第5話 自分だけの記憶


僕が高校生の頃。

受験勉強で忙しい人、最後の部活動に情熱を燃やす人、カップルで最後の制服デートを楽しんでいる人、男又は女友達同士でたわいもない会話を楽しんでいる人。

どこのグループにも属さず教室の自分の机の上で読書や周りの目を避けるように突っ伏して寝る人など様々だ。

多くの人間が集まれば人間関係は複雑になり、派閥を作り、見えない階級やボーダーラインなんかもできる。

学生がそれぞれの社会を作り出し周りをその中に丸め込もうとする。

その社会に準じて、決められてもいないルールやモラルなんかを感じ取り察して生活していく。

それは大人の社会より歪で汚いのかもしれない。

僕はそんな風習に吐き気がして小中学生の頃も蚊帳の外ではあったのだが、高校になれば反発精神が盛っており大げさに従うことを避けていた。

当時はホリという、友達には満たないが同じ学校に対する反抗心を抱いた友がいた。

僕たちはよく授業をサボリ屋上や体育館の裏、グランドのはずれにある部室の裏で煙草を吹かしたり二人でトランプをしたりした。

ある日は学校を抜け出しゲームセンターに行き硬貨をひたすら投函していく無意味な作業を永遠に続けたり近所の家の呼び出し機を鳴らしすぐに逃げるピンポンダッシュをしたり他校の生徒に卵を投げつけて逃げ、白身でドロドロに汚してやったりロクなことをしていなかった。

不良、といえばそうなのだが悪意や悪戯心でするというよりは暇つぶしで仕方なくやっていた状況だった。

僕たちはお互い今の学生生活に対する反抗心といった部分で共感できていた。

幼いころに母親を亡くしており、父親が仕事漬けで家庭干渉が一切なかったことも似ている点ではあった。

それ以外の共通点は特にはなかったが、僕たちにはそれで十分だったのかもしれない。

軽犯罪に手を染めるときもあった。

近所のスーパーでお酒やお菓子を万引きして少し歩いた公園で0円パーティーをして未成年の酒盛り、喫煙、移動はホリの父親から借りているセダン車だった。

彼の父親は会社の経営者で多くの車を所有しておりそのうち一台をホリに渡していた。

免許も取っていないし法的手続きなんてしているわけがなかったがキーを渡され、将来使いなさいともらったらしい。

父親は普段仕事で会える日はないに等しく実家はホリの一人暮らしに近い状態だった。

その為車を使用することを咎める人は誰もおらず、いいおもちゃができたようにホリの遊びに活用されている。

無免許で飲酒運転。

この時点で軽犯罪の域を越してしまっただろうか。

ホリが片手にタバコを吸いながら窓も開けずにセダンを運転し、助手席では僕は缶ビールをぐびぐびと飲んでいた。


「新幡は生きていることをどう思う?」


しばらく無言が続いていた為唐突の質問に反応が遅れてしまう。

ホリはよく哲学的な会話を好んで振ってくる。

この世界はなにでできているかとか、死後の世界は存在するのかとか。

そのたびに僕は真面目に受け止めず思ったことをそのまま口に出して伝える。


「生きるっていうのは義務だと思うぞ。両親が愛をはぐくみ何億匹の精子の中から唯一選ばれた存在なんだ。僕たちはその何億分の生まれていたかもしれない精子たちのためにも生きなくていくんだ」


ホリがなんだよそれと失笑する。

僕も自分で言いながらそう思った。

そんなくだらない会話を積み重ねていく。

それが僕たちの日常でもあった。


「ホリにとってはなんなんだよ?生きるっていうのは?」


「俺にとって生きることは蛇足だよ。生きているのが不思議な存在だと思うし、今この瞬間急に死んでもおかしくない。だから生かされているって言い方が正しいのかな?神様のきまぐれで生まれて死んでいくんだ。これが蛇足以外のなんなんだろうな」


「なるほど・・・」


ホリの考え方は独特で、周りと物事の見方が違っている。

毎回回答を聞く度にそんな考え方があったかと関心を抱いてしまう程だ。

教室にいる人間で最初は一人一人の考え方は違っても、誰かが意見を言えばそれに便乗する人間が現れ次々と誰かの意見に染められていく。

集団生活において気持ち悪い部分の一つだ。

誰もが自分というものを持っていないのだ。

それに比べて今横で煙草を灰皿に入れ缶ビールに持ち替え堂々の飲酒運転をキメているホリは自分の考えをしっかりと持っており、決して他人に便乗したり考えを曲げることをしない人間だ。

僕はそんな彼の強い部分に魅かれていたし、気づけば憧れの存在になっていた。

ホリにもっと人として近づきたい。

そして僕自身もホリに関心を抱かれるような存在になりたい。

僕の青春は勉強・部活・恋愛といった王道ではなくホリと対等の存在になりたいという思いで必死だった。

僕たちは目的地のないドライブを延々に続け、たまにコンビニに止まり煙草を吹かし、また車に乗り再開する。

ドライブをしている内、僕は目がしょぼしょぼして瞼が重くなりいつしか眠っていた。

目が覚めたころには辺りは真っ暗でフロントガラス全面に擁壁が広がっていた。

運転席を見るとホリの姿は無かった。

僕は扉を開け重い体を無理やり起こし肌寒い外へと身を晒す。

そこは海岸沿いの防波堤だった。

波が岸に当たる音が聞こえ、周りは真っ暗だが唯一照明の明かりが見えた。

そこに人影が伸びており煙も上がっていたのでホリの居場所を特定することができた。

僕の身長よりも1.5倍くらいの高さの防波堤をよじ登り、ホリの方へ近づいていく。

擁壁を登れば海風が強く当たり、危うく足元を踏み外しそうになる。

慎重に外灯の位置まで近づいていく。

案の定ホリはその下で防波堤と海の境目に座り込み、足をプラプラさせながら煙草を吹かしていた。

ホリはヘビースモーカーだ。

吸っていないと禁断症状を起こして自ら命を引き取ってしまうんじゃないか。

海の遥か彼方を見つめるその姿は獲物を定め伺っている狼のようだった。

僕が歩いて近づいてくる足音に気付いたのかホリはこちらを向く。


「お、坊ちゃんお目覚めかい」


おもしろそうな様子でホリはにやける。


「気づいたら意識を失っていてな。僕なにか変なこと言ってたか?」


「別に、いびきかいてただけだよ」


ははっとホリは小さな笑いをこぼす。

僕もつられて失笑してしまう。

そっかと波の音に負けそうなくらい小さな声で返事をする。


「ここ、親父ときたことあるんだよ」


ホリは静かな語り口調で話す。

彼は煙草の煙を吸い、空に向かって吐き出しその煙の行方を見つめていた。

僕も胸ポケットから煙草を取り出し、ホリがライターを持った手を差し出す。

口にタバコを加えた状態で火をつけてもらう。

海風に当たりながらの一服は特別おいしく感じた。


「親父がまだ家に帰ってこれた頃。趣味で釣りにハマっていた時期があってな。よく釣った魚を持って帰って母さんに料理させてたよ。自分は魚食べられないのにな、不思議だったよ」


釣り好きには変人が多いという。

その理由の一つでよく聞くのは魚は嫌いだけど釣るのは好き。

食よりは狩りに赴きを向けているんだろう。


「一回だけ俺もついていったことがあってな、まさにこの場所にきて親父が用意した道具で、やり方は理解できなかったけど話半分で聞いてとりあえずやってみたんだ。親父も隣でやっていたんだけど、お互い釣れなくて暇で仕方なかったよ。俺は初めての釣りだったからもっと魚ってのはじゃんじゃん釣れるもんかと思っていたんだけど、甘かったよ。親父に不平を漏らすと釣りは我慢だなんていうんだ。まったく理解できないし内心早く帰りたくて仕方がなかったよ」


「それから数時間粘って当たりはない。何か引きを感じてよしきた!ってリールを思いっきり回したら親父の釣り糸が引っかかっただけでな。絡まった糸を治す作業に何十分も時間を取られたよ。それから再開したんだけど、結局最後まで釣れることはなくってな。諦めて帰ることにしたんだよ。帰りの車でも特別親父とは会話もなかった」


一見何の面白みもないような話。

でも、とホリは続ける。


「それが親父との一番楽しい思い出なんだ。唯一一緒に出掛けて多くの時間を共有できた日。普段は仕事漬けで会うことなんて滅多にないし、家の中でたまたま遭遇してもお互い何を話してもいいか分からない。親子の縁なんて等に腐っているんだと思うよ。この場所は、そんな幼少期の俺が過ごした特別な場所なんだよ」


ホリは崛起のない笑顔で笑った。

ここまで嬉しそうなホリは初めて見た気がした。

僕はホリをとても羨ましく感じた。

今親父さんとの仲はどうなのかは分からないが、当時の記憶がしっかり刻み付けられていてそれを思い返せるような特別な場所がある。

思い出に浸れることを僕は心底幸せなことなんだろうと思ってしまう。


「よかったな。今日この場所に来れて」


「そうだな。一人じゃだるくてここまで運転できないからな。今日お前がいたからこれたんだと思う。お前寝てたからわかんないかもしれないけど2時間はかかったからな。親父もたかだか釣りでここまで来ておまけに釣れないなんてどんな顔で家に帰ったんだろうな」


ホリは当時の思い出を馳せるようにバカだなーと笑う。

なんだ、そんな顔で笑えるんじゃないか。

普段は不敵な顔で不気味に笑うくせに。

おそらく今後見ることができない彼の汚れなき少年のような笑顔を目に焼き付けた。


「俺たちのような生まれて間もないようなガキでも、案外そんな思い出の1つはあるもんなんだよ。新幡にもないか?他人が聞いたら理解できないけど、自分にとっては大切な話。俺の防波堤のように、お前にとっての特別な場所っていうのがあるんじゃないか?」


そんなのあるわけないだろっと言いかけたところで自分の記憶の一部が引っかかった。

そういえば・・・。


「あるにはある・・・な。でも、これ聞いてお前楽しくないと思うぞ」


「お互い様だろ。お前も途中つまんなさそうに聞いてたじゃねえか」


ホリが先ほどしていた満面の笑みは失われ、いつもの不敵な笑顔に戻っていた。

僕は何か特別な思い出をこの時ホリに語ったと思う。

でも何のことを話したのかは全く覚えていない。

ただ、ホリからお前らしいよと言われた。

それからずっと地平線の彼方を二人で眺めていた。

そのうち太陽が昇ってきて辺りが明るく照らされた。

目が焼かれるような眩しさに怯みながら世界は明日の色に染められていく。

帰るかとホリが言い、短くなった煙草を海に投げ捨てる。

僕の返事も待たずに自家用車の元へ歩き出した。

僕も数秒遅れてホリと同じような行動をとった。

また二人のどうしようもない空虚な一日が始まる。

当時は特別感じていなかったが、今思い返すとあのどうしようもないホリとの生活が楽しかったのだと思う。

僕は変わらず廃れているが、ホリと一緒にいた頃は何とも言えない自信というものを持っていた気がする。

それがホリとの友情関係なのか、お互いの似ている部分を理解し尊重しあうことができたからなのかは分からない。

ハブられ者同士話せる相手が選べなかったのかもしれない。

それから変わり映えのない僕らの堕落した生活を続け、高校生活が終わった。

卒業してからはホリとは会っていない。

お互い別々の道を行き、離れ離れになり接点が無くなったからだ。

その時驚いたのはホリと会えなくなった数か月で寂しいと感じたのだ。

でも、また会いたいという感情とは違っていた。

あの高校生活に戻りたいとは微塵も思わない。

理由は分からないけれど、ホリとの日々は記憶の中だけに留めておきたい、余計な出来事を蛇足に付け加えたくないと思ったのだ。

それがホリの言う「他人が聞いたら理解できないけど、自分にとっては大切な話」なんだろう。


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