第3話 淡い本物
小学校。
少年少女教育機関。
まるで監獄だった。
生まれた家柄や経済性、体格や性格といったステータスが全く違う少年少女が集められ、同じ校内に押し込まれる。
そこで起こる複雑な人間関係やそれぞれのグループや派閥程めんどくさいものはない。
特に同じ学年内やクラスでは暗黙のカースト制度があり、そこで上位に立てば立つほど発言力が強い。
上位の中でも上位に立つものは特に強く、まばらにあるグループを束ねるような中心的存在になっている。
あのクラスを会社で例えるなら先生が部長、カースト制度のトップに君臨する者が統括課長、後は複数あるグループのリーダーが細々といる感じだろうか。
カースト制度の後ろに行くほど曖昧な表現になってくる。
なぜなら誰がリーダーなんて明確にされていないしあくまで個人の感覚にゆだねられるからだ。
一人ぼっちの僕は間違いなく平社員かそれ以下だが。
リーダーの周りには必ず取り巻きがいて、一緒にいないと死ぬんじゃないかと思ってしまう程依存されていた。
グループの中心をリーダー。
グループの取り巻きをガヤ。
僕はそのどちらにもなれなかった。
ならなかった、と言えば聞こえはいいだろうか。
ただ、僕はある期間だけ唯一誰かと関り心を共にしたことがあった。
それぞれのクラスには僕の様に誰とも接触せず、ただ席に座って石のように固まっているような人間が一人はいたと思う。
実際小学生高学年のどこかで所属したクラスでは僕以外にも一人で過ごしている少女がいた。
どんな状況でも表情をピクリとも変えず、机の椅子に張り付いたまま一切動かず、声も発さない。
変化のない、石のような少女だった。
黒髪がストレートに肩甲骨まで下りてきており、肌色は白く細身。
前髪は長く、目にかかっていた。
紺色のスカートに白色のポロシャツの上に黒色で赤いラインが特徴的なセーラージャケットを着ていた。
小学校の規則で私服着用は大丈夫だったが、少なくとも少女を見始めてからはずっと学校の制服を着用していた。
不気味で一人机に座り込み、周りが私服の為制服を着ていると変に目立っていた。
これは大人になっても変わらないと思うが、些細なことでも多数の人間と違う行動をとってしまうと異常としてみなされ、人格そのものをあらゆる方向から否定され多数の人間に袋叩きにされてしまう。
それと同じ原理で、彼女はクラスにいる一部のグループからいじめられるようになった。
彼女の身にまとうもの、使用するものは全て痛々しいほどボロボロにされそれはいじめの過激さを物語っていた。
それでも少女が表情を変えることはなく、いじめを受けても次の日には何事もなかったかのように学校に登校してくる。
それがいじめる側の人間の神経を逆なでしたのだろう。
日に日に彼女のいじめはエスカレートしていくのが僕でも分かった。
実は、僕も一応いじめられていたかと言われればいじめられていた。
ただし直接的にいじめられる彼女に対して僕はいかなる時でも相手にされず無視され続けるタイプのいじめだった。
誰も目を合わせてくれないし、距離を大幅に取られる。
先生ですら出席を取る際は名前を呼ばない、日直は出席番号順だが自分の番を飛ばす、掃除や委員会といった役割を一切与えない。
本当に僕は空気になってしまったのか?と錯覚してしまうくらい誰にも相手にされなかった。
でも、彼女が受けている仕打ちと比べたら十分マシに思えた。
彼女と同じにしていいのか分からないが、僕たちは学校にいじめられていたのだ。
でも悪いことばかりじゃなかった。
僕は放課後になると、必ず訪れる場所があった。
近所にある河川敷。
川沿いに自分より背の高いヨシをかき分けながら川の方向へと進んでいく。
ヨシを手で押しのけながら歩くのはうっとおしかったがその先にある景色を見るとそんな苦労どうでもよくなってしまう。
押しのけた道の先に開けた場所に出る。
その場所から見える景色はまるで絵画だった。
夕日がわずかに雲に隠れているが、その雲の切れ間から光が漏れ、光の柱ができていた。
光の柱は複数あり放射状に地上へ降り注ぎ、天使でも降りてきそうな雰囲気を出していた。
その光に照らされ反射して光る川面とその景色を一望できる一枚板のベンチが置いてあった。
オレンジ色の空と川から吹いてくる肌触りのいい風が気分を爽快にさせてくれる。
この場所は僕の秘密基地のようなものだった。
前までは一人でベンチに座りここから景色を眺めていたが最近は一人ではなくなっていた。
ベンチにはもう誰かが座っていた。
僕たちはいつもここで待ち合わせをしていた。
彼女は黒い髪をなびかせ、放射状の光の方向を見つめていた。
僕は彼女に近づいていき、その足音で気づいたのか彼女もこちらを見る。
いつも無表情の彼女は笑っていた。
「遅いよ。新幡君」
快活な声で話しかけてくる様子は教室で固まっている少女とは似ても似つかなかった。
「ごめんごめん、でも●●が早すぎるんだよ」
僕は彼女の隣に腰掛ける。
そして彼女が見ている方向を僕も見る。
「今日はまた一段と綺麗な空だね。普通の夕日よりも幻想的な気がする」
「やっぱりそう思うよね!天使でも降りてきそうだね!」
僕と同じことを考えていて思わず笑ってしまう。
あと数分で消えてしまう光景。
その儚さと美しさに僕の心は吸い寄せられるように釘付けになっていた。
「今日は大変だったね。大丈夫?」
「・・・うん。さすがに少しつらかったけど、大丈夫」
それは今日学校で受けたいじめの事だった。
その日は習字の授業があった。
終わってすぐの休憩時間のことだった。
いじめグループの一人がぐしゃぐしゃにボール状にされた新聞紙を彼女に投げた。
習字の時間に使用してできた新聞紙のごみだった。
その新聞紙には墨汁がついており、彼女の白いポロシャツに当たった。
黒い痕が肩の位置に付着しその様子を見ていじめグループは満足そうに笑っていた。
それでも彼女は表情を変えず、汚れを気にする様子も報復をしようともしなかった。
その無反応を面白がったのか。
またいじめグループは同じように墨汁が染みついた新聞紙ボールを彼女に向かって投げつけた。
制服以外にもランドセルや机の上に置いてあった教科書、さらには隣の席の人にまで被害は及んだ。
自分がここにいたら周りに迷惑がかかると察したのか。
彼女はそっと席を立ち、教室を出ていった。
次の授業が始まるころには戻ってきていたが、墨汁の汚れが取れていることはなかった。
誰も彼女の姿を見ても気にも留めなかったし、先生もいつものことねと相手にしなかった。
投げられた新聞紙と教室内で散った墨汁の汚れの拭き掃除は彼女が行っていた。
彼女の席の近くに座っていた人は墨汁汚れの2次被害を受け、何故かその人たちは被害者である彼女を責めた。
いじめグループに言っても勝てないし、自分もいじめの標的になる可能性がある。
弱い立場の彼女が彼らの不満のはけ口となった。
あなたがいるから今回みたいなことが起きる。
あなたさえいなければ。
そんなことを言われていた。
「放課後、新幡君とここで会えるから。本当に大丈夫だったよ」
困った表情で、でも無理やり笑っていた。
その笑顔を見て僕は後ろめたい気持ちになる。
僕はクラス内でただ彼女のいじめを見ているだけだった。
黙認している時点で、彼らと同じ加害者だ。
だからこそ、今この場で彼女と接して話すことはせめてもの罪滅ぼしの思いがあった。
決して彼女の心を救おうとしていたわけではなく。
自分は彼女をいじめていないという自己保身の思いが彼女と関わるきっかけだった。
「そういえば新幡君。6時間目の道徳の時間、宿題できそう?」
「宿題・・・そんなのあったけ」
彼女はあきれて笑っていた。
「もう、また上の空だったの?ほかの授業は真面目なのに、道徳だけは本当に興味ないんだね」
「まぁ、そうだな」
道徳。
これこそ洗脳教育の塊だと思っている。
他の授業も押し付けみたいなところがあるが。
道徳は全ての授業の中でも群を抜いておかしいと思った。
国語、算数といった普通の授業は将来利用するかも分からない内容を毎日ひたすら頭に詰め込められる。
自分のやりたいやりたくないなんて関係なく。
ただ毎日言われた通りに教科書を開いてノートに書き写していくルーチンワーク。
まるで機械にでもなっている気分だ。
でもそれらは教育のレベルが階段のように積み重なっていくにつれて高校、大学受験という人生の岐路の際活かすことができる為無意味と言い切ることは決してできない。
まあ僕にとっては教室という檻の中で無心になって作業できるいい暇つぶしくらいにしか思っていないが。
だが道徳は別だ。
道徳はテーマを与え、その主題に沿って考えさせる。
個人、グループになって話し合い、最終的には意見を発表していく。
そしてまばらに出た意見を先生がまとめ上げ、仕上げに入る。
先生、そして多数の思う答えを言えたら尊重される。
でもその意見が多数の考えと大きく反するとき、それは否定され弾劾される。
「そんなことは聞いていません、質問の意図を正しく理解してください」や「常識外れだ。良識が欠けている」など。
意見の尊重などされず、ただ多数の気に入った意見と多くの人間によって選ばれた答えが正解とみなされる。
少数派は自然と行き場を失くし、多数派の意見に賛同せざるを得ない。
洗脳教育。
これ程この言葉が似合う授業は他にはないだろう。
「あんな授業。受ける価値ないだろ」
彼女はうーんと肯定でも否定でもないような反応を示した。
当時の僕はこの持論はに自信を持っていた。
自分は間違ったことは言っていない。
きっと彼女なら同調してくれる。
「確かにそうだよね。先生のお気に入りの答えばかり選抜して。耳障りのいい言葉ばかりを並べて。それが正しいことのように押し付けてくる」
でもね、と彼女は続ける。
「私はこうも思う。あいつらは同じ意見ばかりいう有象無象。まるで人をコピーしたかのようなつまらない人間。でも私たちはしっかりと自分の意見を持っている」
「でも公にそれを発言することができない、させてくれない空気があの空間には作り出される。多数派に反論する人はいつだって気の強い人だ。僕たちは多数派に流され自分の意見を押し殺している。つまらない人間なんて、人のこと言えないんじゃないか」
彼女は首を横に振る。
そして僕を諭すように真剣な顔つきになる。
「多数派に成り下がったわけじゃない。発言することはできなくても、いつも心の内に秘めている。表に出すことはできなくても、思い続けている限り私たちの心は”本物”だよ」
”本物”。
その言葉が僕には衝撃的だった。
あまりにも痛々しい発言に思えたからだ。
彼女の目は僕の視界に固定され一切ぶれない。
信じられなかったが、この子は本気で言っているんだという証拠だった。
「本物なんてあるわけないよ。人の心なんてケースバイケースで考えることが常に変わっていく。要は心の持ちようが問題なわけで、すべて一過性に過ぎない。全部偽物だよ」
僕は夢見る少女に現実を突きつけるように冷たく言い放った。
数秒だけ空白の時間が生まれる。
彼女は静かに笑い、僕から視線を逸らしてまた空の方向へと向く。
「私は”本物”を信じたいけどな」
ポツリと、空に向かって呟いた。
その時僕は瞬間的に理解してしまう。
彼女も本当は自分がどれだけ突拍子もないことを言っているのか分かっているのではないか?
ただ、そうありたいという願いが募り、その思いの内を僕にさらけ出してくれているだけなのではないか。
彼女はベンチから立ち上がり小走りで川の浅瀬に近づいていく。
両手で川の水をすくい空に向かって放り投げた。
上がった水滴は空中でまばらに散って夕日の光を反射し、宝石が跳ねているようだった。
彼女は僕の方を振り返り両手を広げて叫んだ。
「なら!もしこの世界が偽物だらけなら、せめて私達だけでも本物になろうよ!」
本物。
それを求めることがどれだけ愚かな事なのかわかっているつもりだ。
でも、今彼女に抱いている感情を一過性ではなく本物だとしたら。
信じる続けることで本物になれるとしたら。
そうなれば、どれだけいいだろう。
僕の冷めた心に何か温かいものが流れ込んでくるような感覚があった。
あの瞬間確実に僕の中にある何かが変わった。
それは世界への価値観や物事に対する考え方、そして彼女への好意的な思いなどだ。
彼女は僕の世界を変えてくれる。
そう希望を抱いたのもつかの間。
中学生に進学して数か月も立たないうちに。
彼女は僕に何も告げることもなく、忽然と姿を消した。
いじめに耐えられず不登校にでもなったのかと思ったが彼女に限ってありえないと思った。
行方不明と聞かされた時にはもう中学校を卒業していた。
結局彼女の言う本物とは何だったのだろう。
心の中に喪失感だけを残し、ひと時の幸せは呆気なく終わりを告げた。
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