第9話 わたしの赤い目
隣国サライには教会がひとつもない。
この国は独自の文化を持ち、独特な発展を遂げてきた。
他国との交流は盛んだが、宗教を持たず、人々は自分自身の信じたいものを信じることができる。
それを“大いなる自由”とリーウェントの人々は言う。
だがこの国の独自性の中で特に奇抜だと言われるのが、国による住民の管理である。
いつどこで誰が生まれ死に、どこからどこへ誰が引っ越したか、誰がどんな職に就いているかなど、数え切れないほどの個人情報を国が握っている。
それは果たして自由と呼べるのか。
もちろん他所から訪れる人間の出入りも管理され、教会なくとも吸血鬼の侵入はある程度防がれている。
だが完全には防げず、時折吸血鬼による残酷な悲劇は起こる。
これもサライの人々にとっては日常の一部であり、吸血鬼は人々にとっての死神のような存在である。
亡くなった人間についても国が記録している。
もっとも、この国で人が亡くなるのは吸血鬼による襲撃と病のみだが。
宗教はない、と述べたが厳密に言えば吸血鬼こそが彼らの命を握っているとも言える。
それは果たして本当の幸せなのか。
「ルイ、目を隠した方がいいかも」
ライカが橋を渡る直前に足を止めて振り返った。
目が赤いのは吸血鬼と…いや吸血鬼だけである。
再度の騒ぎを引き起こすのは好ましくない。ルイは考えた。
「ライカの荷物の中にフードのついた服はある?あったら貸してほしい」
フードでそれとなく目元を隠し、検問を免れるという作戦だ。
サライの検問は人々の顔までは見ない。手荷物の検査と名前の記録をし、怪しい部分がなければ通してもらえる。なぜそんなに甘いのか?
吸血鬼は検問どころではないからである。人間を襲いかける時点でそれはもう不審であり、吸血衝動の抑え切れない吸血鬼たちは検問に携わる人間を襲ってしまうこともある。
つまり、大人しくしていればフードをかぶっていようとも怪しまれないというわけだ。ルイはそれに賭けることにした。望みのある賭けだ。
「あったよ、ルイ。おれのだから少し大きめだけど…それがかえっていいかもな」
ライカは荷物袋の中から大きめのマントを取り出し、ルイの目の前に広げてみせた。
男物のマントならフードもそれなりに大きいはずだ。
「ありがとう」
ルイは受け取り、マントを羽織ってフードをかぶってみた。
目どころか鼻まで隠れそうな勢いだ。
これでいい。きっと通れる。
「橋を渡るけど、準備はいい?」
ライカが再び荷物を手に提げ、真剣な顔で聞いた。
「うん。わたし気をつけるね」
「そんなに緊張することもないよ、かえって挙動不審になるから」
「たしかに…でも緊張する」
「サライは面倒だからな…わかった、おれの妹ってことでどう?手を繋いでさ、いかにも兄妹です、て感じで」
「それならいけるかも」
「大丈夫、おれに任せて」
ライカはルイの手を取り、ぎゅっと握った。昨晩とは別の温もりを感じて、ルイはまた胸が苦しくなった。
橋のたもとにはあまり人気がない。
リーウェントの住民たちが他国へ出ること自体があまりないことだが、それでも出国の際は西側のトルーシャ公国を通って出て行くことになっている。
サライは検問があるが、トルーシャには面倒な検問など一切ない。
ライカたちもトルーシャを経由して出国できればよかったが、そんな時間はなく、一刻も早くリーウェントを出て行かねばならない。
明るくなれば人々が起き出し、吸血鬼と共に歩むライカの姿が見つかってしまう。それでは本末転倒だ。
リーウェントを出てさえしまえば、あとはサライで自由になれる。
サライを目指し、ふたりは長い長い橋をゆっくり歩み始めた。
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