7月

第十夜 成宮さん —その2—

子どものころはあんなに近かったのに、今はなんだかとても遠い。

ハルカはそんなあたしの繊細な壁を乗り越えて、心の一番柔らかいところにずけずけと入り込んでくる。


「男らしさって何だろう?」


ちょっと意外なひとことだった。

男らしいハルカなんて、似合わない。

風に揺れる柔らかい前髪も、あたりがパッと華やいでしまうようなその笑顔も、今のままでいい。

ハルカに男らしくなんてなってほしくない。


いったいそれは、誰のため?


考えたらイライラしてきて、皮肉のひとつも言ってやりたくなった。

だから全然好きでもない西山のことを持ち上げて話したら、彼はいかにも興味がなさそうに「なにそれ」と呟いた。

少しは妬いてくれるかな、なんて。バカだ、あたし。


「——成宮は知ってる? 上野さんが学校来なくなった理由」


あたしの顔を遠慮なくのぞき込んで、澄んだ瞳で彼は言う。

話題変えんなよ、て思う。

あとカナエの話なんかすんなよ、とも思う。


「知らない。体調悪いんだよ、きっと」


「ふ~ん」


ハルカはもう興味を失ったように、くるくると後ろ髪をいじっている。

ハルカが髪をいじるときは、何かをごまかしているとき。

本当はカナエのこと、興味津々のくせに。


「上野さんもやっぱあれかな。好きなのかな、運動部的な男子」


「そうじゃない? カナエ、須藤先輩とか目で追ってるよ。バスケ部の」


「え、まじで?」


ハルカの声音が急に真剣を帯びてあたしを追う。

彼の露骨な変化が、小さなトゲとなってチクチク胸に突き刺さる。

須藤先輩なんて嘘だ。

カナエが好きなのはハルカだよ。

——でも死んでもそんなこと教えてあげない。


嘘をつくたびに、あたしの心から大事な何かがぽろぽろとこぼれ落ちる。

こぼれ落ちたカケラをひとつでも、ハルカが拾ってくれたらいいのに。


夕陽が世界を包みこんで、何もかもをオレンジ色に染め上げようとする。

なのに、あたしの心だけはいつまでも、黒い。

ふと、オレンジ色のハルカの顔が私の方に向く。


「上野さんにさ、数学の教科書借りっぱなんだよ。家まで返しに行ってこようかな」


「——え? やめなよ、迷惑だよ。来たら返せばいいじゃん。おかしいよ、家まで返しに行くの」


妙な焦りがうわずった声となって、口の端から滑り落ちる。

必死なあたし、カッコ悪い。


「でも困ってるかもしれないじゃん。家で予習とかしてたらさ、教科書ないと」


ハルカの言っていることは、おそらく正しい。

間違っているのはあたし。

カッコ悪いのもあたし。

黒いのもあたし。

自己嫌悪のループから抜け出せない。


ハルカがカナエの家に行くと思ったら、なんだか胸が気持ち悪くなってきた。

手のひらで胸を軽く押さえてみると、とくんとくんと脈打っている。

ごめんね、あたしの心臓。嫌な鼓動を刻ませて。


甲高い音を鳴らしながら、ゆっくりと遮断機が下りていく。

線路を挟んだ向こう側の人たちは、みんなオレンジ色のシルエットになってしまった。

この世界にいるのは、あたしとハルカだけ。


「そもそも、なんでカナエに借りるの。フツウ女子から借りないでしょ」


「そうかな? でも、そうか」


今日はなんだか無性に音が耳の奥まで響く。

この遮断機が上がるまで、ハルカはあたしから逃げ出せない。

そう考えたら、胸の鼓動がひときわ大きく、とくんと脈打った。


「——カナエがいじめられてるからでしょ? 無視されてるカナエに気をつかったの? 偽善者だよね。善意の押し売りだよ。ほんと、ハルカのそうゆうとこ——」


瞬間、突風が前髪を吹き流して、電車が目の前を勢いよく通り過ぎていく。

今、この轟音の中でなら、何を言ってもかき消してしまえる気がした。


「——そうゆうとこ、好きになっちゃったのかな」


聞こえるはずがなかった。

なのにハルカは呆然と目を見開いて、あたしのほうをじっと見つめていた。

彼の長い睫が怖いほどに揺れていた。

このときくらい、彼の視線から逃れたかったことはない。

もう遮断機は上がっていたのに、あたしとハルカだけがいつまでもそこに、バカみたいに突っ立っていた。

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