第4話 訪う少女


「うぅうぅ・・・」


自分の声が聞こえる。

眠くて気だるそうだ。

徐々に意識を取り戻していき視野が世界を認識し始める。

あぁ、いつものリビングか。

僕はまたカーペットの上でうたた寝していた。

なんだかとても長い夢を見ていたような。

でも、具体的な内容はまったく思い出せない。

何で夢は起きた時には忘れているのだろう。

見たことは覚えているし、断片的な記憶はわずかに残っている。

今だと小学校?道徳?これだけだと内容の想像すらできない。

記憶とは不便なものだ。

体を起こし結露水が室内に滴っている窓の外を見るとミストシャワーのような雨が降り注いでいた。

今日はずっと中で過ごそう。

エアコンの電源を入れこたつもコンセントを入れる。

テレビをつけて適当なバラエティ番組にチャンネルを合わせた。

お腹に何か入れようと冷蔵庫からコンビニで買ったチキンを食パンにはさんでちょっとしたサンドイッチを作る。

インスタントコーヒーと一緒に机に持っていき少しずつ口にほおばっていく。

狭い部屋にわずかな生活音だけが聞こえる。

あまりにも静かで空虚だが、わずかに安らぎを感じる。

人と接しないのは寂しく感じることはあるが余計な人間関係や他人への依存やしがらみなどがこの部屋にはない。

それは心の現状維持で変化をしない、ゆったりとした時間が静かに流れていくリラクゼーションだ。

そんな取るに足らない生活を続け、数日が過ぎたある日。


<ピンポーン>


久しぶりに部屋のインターホンが鳴った。

来訪者の心当たりは一切ない。

訪問営業でも来たのだろうか?

こたつの中で寝そべっていた僕は出るのが億劫に感じたのでそのまま居留守してやろうかと思った。

インターホンが再び鳴らされることはなかったが、念のためいなくなったことを確認だけしようと思い体を起こす。

ドアスコープを覗くと見覚えのある人物が立っていた。

僕は慌てて玄関ドアを開ける。

そこには何日か前にバスで話しかけてきた少女、ユリカが呆然としていた。

外の雨で体は濡れており、髪の毛先から水が滴っていた。


「・・・お久しぶりです。スミレ君」


震える唇からかすれた声が出る。

体を縮ませ寒そうに震えていた。


「君は・・・っというかその格好!とにかく入って!」


彼女を玄関口に入れ、僕は洗面所からフェイスタオルを取ってきて手渡す。

タオルで受け取り水分を拭き取っていったが、シャツや下着といった衣服も恐らくびしょ濡れだろう。


「ユリカ、その恰好じゃ風邪を引いてしまう。お風呂でシャワーだけでも浴びた方がいいと思う」


「悪いですよ・・・急に押し掛けた上にそこまで」


ユリカは申し訳なさそうに言った。

玄関先での立ち話を予想していたのかもしれないが、その姿を見ると放っておけなかった。


「大丈夫だよ。着替えは僕のジャージを貸すけど、それでいい?」


僕と彼女の身長差は15cmくらいだろうか。

ぶかぶかにだろうが入らないよりはいいだろう。


「すみません・・・ありがとうございます」


彼女は軽く頭を下げ礼を言った。

迷惑に感じられただろうか。

でも仕方ないだろう。


「さ、お風呂はこっちだよ」


僕は手招きして彼女を誘導した。

洗面所の引き戸を開け彼女は中に入る。


「今の服は洗濯機に入れておいて。また着替えはそこらへんに置いておくから」


「何もかもすみません」


笑顔で笑いかけ、引き戸を閉める。

僕は和室に置いてある押入れを開きユリカが着れそうな服を探す。

リラックスできるような楽な服装で女性が着ても違和感のない部屋着。

そんなものがあったけなと探していると高校生の頃ネットで購入したジャージが入っていた。

上下白のデザインで腕筋、チャック、ズボンの折り目に沿って赤色のラインが入っている。

僕にはあまりにも似合わなかったので購入してから一度も使ったことがないジャージだ。

とっくに捨てたものかと思っていたが、まさかアパートに持ってきているとは。

これでいいか。

問題は下着だった。

僕の使用している下着を貸すのも気持ちが悪いと思うし。

だからといって何も着用させないわけにもいかない。

仕方がないので近くのコンビニに買いに行くことにした。

玄関の鍵を閉めビニールの傘を差し徒歩5分ほどで着く。

普段は僕の食料を調達する場所だ。

女性の下着はデリケートなので取り扱いはしていない為、男性用のものしかなかった。

半袖の黒いVネックシャツに黒のトランクスを手に取る。

ユリカには申し訳ないが、彼女なら多分何も言ってこないだろう。

後は適当な冷凍食品やビールといった飲み物を籠に詰め精算をした。


部屋に帰り着替えを持って洗面所の引き戸に手をかける。

開けた時シャワーの音と浴室折れ戸の面材から若干彼女のシルエットが映る。

片手でシャワーをフックにかけ頭から流していき、片方の手で髪をかき上げ洗っているようだ。

ついつい気になってじっと見てしまう。

自分の愚行に気付きジャージを置き、逃げるように洗面所を後にした。

その後僕はリビングに戻り、いつものポジションで壁にもたれかかりテレビの電源をつけた。

数分後、洗面所の扉が開き彼女が出てきた。


「お風呂ありがとうございました。とてもサッパリしました」


少し嬉しそうにしながらこちらへ向かってくる。

暑いシャワーを浴びて顔はほんのり赤みを帯びておりほっぺや耳、唇といった部分はみずみずしく潤っていた。

首元まで伸びている髪は水分を吸い重くなっており、若干毛先でカールをしていた髪はさらに巻き上げられかわいらしい輪を作り出しているところもあった。

少し濡れた髪を首元にかけたタオルでごしごし拭いていた。

白いジャージは少しぶかぶかで歩くとき裾を引きずっていたが、彼女のか細い体を覆い隠す格好になっておりそれがまた何とも言えない可愛らしさがあった。

腕のところも手が半分くらい隠れており指先で裾を握り萌え袖みたいになっているのがいい。

全体的に子供から大人に変化する過程の途中なのか、少し色気を感じてしまう。

この子はかわいいなと思わず感じてしまう。


「そうみたいだね。着替えのサイズ大丈夫だった?大きすぎない?」


ユリカは首を小さく横に振る。


「とても着心地がいいです。下着も買ってきてくれたんですよね。わざわざすみません。あの、なんてお礼をしたらいいか・・・」


「全然いいって。気にすることないよ」


座りなよと絨毯ん招き、失礼しますと僕から机の1つ角を挟んだ左横に座った。


「何か飲むか?」


「水を、いいですか?」


「おっけ。お酒とかじゃなくて大丈夫?」


もちろん冗談だ。

単純に自分が飲みたかっただけなのだが。

少女の前で飲むのは気が引ける。

未成年ですよと彼女は微笑みながら返す。

最初出会った日より表情が柔らかくなったように感じた。

僕も笑い返す。

水を台所から注いできて彼女の前の机に置く。


「君、何歳だっけ?」


「15歳です。だからお酒はダメです」


「そうだよなー。そっか15歳か。やっぱり飲んでみたいとか好奇心はあるの?」


「あんまり思いませんね。でも大人は飲む人が多いですからやっぱりおいしいんですかね?」


「飲んでみるか?おいしいぞー」


「だからダメですって」


僕はフッと笑いが噴き出てしまう。

少し前までは彼女と同じ純粋な時期があったなと懐かしく思ってしまったのだ。

彼女ぐらいの頃には少なくとも同じ考えだっただろう。

でも周囲の環境になじめず、劣等感に押しつぶされそうになり、いつしか逃げる手段を僕は探すようになった。

それで手を付けたのが煙草とお酒だった。

20歳になってからは合法で止める人もいない為、お手頃な現実逃避の道具として服用し続けた。

ユリカには純粋なままでいてほしいな。


彼女は水の入ったコップを口元へもっていき少しずつ飲んでいく。

一呼吸して落ち着いたところで話を切り出す。


「それで、どうしてここに来たの?」


彼女の顔が強張る。

あの日の僕らの別れ方は寂しいものだった。

また会おうという流れでは少なくともなかった。


「ちょっとした家庭の事情で家を出てきて・・・。ごめんなさい。今家に帰ることはできないんです」


「喧嘩、とか?」


「私の家、父が暴力をふるうんです。お母さんが私をかばってくれていたんですけど、それも限界で最近いなくなってしまったんです。私、あの家に父と二人でいるのが怖くって。だから、逃げ出してきたんです」


「そうだったんだ・・・」


家庭内暴力。

彼女の心の傷を開かないようこれ以上詮索することはやめた。


「友達の家とかだとばれる可能性がありますし、友達の親が引き取るよう父に連絡するかもしれません。その時思い出したのがあなただったんです。・・・また記憶を失う前の話で申し訳ありませんが、私の知っているあなたならきっと守ってくれると思って」


「それでわざわざこんなところまで・・・」


傘もささず走って逃げだしてきたんだろう。

どれだけ怖い思いをしたのか想像もつかなかった。


「大丈夫。君がここにいることは誰にも言わない。気が落ち着くまでここで泊まっていけばいい」


彼女の顔が明るくなる。

でも目は涙で溢れ頬を伝っていった。


「あり、がとうございます・・・信じてよかったです・・・」


悲しそうに、辛そうに、それでも笑っていた。

純粋な少女をここまで追い詰めた奴を許せなかった。

僕はボックスティッシュを取り彼女の側に置く。

しばらくそっとしてあげよう。


数分後、彼女の方からキューというかわいい音が聞こえた。

彼女自身もその音に気付き恥ずかしそうにしていた。


「何か食べるか?」


おもしろくてついにやけながら聞いてしまう。


「安心したらお腹が空いちゃいました。何か作りましょうか?」


「いいのか?別に僕が何か持ってくるから休んでていいんだぞ?」


「それくらいやらせてください。もうだいぶ回復しましたから」


そう言ってユリカは立ち上がりキッチンの方へ向かっていった。

僕も材料や器具の場所などを教える為ついていった。

ガスコンロ下の建付けの悪い棚からフライパンを取り出し、それをガスコンロに設置すると冷蔵庫を開ける。

ビールとつまみで溢れて不健康の極まりなくとても女の子には見せられる中身ではなかった。

つまみのチーズエリアで埋もれているバターと砂糖の入れ物を取り出し、横のトレイから牛乳、卵を取り出す。

材料を取り終え冷蔵庫をしまうと電子レンジの上に置いてあるプラスチックの箱のふたを開けその中から食パンを取り出す。

後は大丈夫と言われ僕はリビングに戻り料理の完成を待った。

数分後、パンケーキのおいしそうな匂いを漂わせながらユリカが持ってきた。


「15時のおやつですよー」


ナイフとフォーク、ミルク多めのホットココアと蜂蜜や黒あんみつも机に置かれた。

普段なんでもコンビニで完成した保存食品で済ませている僕は久しぶりにこんなに温かい食べ物を見た気がする。


「おいしそうだな!それじゃ、いただきます」


僕は黒あんみつをかけナイフで一口サイズへカットし口元へ運んでいく。

あんの甘さとパンの温もりが口に広がりほくほくとした触感を楽しみながら喉に通していった。

ユリカは味の感想を聞きたいのか、僕の反応を伺っていた。


「最高のおやつだよ、すごくおいしい」


その言葉に満足したのか、彼女は微笑んだ。


「よかったです。どんどん食べてくださいね」


彼女もフレンチトーストに手をつけていく。

その時不思議な感覚を覚えた。

誰かと一緒に食事をすること。

なんだか楽しくて、体中がくすぐったくなる。

胸が暖かくて締め付けられるようなこの気持ち。

小さな幸せみたいなものを感じた。


「・・・本当に、おいしいよ」


「私もそう思います」


彼女は自画自賛をして悪戯っぽく笑う。

そして次の話題を探すように部屋の周りを見渡し始めた。


「いつも、この部屋で何をしているんですか?」


その時ぎくりとした。

彼女は単純な質問をしたつもりだろうけど僕にとっては痛いところを突かれてしまったと思わざるを得ない。

隠してもばれるだろうから、正直に答えることにした。


「今座っているリビングでテレビを見てビールを飲んで眠くなったら寝て、一日が終わるのを待っているんだ。それを毎日続けている」


普通の人が聞けば引いてしまうような話だが、ユリカは顔色一つ変えることはなかった。


「寂しくは、ないのですか?」


ユリカの声のトーンが低くなる。


「さぁ、もう慣れちゃったから。でもたまに街を歩いてすれ違う人達を見ると、自分にももしかしたらあんな未来があったんじゃないかって想像してしまうな」


ちかちかしているシーリングライトを眺めながら、僕は口調をゆっくりと、平然を装うかのように話す。


「悲観するには早いのでは?あなたはまだ若いでしょう」


「今更若さでどうこうならないよ。今までだって、僕はいつも一人だった。20年間の積み重ねで形成された人格だ。あと残り短い若さなんかで改善されないよ」


はっきりとした否定をする。

あの時だって、結局僕は一人を選んだ。

泥沼から抜け出せそうだった、手を差し伸べてくれたのに。

それを振り払い、また沼の中に飛び込んでいったのだ。

もう体が自然と孤独を欲しているのだろう。

その時ユリカの表情が変わっていることに気付く。

目が普段より光っており、口元を若干開いて僕をまっすぐと見つめていた。

その表情に何か懐かしさを感じてしまう。


「新幡さんは一人じゃありません。あなたに救われた人がいることを忘れないで下さい」


ユリカは必死な様子で語りかけてきた。

彼女の顔は僕の目の前まで接近しており、それに気づいた彼女は頬を少し赤らめ静かに自分の位置へと戻っていった。

でもその一連の行動を見ると同情といった類のものではなかった。

過去に彼女と何があったのか、今の僕には知る由もなかった。

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