第6話 垣間見た幸せ


眩しく光り目を刺してくるような日差し。

それに照らされ光を反射させる川。

風が肌に心地よく当たり辺りの生い茂った木の葉っぱや道沿いに生えた草や花が揺れていた。

僕とユリカは舗装された道を歩き、間知式の擁壁の上を歩いていた。

擁壁の下には河川敷がありそこは基本草むらだが一部整備されたグラウンドがありそこで少年野球団は活動しているらしい。

僕たちはお互い道の先を見つめ黙々と歩いた。

ユリカが泊まった翌日の朝。

朝起きて食パンとハムアンドエッグ、サラダにコーヒーを食卓に出し二人で食べた。

それから歯磨きをしたりトイレを済ませたり着替えたりで朝自宅をした。

その後は特にすることもなくテレビをつけて普段通り僕は引きこもり生活をしようと思った。

ユリカには悪いが、僕はインドア派で外には全く出ない。

あの時バスで出かけた日は本当に気まぐれで珍しい日だった。

朝方ずっとリビングに座り込み彼女も横でじっとしている。

それでも彼女が退屈そうな様子を見せることはなかった。

むしろ部屋でのびのびできてリラックスしているようにも見えた。

このままずっとおとなしくしていようと思ったが、なんだかだんだん気まずくなってきた。


「ユリカ、どこかへ出かいけないか?」


「いいですよ。どこに行きます?」


ユリカは少し嬉しそうに返事をしてくれた。

さて、どこへ行こうか。

田舎が少し発展したようなこの町は娯楽施設があまり充実していない。

その為若者よりの遊びをしようと思えば隣町まで交通機関で移動しなくてはならない。

今から移動するには中々手間だった。

そして僕が提案したことは散歩に出かけようだった。

知らない町に来たんだ。

ぐるっと見ておいた方がいいかもしれないという建前だ。

実際の根拠は考えたけど思いつかなかったからとりあえず歩こうかだった。

そうして今河川敷の道を歩いていた。

時間を稼いで行く先を考えてはいるのだが。

全く思いつかなかった。

引っ越してきて半年以上経つだろうか。

一番の遠出は大学に行っていた数か月間だっただろうか。

駅までバスで乗っていき、電車で2駅ほど移動し目の前に大学は設置されていた。

アパートから大学まで15kmは離れていたと思う。

それ以上の距離は移動したことはないし、特段用事もなかった。

その他はアパートから歩いて行けるコンビニかスーパーだった。

正直今歩いている河川敷も初めてきた。

適当に歩いていたらこんな道に出たのだ。

こんな場所あったんだなとユリカより僕の方が驚いていた。


「そういえば、ユリカってどこから来たんだ?結構遠くから来たの?」


「そうですね、ここからだと電車で2時間くらいかかりますね」


「まあまあ遠いんだな。悪いな。こんな何もないところにわざわざ」


「そんなことないですよ。この町は何となく、住みやすそうです」


僕は辺りを見渡す。

擁壁下の河原沿いの土手。

少年野球部のフライが上がり太陽と重なる。

グランドにまばらに広がり活発に動く少年たちは成長過程特有の若さが漲っていた。

ユリカも微笑ましく野球少年達を眺めていた。

とにかく歩き続けよう。

この町の土地勘を把握するにはいい機会だ。

石の階段を下りていき狭い路地に入っていく。

ボロボロの木造住宅や錆びたシャッターで閑散としたお店、黒カビで染められたコンクリートの擁壁などが横並びにある。

心霊スポットと言われても納得できそうだ。


「スミレ君、なんでこの道通るんですか?怖いです」


ユリカは僕の背中に隠れ後についてくる。

確かに怖いな。


「まぁ、もうちょっと奥に行ってみようよ。開けた道に出るはずだから」


案の定少し歩くと町並みに出た。

家々が立ち並びその中の一つに昔ながらの駄菓子屋さんがあった。

色褪せたいぶし瓦にささくれた木柱と歴史を感じる佇まいだ。


「少し休憩しようか」


家から歩いて30分は経っただろうか。

もうヘトヘトだった。

僕とユリカはガラス入りの木引き戸を開き中に入る。

室内は石油のストーブが周囲を温められており快適な空間になっていた。

カウンター側にはひざ掛けをして裁縫を縫っている白髪のおばあちゃんがいらっしゃいと向かい入れてくれた。

懐かしいお菓子がずらりと並べてあり、そういえば小さい頃こんなの食べてたっけとついつい思い返してしまう。

一口サイズのクラッカーや餅つきをするパッケージが印象的なピーナッツ、小さいドーナッツが4つ入っている洋菓子など。

商品一つ一つに当時の思い出が連想され思い返すと少年時代の面影みたいなものを感じてしまう。


「なんだか懐かしいですね。こういうの、幼稚園が終わった後とかにお母さんがよく買ってくれました」


ユリカも同じように思いをはせていた。

家族の思い出は人それぞれだが、こうして思い出すこともたまにはいいのかもしれない。

僕は瓶のコーラーに黒糖の駄菓子、バッドの形をしたチョコを選び、ユリカはビー玉の入ったソーダに小さくカットされた昆布菓子、長い串に4つ刺さっているカステラを選び合わせて精算をする。

外に出て隣の飲食用の建物に入りそこで休憩をすることにした。

パチンコスロットが4台ほど並んでおり缶ビールの空き缶がごみ籠の中に大量に放り込まれていた。

どうせ近所のおじさんが夜に宴会とかで使っているんだろう。

僕らは向かい合うように座り小さく乾杯をした。


「スミレ君結構疲れてますね。大丈夫ですか?」


「いや、久しぶりに歩くとだいぶ疲れたな。ユリカは若いな。元気すぎる」


「あなたも若いでしょう。・・・タバコを吸って体力が落ちたんじゃないですか?」


「あぁ・・・確かに」


ホリと比べれば断然少ない方だが、それでもユリカから見れば喫煙者だ。


「スミレ君には元気でいてほしいです。だから禁煙、がんばりましょう」


そう言って彼女は唇を綻ばせる。

禁煙か、過酷だなぁ。


「がんばってみるよ・・・」


僕は弱弱しく返事をした。

彼女は笑って約束っと明るく言った。

一息入れてまた歩き出す。

住宅街が続く道をひたすら奥に進んでいく。

道に生えてある木やプランナーに植えてある色とりどりの花はこの町に映えレトロな雰囲気が覆っていた。

ジオラマの中を歩いているみたいだ。

少し高いところに神社の鳥居が見え、そこに向かってみることにした。

神社へ続く石階段がずらりと並び、上ってから5分の1に満たない所で早くも気が滅入りそうになる。


「スミレ君!まだ半分も登ってないよ!」


僕が手を膝頭に抱えて動けなっている様子に対して4段上にいるユリカが驚愕の声を上げている。

またですかと言わんばかりだ。


「早い、早いよ・・・。焦らずゆっくり行こうぜ」


「ペースを合わせているつもりなのですが・・・これは禁煙のほかにも運動をしなくてはいけませんね」


「勘弁してくれ・・・」


ユリカに励まされながら登っていき、なんとか僕たちは鳥居の中をくぐることができた。

手水舎に向かい竜の口から水を尺で受けて手や口をすすいで身を清める。

冷たいので少量の水がかする程度で済ませる。

その後は二人並んで社殿を目指した。

緑色に変色した金属屋根瓦と塗装の剥げた棟が神社の歴史を物語っていた。

何の神様が信仰されているのか分からないがとりあえず僕とユリカはお賽銭を入れて本坪鈴を一緒にガラガラ鳴らす。

2礼2拍手をして手を合わせる。

こういう時は何かお願い事をすればいいんだろうか?

願えば叶わないとか報告をして今後の誓いを立てたらいいとかいろんな説があるが結局どれが正解なんだろう。

悩んだ末選んだ行動は明確な願いや目標がパッと出てこなかったのでとりあえず無心で目を瞑ることだった。


「何をお願いしたんですか?」


ユリカが僕の顔を覗き込み聞いてくる。

どうやら願いを言う派らしい。


「何も願わなかったよ」


「え、もったいない」


「やっぱりそうかな?」


特段悔やまないが勿体ないことをしたなと少しばかり思ってしまう。


「ユリカは何をお願いしたんだ?」


「もちろん秘密です。人に言ったら叶わなくなりますから」


「そっか」


苦労して登った末このまま降りるのは勿体ないので神社周辺を回ってみることにした。

すると本殿の横に大きな神木があった。

深いしわが刻まれくたびれた感じの幹と比べて枝は四方八方に開かれそこから力強い葉を大きく広げていた。

その葉の隙間から降り注ぐ木漏れ日は神聖に感じた。


「すごい、空を覆ってるみたいです・・・」


「確かに、そんな感覚あるね」


「この木は何歳なのかな?他の木と比べてダントツで大きいですよ!」


「かなりご高齢だろうね。木の寿命が何歳なのかは分からないけど、年を取る度こうして存在感が増すのはうらやましいね」


「この木みたいにかっこよく年を取りたいですね!」


「人間には無理だろ」


その時僕は思いついたようにポケットのスマホを取り出す。

久しぶりにカメラアプリを起動して大木を撮った。

パワースポットではないが、なんだかご利益がありそうな気がしたからだ。


「ユリカ、撮ってあげようか?」


「・・・すみません。私、写真に写るの苦手なので」


「そっか。ごめん。最近の女子は写真好きなイメージが強くて」


「みんながそうとは限らないですよ。その代わり、私を目に焼き付けておくことぐらいはいいですよ」


彼女は目を細めていたずらに笑う。

僕も冗談に乗って彼女の顔をじっと見つめた。

お互い数秒無言になって目を合わせていたが途中吹き出して笑ってしまう。


「十分焼き付けたよ」


「本気にしないでくださいよ!」


僕の肩を軽く叩いて彼女は笑う。

照れくささを紛らわすように僕も笑った。

時間も夕方に近づいてきたのでそろそろ来た道を引き返そうと思った。

鳥居から出て石階段を下りる手前。

この町の景色を眺めることができた。

小さく見える住宅街にきらきらと輝く河川に架かる赤いトラス橋。

僕は毎日この景色の中の一部で生きているわけだが、こうして全体を見ると日常の美しさが凝縮され普段気づかない点が多いことに驚かされる。

今日こうしてユリカと歩いてみて、この町での生活も悪くないように思えた。


「帰るか。ユリカ」


「はい、スミレ君」


また一歩一歩踏み出し、僕たちは帰路を進んだ。


その日の夜。

相変わらず僕は部屋のリビングで座り込んでいた。

28度に設定したエアコンをつけ、こたつに入り机の上に缶ビールと砂糖にまぶされパリパリした触感の子魚とピーナッツのつまみを置く。

内容なんて入ってこないが静かな部屋をごまかすためにテレビをつける。

ユリカはお風呂に入っている。

昨日もだが、変な気はなくて何故か緊張してしまう。

浴室からわずかに聞こえるシャワーの濯がれる音や、体を擦るゴシゴシ音。

得体の知れないもやもや感が頭の中を埋め尽くす。

やがて脱衣所の引き戸が開かれる。

彼女の姿を確認するとまたタオルを首にかけ火照った様子で出てきた。

今日は黒色のコットンズボンと白色のパーカーを着て少しサイズが大きく、歩く度裾を引きずっていた。


「すみません、今夜も1番風呂で」


「いいって。サッパリしたようで何よりだよ」


彼女は笑い、そのわずかな動きでシャンプーの匂いがわずかに香る。

同じものを使っているはずなのに匂いの質が全然違う。


「それにしても疲れた・・・足がパンパンだよ」


「思ったより歩きましたよね。それを引いてもスミレ君は消耗しすぎですね」


「運動なんて絶対やらないからなー」


そう言った後煙草ケースとライターをもって立ち上がり、ベランダに出て吸おうと思った時僕の手が引かれた。

掴んだ主を確かめると訝しげな眼で見つめていた。

物言いたげだが僕の言葉を待っているようだ。


「・・・分かったよ。禁煙するから」


「さっすが素敵です!」


両手を合わせて歓喜の声を上げる。

吸わなきゃ生きていけない程ではないし、あくまでストレス発散のためだ。

今日みたいな日が続けば禁煙も容易にできるだろう。


「そういえばユリカ、夕飯どうする?」


「うーん、何か作りたいんですけど冷蔵庫は空っぽでしたし、買い出しに行きましょうか?」


「そうだな・・・いや、行かなくてもあるかもしれないぞ」


僕はクローゼットの折れ戸を開き中の段ボール箱を取り出す。

中にはフリーズドライのお味噌汁の元、手掲げ紙袋サイズのお米、野菜等の食品が詰め込んである。

実家からの仕送りだった。

一応家族は僕が真面目に大学に通っているという体にはなっているので月に1回程度仕送りをくれる。

でも僕は大抵カップラーメンやつまみになりそうなお菓子、ティッシュといった生活衛生品などを取り出し特に使用しないものは襖に入れている。

今ユリカが手に取り吟味してくれている調味料なんて料理をしない僕は絶対に使用しない。


「うん、材料としては足りると思います。料理しますのでスミレ君はこたつでのんびりしてていいですよ?」


「いいの?何か手伝えることとかない?」


「大丈夫ですよ。家賃の代わりとでも思ってください」


ユリカは胸に手を当て笑って言う。

僕は彼女の料理を待つことにした。

こたつで寝っ転がり少しして目を覚ました。

眠気が覚めるのを待たずに気だるさを抱えながら体を起こす。

変な寝方をしたのか、体の節々が痛んだ。

いてて・・・と頭を抱えながら起き上がる。

視界がぼんやりし、ボーと壁を見つめだんだんと視界が明確になっていく。

その時机の上に違和感を感じ視線を落とす。

そこには焼き魚、味噌汁、白ご飯と暖かいお茶が置いてあった。

何事かと周囲を見渡す。

キッチンから音がする。

僕は匍匐前進でキッチンの方向へ向かう。

2m進んだ所で廊下で止まる。

そこにはユリカが冷蔵庫をごそごそしているのが見える。

ユリカは僕の床にのぺーと広がっている姿を見つける。

目を見開き驚いた表情を見せ迷ったように話しかける。


「料理できたよ。どうしたのその格好・・・?」


リアクションに困っているユリカに思わず笑ってしまう。


「いい匂いがするなーって思って。覗いてみた」


お互い席に着く。

机に置かれた暖かい料理はとてもおいしそうだった。


「おいしいかは分からないですよ?」


ユリカは予防線を張り、しかしどこからどうみてもおいしそうな料理は僕のお腹を締め付けるように刺激した。

僕が早く食べたいと催促し、お互いに手を合わせる。


「「いただきます」」


手始めに味噌汁から口に含む。

汁をそそると同時にわかめと豆腐も入ってきた。

味噌の香りが口いっぱいに広がり温かな汁は喉元を通り僕の胸を幸せな気分にしてくれた。


「うわっおいしい・・・」


そんな僕の反応を見てユリカはホッと胸を撫でおろしていた。

口を少し開け安心した笑顔を見せる。


「うわってびっくりしないでくださいよ」


「ごめんごめん、すごくおいしくてびっくりしちゃって」


それから焼き魚や白ご飯を食べ、もちろんおいしかった。

注いでくれたお茶までこんなにおいしいお茶は飲んだことがないと思った。

実際にすごくおいしかったし、ユリカが作ってくれたから加点された可能性もあった。

それに僕の為に作ってくれたのかなと思うととても嬉しく感じた。


「久しぶりに、こんなに温かいご飯を食べた気がするよ」


「私がいる間は作りますし、今後一人で料理ができたらいいかもしれませんね」


「それは絶対無理かな」


夕食を食べ終え、食器を流し台に置きユリカが洗ってくれる。

僕はこたつに座り込み、テレビから流れるバラエティ番組を見ていた。

出演者は大きな声で自己主張し、体全体を使って大げさにリアクションをしていた。

冷めた心で見ていると無理やりその場を盛り上げているようにも見える。

出演時間の始まりから終わりまで命を削るように自分の感情を奮い立たせ、自分を騙し、視聴者からみんな仲がいいですよと思わるようにニコニコ営業スマイルを振りまいていた。

自分を偽り、感情を殺し、テレビ映りを気にする。

大変な仕事だなぁと客観的に思った。

キッチンから洗い物の作業音が消えユリカがこちらへ戻ってくる。


「それはビールですか?」


彼女はこたつに入り僕の手に持っている缶を興味深そうに見ていた。


「うん。そうだけど。前冗談で僕が勧めた時は興味なさそうだったけど」


「父さんがよく飲んでいたので、あまりお酒の印象はよくないんですけど。スミレ君があまりにおいしそうに飲むので気になりまして」


「そんな風に見えているのか」


「味はどうです?おいしいんですか?」


「そうだなー炭酸ジュースって感じかな。でも味よりは飲んだ後に得られる効果がいいかな」


「なるほど・・・どんな効果があるんですか?」


「思考力が下がって嫌なことを一時的に忘れることができる。現実逃避っていうか、負の感情を緩和してくれる感じかな」


「・・・スミレ君、何か嫌な事でもあったんですか?」


「まあ、全部自分のせいみたいなものだけど。それだけじゃ割り切れなくて。いろいろ変な所があるんだよ。僕は」


「聞かないほうがいいですか?」


「そうだね、恥ずかしくて言いたくないかな」


微笑んで返したつもりだったが恐らく苦笑いに不発しただろう。

ユリカは口を噤む。


「お酒、私も飲んでいいですか?」


彼女は真っすぐに僕を見て聞いてきた。

好奇心を満たすための懇願というよりは話題を振る為に発言しているように思えた。


「お酒は成人してから。未成年には飲ませられないな」


適正飲酒啓発のポスターで書かれてそうな言葉を言う。

ユリカはそうですよねと苦笑する。


「と言いたいけれど僕は高校から飲んでたから注意できる立場じゃないんだなー」


飲酒、喫煙、無免許運転。

ろくでもない高校生活を思い出す。

ユリカは呆気にとられた後笑った。


「スミレ君、不良だったんですね。意外過ぎてびっくりです」


僕の顔を見て笑う。

あまりにイメージと遠いらしい。

僕はキッチンからグラスを取りビールを少量入れユリカに渡す。

受け取った彼女はグラスの中の液体を物珍しそうに眺めた後少量舐めるようにビールを口に入れた。


「どうだ?初ビールは?」


「すっごく苦いです・・・毎日飲む理由が全く理解できないのですが」


「そっかーまだまだお子様だな」


「そういうあなたはおっさんですね」


ユリカはむっとして言い返してくる。

僕は笑い、冷蔵庫から缶を一つ取ってくる。


「じゃあユリカはチューハイにしようか。これならジュースみたいで飲みやすいと思うよ」


ユリカの前にブドウ味のチューハイを置く。

訝しそうにしていたが缶を開け、また少量飲んだ。

ぱあっとした表情から察するに今度はお口に合ったらしい。


「これはすごくおいしいです!確かに炭酸ジュースみたいですね」


「そうだろう。でもユリカの知っているジュースとは違うから、程々にな」


わかってますよと言いながら彼女はジュース感覚で飲んでいく。

しばらくすると案の定。

ユリカは頬をほんのり赤く染め、うとうとして眠そうになっていた。

チューハイだろうと相手はアルコールの耐性がついていない中学生。

酔うのは目に見えていた。

僕は寝室に移動し、敷布団を敷く。

誰かさんと同じようにリビングで転寝させるわけにはいかない。

昨日と同様ユリカにはここで寝てもらおうと思った。


「ユリカー。もう寝ようか?お疲れみたいだし」


「・・・大丈夫です、よ」


「強がるなって」


眠そうな彼女を抱えて寝室に移動させようとした時。 

彼女は両手で僕の背中を包み、子猫のようにじゃれてきた。

その反動で僕は床に倒れてしまい彼女に押し倒されたかのような体勢になってしまう。

これはまずいだろ。

僕の胸元に彼女の温もりや吐息、髪のふさふさした感触など様々な感覚が僕を刺激してきた。

お互いお酒を飲んでおり、理性が弱っている状態だ。

ユリカは顔を僕の胸元から外し顔の前までゆっくりと移動してくる。

両手は首元へ回される。

無防備な表情と今にもとろけてしまいそうな目。

サラサラな髪が僕の顔に当たりくすぐってくる。

まずい、かわいい・・・。


「ユリカ、その手を放せって。じゃないと起きた時後悔するぞ」


彼女は抱きしめた手を緩める気配を見せなかった。

むしろ固く結ばれ僕は身動きが取れない状態になった。


「ずっとこうしたかった。その為に私はここまで来たんです」


僕のほほを片手で撫で、どんどん近づいてくる。


「今のはどういう・・・」


「素直になっちゃえばいいのに。今なら何してもいいんですよ?」


溶けるような甘い声で囁き、吐息が僕の顔にかかる。

お酒の匂いがしたが不思議と不快に感じなかった。

むしろ香水の一種のように感じた。


「僕は、何もしない。ユリカはもっと自分を大切にするんだ」


僕は頬に添えられた彼女の手を触り、静かに下におろしていった。

彼女は目を細め、哀しげな表情をした。

泣いてしまうんじゃないかと慌てたが涙が出てくる気配はなかった。


「どうしても・・・ダメですか?」


最初の誘惑する言い方ではなく、懇願するようだった。

僕の理性が揺らぐ。


「ダメだよ。君は今正気を失っているんだから」


すごくうれしかったし、そのまま欲望に身を任せてしまいたかった。

でもそれ以上に、彼女を汚してはいけないという思いの方が強く働いた。


「じゃあせめて、隣で寝てほしいです。変なことはしませんから。ダメ、ですか?」


僕は迷ったが、結論は彼女の願いを実行することにした。

互いに寝室の敷布団に入り背中を向けた体勢になる。


「スミレ君・・・」


ユリカのか細い声が聞こえる。

部屋の暗闇と背中合わせの為互いの表情は見えず、声色だけで相手の気持ちを判断しなくてはいけない。

今の彼女の声は、とても虚しくて行き場のない声を絞り出したかのようだった。


「どうしたの?」


「私の事、まだ思い出せませんか?」


6年前によく遊んでいた友達。

きっと記憶喪失と共に消えてしまった思い出。


「ごめん、まだ思い出せない」


「そう、ですか・・・」


彼女の声は掠れていた。

やがてすすり泣きが聞こえてきた。


「どうして・・・」


泣きじゃくり、それでも悲しみを押し殺しているような気がした。

そうさせてしまった原因は僕なのだから、どうしてあげることもできない。


「”本物”には、なれないの・・・」


その瞬間、僕の頭で何かが開かれたような感覚があった。

やがて開かれた中から流水が流れ込んで頭をかき乱していく。

頭骨が軋み、広がり、膨張してくるような感覚。

痛みに支配され、目の前が真っ白になる。

今頃部屋の中をのたうち回って叫声を挙げているだろう。

僕は、死ぬのか?

頭が鈍器で殴られたような鈍い音が頭の中に響き僕の感覚はそこで途切れた。

瞼から薄い光が差し込んでくる。

眠っていたのだろうか?

僕は目をわずかに開くが四肢を動かすことはできなかった。

口に何か冷たいものが流れ込んでくる。

喉を通り、下に落ちて体全体に行き渡っていくような感覚。

視界がはっきりしてきて音もわずかに聞こえてくる。

目の前には紺色の上衣に白いスカーフ。

わずかに聞き取れた音は「”ごめんなさい”」と離れていく足跡。

僕はまた視界が暗くなり暗闇の中へと落ちていった。


朝、僕は寝室で目を覚ました。

辺りは散らかっており壁のへこみやグラスの割れなど暴れたような跡があった。

そしてすぐに気づく。

彼女の姿は無かった。

慌てて部屋中を探したがどこにもいなかった。

いつものリビングにあるローテーブル。

机には1枚の紙きれが置かれてあった。

それは彼女の書置きだった。


<実家に帰ろうと思います。ご挨拶もせずすみません。今日までお世話になりました。記憶の件ですが、よく考えれば私の勘違いでした。ご迷惑をおかけしすみませんでした>


これが何を意味するのかを僕は察した。

別れの手紙。

もう二度と、ユリカと会えることはないのだと。

それを理解した瞬間、僕の思考は停止して何も考えられなくなる。

そうして彼女がいなくなった喪失感が僕の胸を締め付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る