第8話 僕にとっての後悔
「スミレさんは、今までの人生で後悔していることはありますか?」
唐突な質問だった。
定型の言葉ではとても乗り切れそうではなかった。
部屋のシーリングライトを眺め10秒ほど考え込み、自分の今までの過去から後悔という言葉を検索する。
最初にヒットした事は恥ずかしくてとても言いたくなかったが、どれだけ考えてもそれ以外の後悔なんて見つかりそうになかった。
「後悔なんてきりがないほどしてるけど・・・小学生の頃、一際大きな後悔があったかな」
机の樹脂シートを見つめ自分でもぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で答えた。
彼女の方をちらっと見ると興味を示したように僕の方をまっすぐ見つめていた。
「詳しく聞きたいです」
落ち着いた様子で話を促していた。
「あんまりおもしろくないし、オチなんてないからな」
本当に大した話でも何でもないので予防線を張っておく。
「構いません」
それでも彼女は崛起のない興味を僕に向けていた。
「分かった。・・・僕が小学生頃、一人の女の子と出会ったんだ。今では名前も思い出せないけど。クラス替えで僕の後ろの席だったかな。とてもかわいい子だった。美しさもだけど、ほかにも学業やスポーツといった実務的なこと、大人との会話の仕方や立ち振る舞いなどすべてのことで彼女は垢ぬけていたんだ。それゆえ他の生徒からは嫉妬や反感を激しく買うことになった。才能ゆえの代償なのかな。生徒どころか教師陣までもが彼女を孤立させ、執拗な嫌がらせをして彼女を追い詰めていったんだ」
こんな語り手で大丈夫か?
不安になってユリカを見るが、真剣にこちらを見て話を聞いてくれていた。
「その時は僕もちょっとしたいじめを受けていて、誰からも相手にされないしクラスにはいないものとして扱われ孤立させられていた。いや、していたの方が正しいかな。僕自身誰とも関わらない状況が楽だと考えていてまどろっこしい人間関係とは疎遠になれて気楽だと思えたよ。つらいと言えばつらかったんだろうけど、もっとひどいいじめを受けている女の子がいたから僕はまだましに思えた。そう、僕はいじめられている彼女を見て安心していたんだ。僕にとって彼女の存在はいじめの痛みに対する鎮痛剤だったんだ」
「いつかの帰り道。6月頃の梅雨特有の豪雨が過ぎた次の日くらい。僕は川辺に寄り道したんだ。当時の僕から見て自分の頭1.5個分大きい草が大量にある道をかき分けながら、その奥にある場所を目指したんだ。そこは川辺に古い木のベンチが置いてあって昔見つけた僕だけの秘密基地みたいな場所だったんだ。そこから夕陽に照らされきらきら光り輝く川を眺めることができた。ランドセルを地面に降ろしベンチに座って景色を眺めた。誰にも邪魔されない、一人だけの空間。学校でも家でも一人だけの空間を作っていたけど周りに人がいるかいないかでそれは大きく違った。人の視線特有の圧迫感を感じなくて済むから。ベンチに座ってボーとしていたら後ろの草がゴソゴソ動く音がしたんだ。そこからでてきたのは」
「わー!なにここ!すごく綺麗な場所だね!」
甲高い声が後ろから聞こえた。
急な声に思わず驚いてしまう。
そこには大げさに手を広げて体全体で表現する、教室で僕ともう一人いじめられている彼女の姿があった。
「ここはスミレ君のお気に入りの場所なの?」
活気のいい高い声で質問しながら僕の方へ近づいてくる。
なぜ彼女がここにいるのか?
つけてきたのか?
そんなことより一番驚いたのはこの子はこんなに高い声をしていたことだ。
今まで教室ではずっと黙っていて、表情も変化がなく、いじめられてる時ですら何の反応も示していなかった彼女が。
両手を広げ大きく口を開け、ハスキーな声を挙げる彼女は同一人物とは思えなかった。
「どうして、君がここにいるの?」
「うーん、それはね・・・つけてきたんだよ」
彼女は悪びれた様子もなく笑って言った。
両手を後ろで組み片足で靴をグリグリして気恥ずかしそうだった。
「急にこんなこと言われてビックリするだろうけど。私は、スミレ君と友達になりたいんだ」
へらへらした様子とは一変し真剣にこちらをまっすぐに見てきた。
その雰囲気から彼女の言葉にはなに一つの嘘は感じなかった。
「いいよ」
当然僕は受け入れた。
友達になりたいと言われた時その場ではしゃぎたいくらいの高揚感があった。
それは友達ができるという魅力ではなく彼女自身への答えのようなものだった。
あの河川で出会った瞬間から僕は彼女に一目ぼれだったんだろう。
でも当時の僕はその感情が何なのか理解できなかった。
今なら分かる。
あれは間違いなく僕の初恋だった。
「じゃあ、スミレ君。私のことは●●って呼んでね!隣・・・座ってもいい?」
彼女は僕の顔を伺うように覗いてきた。
ボロボロの木のベンチに二人で座りそこから見える川と夕日と町並みを眺めた。
「すごく・・・綺麗」
彼女は呟くように言った。
夕日の光が反射して輝く川。
流れが一定のリズムで動いておりそのたびに反射光は歪んだり伸びたり縮んだり不規則に動いていた。
「いい場所知ってるんだね。毎日来てるの?」
「放課後、毎日来てるよ。この季節は特に涼しい風にも当たれるし、特別快適な気がする」
冬ではこうはいかない。
今が初夏で蒸し暑いので川からの風は当たっていて気持ちのいいものだった。
「確かに涼しいね。この景色も贅沢だなぁ」
彼女は微笑む。
胸の内に嬉しさが込み上げてきたのを覚えている。
僕と彼女は今同じ気持ちなのかもしれない。
とても些細なことだ。
目の前の景色がきれいで、この場所を特別と感じて、ただそれだけなのだが。
どこに行っても孤立していて感情の共有なんて皆無の僕にとってその気持ちはとても新鮮で温もりを感じた。
「また見に来ればいいさ。僕は放課後毎日ここにいるから」
また一緒に見たい。
無邪気にもそう思い彼女を誘ったつもりだった。
彼女は少し驚いたように反応し、満面の笑顔になった。
「うん!絶対行く!」
彼女の笑顔は夕日の光に負けないくらいの眩しさを放っていた。
それから僕は放課後になると必ず川辺のベンチに座り彼女を待っていた。
だいたい僕が先、数分後に彼女が追ってくるように会う。
本当はもっと彼女と話したいしどこにいても一緒にいたいくらいだったが、プライベートに二人で出かけてクラスメイトに見られでもしたら。
彼女が受けるいじめがこれ以上悪化してしまうかもしれない。
側に居たくてもいられないし、その場で僕が飛び込んで守ってあげる力もなかった。
あの場所でいろんな話を二人で語った。
くだらない冗談や現状の悩みや行き場のない心など。
陽が落ちるまで話して区切りのいいところで話を終え、一緒に帰ることはなくそれぞれが家を目指して帰っていく。
こんなに純粋で真っすぐな少女が明日には有象無象共に踏みつけられているのは理不尽を感じざるを得なかった。
それから僕ははっとする。
まずい、昔話が過ぎたな。
僕は慌てて話をまとめる。
「それから数年後、突然彼女は姿を消したんだ。何の前触れもなく忽然と。僕は至る所を探し回ったけど再開は叶わなかった。少ししてから行方不明になったと知った。僕にとっての後悔は、その少女と傍にいられなかったこと。僕の人生にとってかけがえのない存在だったと思うから」
僕はビール缶を口に注ぎ乾いた喉をアルコールで潤す。
ここまで長く語っておきながら、この話には大きな問題があった。
「実は恥ずかしい話、僕はこのことをつい最近まで忘れていたんだ。なんでこんな大切な思い出を忘れていたのか、不思議でしょうがない。実は僕の妄想だったなんてオチかもしれないな」
笑って済ませようとしたが、ユリカは神妙な様子のままだった。
静かに口を開いた。
「急に会えなくなるなんて、とても残念です・・・。でも、その子はきっと幸せだったと思いますよ」
「なんでそう思うんだ?」
「なんとなく、分かるんです」
ユリカは誤魔化すように笑った。
その雰囲気に何故だか懐かしさを感じた。
その後も僕の記憶の回想はまばらに行われ、パズルのピースを1つ1つはめていくように失われた記憶が徐々に蘇ってきた。
そうか、あの少女はユリカだったんだ。
意識はまた暗闇の中へ引き込まれていく。
瞼を開けた時に僕は絨毯に仰向けに倒れていた。
体を起こし周りを見渡すと物が散乱しており無法地帯のようだった。
「ようやく目を覚ましたか」
声の方向を見るとホリが煙草を吹かしながら気だるそうにしていた。
わざわざ僕が起きるのを待ってくれていたようだ。
「散々暴れやがって。駄々をこねてる餓鬼みたいだったぞ」
ホリは不気味に笑う。
また、暴れてしまったのか。
でもその分得られるものは大きかった。
「その顔は何か思い出したって感じだな」
「あぁ、全て思い出したよ」
「そっか・・・」
ホリはひっくり返った机に片足を乗せる。
まだ頭がズキズキ痛む。
刺された針を抜いた後の様なじわじわした痛みがあった。
「これからどうするんだ?」
「彼女に会いに行こうと思う」
「会うって・・・死人とどうやって会うんだよ?」
「ユリカはこの前まで僕と一緒にいたよ。それに、当てもある」
ホリは訳が分からず飲み込めない様子を見せた。
まるで奇人を見る目だ。
「大丈夫か?変な妄想に取りつかれたんじゃないか?」
「かもな、でも僕は、彼女に会いに行く」
しばらくお互い見つめ合い、やがてホリが口を快活に笑った。
「おいおい、こんなに自信にあふれた新幡見たことないよ」
「僕もホリの大笑いを初めて見たよ」
それからホリは帰っていった。
とてもいい再開だったとは言えなかったけれど、会えてよかったと心から思った。
僕達はとっくに友達になっているのかもしれないな。
そうしてやがて訪れる夜明けを僕は静かに待った。
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