第4話 わたしとあなた
わたしはたくさん走った。
脇目も振らず。
人間も襲わずに。
それなのに人間はわたしを見て怯える。わたしを見て叫ぶ。
どうして?
どうして吸血鬼だからってわたしを否定するの?
わからない。
人間の考えていることがわからない。
*
「おい、吸血鬼は人間を襲わないヤツだったらしい。アルム川の河川敷ではこどもが数人亡くなったが、それは別の吸血鬼の仕業らしい。ヤツらは十字架を見せたら去っていったそうだ。
おまえも、もう中に戻ってこい、ライカよ。ご苦労だった」
屋敷の主人から直々に、中へ戻っていいとの通告を受けた。
この人が外へ出ているということは、例の騒動は収まったということか。
……血を吸わない吸血鬼?そんな吸血鬼がいるのか?
そんなはずはない。
おれがかつて他所の国で見てきた吸血鬼たちはみな人間を襲い、吸血し、彼らを死に至らせた。
人間を襲わない吸血鬼など存在するはずがない。それならその吸血鬼は吸血鬼とも言えないではないか。血を吸わないのだから。
「ライカよ、どうした?何か気になることでもあるのか」
主人が心配そうにおれの顔を見ている。それもそうか。返事もせずに吸血鬼のことを考えていたなんて口が裂けても言えない。
この国では吸血鬼の話題は避けられるものだからだ。
「すみません、ちょっと疲れてしまって。ありがとうございます」
「ああ、中に入ってゆっくり休むといい。やはりこの国に吸血鬼など似つかわしくない」
主人の方から吸血鬼の話題を振ってきたので、ぎょっとした。
そうか、今日は余程の非日常だったから、この人も参ってるのか。
好奇心が芽生えて、主人にあることを聞いてみようと思った。
「ご主人。ご主人は吸血鬼が人間を襲う姿を見たことがありますか」
やはりこの手の質問は禁忌だったか。
主人は黙りこくって動かなくなってしまった。
「……少しだけ、遠目から見たことがある。ほんの一瞬だ。その一瞬でひとりの人間の命が失われた」
言葉を絞り出すような喋り方で、主人は静かに答えた。
この人は普段は滑舌が良く凛とした声で話すゆえに違和感が否めなかった。
吸血鬼という存在が人間の精神に与える衝撃は、おれの想像以上に凄いものらしい。主人はきっとおれより悲惨な場面を見てしまったのだ。
「見たことが、あるのですね。私は現場を見たことがないので吸血鬼の脅威をあなたほど知りません」
「もう吸血鬼の話題はよそう。さあ、中にお入り」
主人は軽く首を振ると、おれの方を抱くようにして屋敷の方へ歩き出した。
彼に連れられるようにして屋敷へ戻ると、仲間たちが玄関で待っていた。
「……ライカ!無事でなによりだ」
同い年、つまり25歳の使用人が子供のような笑顔を浮かべてこちらへ走って来る。彼もこの屋敷の中で怯えていたのだろうか。
「君の方こそ、びびって漏らしたりしてないかい?」
「な、ななないよそんなこと!」
「はは、怪しいな。追及はしない」
「それは助かる」
同僚と抱擁を交わし、屋敷の玄関を見渡した。
玄関中に十字架が貼り付けられ、まるで教会のような出で立ちだ。
「ご主人、これ剥がします?」
主人の召使いが十字架を指差しながら問う。
さすがに不恰好だろう。これは…。
「いいや、そのままにしておいてくれるかな。吸血鬼はまだ街に潜んでいる」
「わかりました。では」
召使いは夕飯の支度をすると言って去っていった。
たしかに吸血鬼はまだ街中にいるのだ。それが血を吸わない吸血鬼であったとしても、だ。
警戒に警戒を重ねるのも仕方ない。
「ライカ、今日は僕と君とで玄関の夜間警備なんだけど…」
ああ忘れていた。これはもともと決まっているシフトだから動かせない。
「わかってる。それまで仮眠を取らせてくれないか」
「もちろん。また今晩会おう」
同僚が去り、おれも玄関を去って狭い狭い仮眠室へと潜り込んだ。
硬い木のベッドに薄い布団が引いてあり、所々破れた古い毛布をかぶって眠るのだ。
毛布の破れは最初こそ気になったが、最近はどうでも良くなってしまった。
どうせ普段は自分の家で眠るのだから。夜間警備の時だけ、こうやって我慢すればいい。
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