第五夜 蠢くもの

目の端で何かが動く。

視線を右に移動すれば右に、左に移動すれば左に動く。

いわゆる飛蚊症だろうと高を括っていた。けれどその目の端でうごめく何かは、日毎にその存在を強めていった。


初めは形すら判然としない透明なモヤのようなものだった筈だが、少しずつ色の濃さや輪郭が明確になってきている。

そしてそれは、見ようによっては人の顔のようにも見えることが、不気味さを助長させていた。


僕にはそれが、どうも恐ろしい存在のように思えた。

このまま形がはっきりしていけば、いつか正体がわかってしまう。そしてその正体を知るとき、僕にとって決定的な何かが起きる。そんな予感がしてならない。

うごめくものは、どこへ行こうとも着いてくる。目をつむったって浮かんでいる。逃れることなど決してできない。


執拗な追随が、次第に僕の頭を狂気に染めた。

どうにかしてうごめくものを視界から消してしまいたかった。

眼科に行っても異常は無いと言われ、精神科では「きっとストレスでしょう」と睡眠薬と精神安定剤を処方された。無論、そんなものを飲んだところでうごめくものは少しも消える気配がなかった。


あらゆる可能性を試し、潰えたとき、ついに僕は恐ろしい決断をした。

塩酸を瞳に流し込んだのだ。

それほどまでに追い詰められていた。

頭がどうにかなりそうだった。


焼け焦げるような胸の悪くなる臭いとともに、顔中を堪え難い痛みが襲った。

いつの間にか僕は気を失い、気づくと病院のベッドに寝かされていた。

頭から包帯を取っても、僕の両目は完全に光を失っていた。

燃えるように真っ赤な世界が広がっていた。

視力を失えば世界は真っ暗なのだろうと思っていた。


これでうごめくものから解放されるならそれでもいいと思った矢先、僕は心臓を氷の手で握られたような、凍れる戦慄を覚えた。

真っ赤な世界の端に、変わらずうごめくものがいたのだ。

そしてそれは、はっきりとした形を持っていた。

うごめくものは、顔となっていた。

ああ、その顔は。

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