第十三夜 パンクマスターY
Yはパンクマスターだ。
パンクと言っても音楽のことじゃない。
自転車のタイヤのパンクのことだ。
彼の自宅から高校までたった1.5キロの通学路で、一体今までに何度パンクしたかわからない。
正確に数えていたわけではないけれど、少なくとも年に十回は超えていたと思う。
そういえば、Yの自転車は僕が初めて彼と通学したときからぼろぼろだった。
ブレーキは錆びて常にキーキー音を立てていたし、車体の塗装はメッキがすっかり禿げ落ちていて、見るからにみすぼらしいものだった。
僕の自転車だって決して新しいものではなく、ドンキで一万円で買った安物だ。それでもパンクしたことは一度もない。
彼が自転車をこぐ速度を急に緩めて「ごめんパンクした」と呟くたびに「またか」と僕は内心うんざりする。
そしてそのあと彼は「君は先に行ってて」と必ず言う。
それが彼なりの精一杯の気遣いであったことは知っていたけれど、僕には彼を置いて行くことなどできなかった。
自転車を押しながらしょんぼり俯いて歩く彼の姿を見ていると、なんだかいたたまれないような気持ちになるのだ。
だから僕は彼の隣で一緒に自転車を押して歩いた。
そんなことをすれば学校に遅刻するのは当たり前で、僕とYは仲良く一緒に遅刻しては、先生に怒られた。
「お前らはいつもセットで遅刻するよな。二人でどっか寄り道でもしてんのか」
そんな疑いをかけられたこともある。
けれどYは自転車のパンクのことをたった一言だって口にしなかった。それが遅刻の理由にならないと思っているのかもしれないし、彼なりの考えがあるのかもしれない。
僕はYに言ったことがある。いっそ新しい自転車に買い替えたらどうか、と。
外側のタイヤがひび割れて老朽化しているのであれば、中のチューブを何度交換したって無駄なことに思ったからだ。
タイヤを両輪変えるには5千円以上かかるから、それなら新しく安めの自転車を買ったほうがいいと言う僕の意見は至極真っ当なものだと思う。
けれどYは僕の意見を受け入れなかった。
それからも、何度パンクしても自転車を修理しては乗り続けた。
次第に僕は強情なYに呆れてしまって、学校に一緒に通わなくなった。
友達としての関係がなくなったわけではないけれど、以前のような深い付き合いはなくなった。
それから一年が経ったある日のことだ。
学校へ向かう道の途中で、うなだれながら自転車を押すYを見つけた。実に一年ぶりに見る通学路での彼の姿だった。
自転車のフレームは折れ曲がっていて、とてももう乗れるような状態じゃなかった。
「何があったの?」と思わず声をかけると、坂道でブレーキが効かないままガードレールに突っ込んだのだと言う。
よく見ればYは身体のあちこちから血を滲ませていた。
僕は彼の目に薄っすら涙が浮かんでいたことに気づいていたけれど、あえて何も言わなかった。だから彼の数歩後ろを、自転車を降りて黙って歩いた。
「また遅刻するよ」とYは申し訳なさそうに言うから「別にいいよ」と僕は答えた。
きっとこれからも、どんなに壊れて使い物にならなくなっても、Yはその自転車に乗り続けるのだろう。
そこにどんな理由があるかなんて知らないし、聞こうとも思わない。
ただ、これからまたYと一緒に通学しよう。
そんな思いだけが僕の胸に薄っすらと芽生えた。
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