


「でも嬉しいわ。同じ幽霊に会えて。久しぶりに誰かと話せた気がする」


嬉しい、という言葉に嘘はないように思えたがそれでもどこか寂しそうな佇まいは滲み出ていた。

容姿や服装を見た所、彼女は元々活動的で明るい女性を連想させた。

でも死のショックと世界から孤立した環境からこんなに弱弱しい人間に変わってしまったのかもしれない。


「私は吉紙 ナルミ。多分数週間前に交通事故で死んで、それから彷徨っている。この世界に未練があるのかな。あの世に中々いけないや」


交通事故。

死ぬ瞬間は私と同じく覚えていないらしい。

最後に覚えている光景が歩道専用の信号機。

青ランプがちかちかしていて急いで渡らなきゃと車道に駆けだした直後、体全体に衝撃が走ったという。

一瞬の痛み、そして何事もなかったかのように目が覚める。

夢でも見ていたのかと思ったが周りの反応や変化を見て自分が認識されていないことを知る。

私と一緒だ。

私も死の直前の出来事を語る。

彼女は私の話を聞いて激しく同調してくれた。

互いを良き理解者として私たちは一緒に行動するようになった。

とにかく私たちは歩いた。

ずっと立ち止まっていると動けなくなりそうで怖かったからだ。

散歩して会話をして、いろんな情報を頭に入れて思考を回すよう意識した。

苦い飲み物に砂糖やミルクを入れて薄めていくように、私は余計なことを考えることで辛い記憶を紛らわすことにした。


「ユリカはさ、どうすればこの世界から解放されると思う?」


「つまり、早く違う世界に行きたいってこと?」


「そう」


私は脳内で検索するが、子供のころ見えていたおばあちゃんの言葉がその時思い返された。

死んでからの49日間。

この世を彷徨う期間のこと。


「違う世界では私たちを受け入れる準備をしてくれているんだよ。時間がかかっているんだと思う。とりあえずもう少しだけ彷徨ってみようよ」


歩いている間私とナルミは様々なことを話した。

その度に考え方の齟齬やこれじゃない違和感を感じた。

お互い違う人間だから相違点があるのは当たり前だが、それでもその違いは大きく開かれていた。

ナルミはまさに華のような人生を送っていて暗闇の中で生きていた私とはまるで世界が違っていた。

そんな二人が肩を並べて歩いているのは妥協以外の他ならない。

彼女は私をどう思っているのか分からないが、私は人生の蛇足として億劫に感じていた。

ナルミは自分の過去の出来事を自慢げに話す。

毎日友達に囲まれて引っ張りだこで誘われいろんな場所に遊びに出かける。

結構持てていたらしく彼氏もいて毎年入れ変わっていたらしい。

そんな絵に描いたような学生生活。

話す本人は快楽だろうが聞かされる側は鬱陶しくて堪らなかった。

それに対し私は聞かれても自分の過去は一切話さなかった。

ほとんどが負の記憶だし、人前で語れるような人生ではなかった。

それでも私にとっての美しい記憶は少なからず存在し、でもそれは自分の胸にしまっておきたかった。

仮にここで語ることになっても、彼女の感想によって無意味に汚されたくはなかった。

この思いは私だけのものだ。


「思い残すことが無くなったらあの世に行けるのかな」


ナルミは呟いた。

空を見上げ、違う世界に思いを焦がしていた。


「天国でも地獄でもどっちでもいい。他の人たちが幸せそうに生活しているのをただ眺めて、それと自分を比べて惨めな思いをこれ以上したくない。幸せになれないのなら、こんな世界残ってても仕方がないわ」


彼女の言葉の真意を私は永遠に理解できないだろう。

生前幸せだった人間は失った幸せの分他人の幸せが妬ましくなるらしい。


「思い残したこと、何か心当たりがあるの?」


とりあえず私は聞いてみる。

ナルミは右手をあごの下に添え俯いた状態で少し考えこみ、やがて顔を上げた。


「家族や、友達や、彼氏がどうなったか見てみたいかな。あと私の部屋にある恥ずかしいものを処分したいし、とりあえず近辺まで行こうかな」


ナルミは私の顔を見る。

あなたはどうするのという意味だろう。


「じゃあ、行こうか。私にも何か手伝えることがあるかもしれないし」


「ごめんねユリカ。付き合わせちゃって」


「いいよ、どうせ暇だし。貴重な仲間だから」


これが生前なら意地でも付き合わないだろう。

今は仕方なく自分の心を押し殺してナルミに合わせようと思った。

その時ナルミは私に飛びつき両手で抱きしめてきた。


「ユリカァ!持つべきものはゴーフレだね!」


「ゴーフレ?」


「ゴーストフレンド!今の私たちにピッタリでしょ!」


「確かに、そうだね」


でた。

最近の若者にありがちのなんでも略すやつ。

ゴーフレ・・・。

ちょっと寒いかな。

乾いた笑いがこぼれてしまう。


「初めて笑ってくれたね」


ナルミは嬉しそうに笑う。

私の手を握り「さ、行こう!」と張り切って歩いた。

彼女に引っ張られ付いていく。

そうして私たちのちょっとした旅が始まった。

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